ひし美ゆり子は日本の特撮番組を代表する女優である。代表作はあの「ウルトラセブン」(1967~68年)で、友里アンヌ隊員役として活躍した。私より上の世代はみな、ひし美ゆり子を「憧れのお姉さん」として慕っていた。
しかし、ヒーローモノで活躍した俳優や女優がその後パッとしないように、ひし美ゆり子もその後は、ヒット作に恵まれなかった。後に彼女が、現テレビ東京「プレイガール」に出演していたことを知ったが、当時の私が観られるはずもなかった。
その後私もひし美ゆり子の近況を知るようになったが、ちょっとビックリしたのは、20代後半時のひし美ゆり子が、バンバン脱いでいたことである。
世の男性が、アンヌ隊員の制服の中を見たいと夢想したのも無理からぬことで、私もそれに近い想いはあった。ひし美ゆり子は、それに応えてくれていたのであった。
2000年代に入ってから、そのころのグラビアを再編集した(であろう)セクシー写真集「YURIKO 1967-73」(2003年)が発売された。けっこう値段が高かったこともあるが、私にとってひし美ゆり子はアンヌ隊員であり、セクシー写真は関心の外である。さらにいえば、ひし美ゆり子はもうお歳を召しているし、ここで昔の彼女を鑑賞して興奮しても、虚しくなるだけだと思ったことを告白する。
この心理を将棋に置き換えれば、林葉直子さんのセクシー写真集にあたる。私は林葉さんの将棋が好きなのであって、その肢体に興味はない。だから、「ホレ、見るがいい!!」とばかりにドーンと裸を見せてくれても、私はまったく関心がなかったのである。
話を2003年当時に戻すが、そのころ、アンヌ隊員が表紙になった「アンヌへの手紙。」も目にした。が、タイトルがあまりにもマニアックで、結局私は、ひし美ゆり子のどちらの写真集も購入しなかった。
しかし「YURIKO 1967-73」は好評で、その4年後の2007年に、別の出版社からリクエスト復刊される。どうも、私と同じスタンスを取っていたひし美ゆり子ファンが、我慢できずに写真集を求めた結果に思えた。
もちろん私もそのころ、紀伊國屋書店などで再び同写真集を見ている(はずだ)。それでも私は、買わなかった。それからしばらくして私は将棋にのめりこみ、ひし美ゆり子のことはすっかり忘れていた。
ところが最近、またもやひし美ゆり子ブームが起きている。2012年には、平凡パンチに掲載されたグラビアを再編集する形で、アンソロジー写真集が発行された。ここに至り私は初めて、彼女の単体写真集を買わなかったことを後悔し始めたのである。
しかし、当時の写真集はいずれも絶版。あとはネットで中古本を購入するしかないが、「YURIKO 1967-73」は2バージョンともプレミアが付いており、高額だ。クソ、ヒトの足元を見やがって…。
「アンヌへの手紙。」は最安値1,000円+送料で売られていたが、購入は迷っていた。
そんなところに、7日発売の「FRIDAY」に、ひし美ゆり子未公開ポスターが付録で付いていることを知り、私は例の代償機制として、とりあえずこちらを購入したというわけであった。
私はドキドキしながら本体からポスターを外し、拡げる。ポスターは両面で、表面は上半身がドーンと映っていた。こ、これが、伝説の「ロケット○」か…。
裏面はお尻まで見えて、彼女が腰をひねり、こちらを見てニコッと笑っている。か、神がいた…。
こ、こちらにしよう…。
私はそのポスターを布団の横に並べ、自分も布団に入った。ふふ…。
ちょっと奇怪な行動だが、どうせ一人旅だからいいのである。いや本音をいえば、ポスターは天井に貼りたかったのだが、これは翌朝剥がし忘れることがある。
事実だいぶ昔、私は中沢慶子の等身大ポスターを旅行に携行し、某ビジネスホテルの天井に貼って眠ったのである。
ところが翌朝、剥がすのを忘れてチェックアウトしそうになり、慌てて部屋に戻ったことがある。
夜中に寝ぼけて、真上に裸体の女性がボーッと現れて驚く危険性もあり、そんなわけで、「天井戦法」はお奨めできないのだ。
それはともかく9日は、お陰さまでぐっすり眠ることができた。
翌10日(月)。きょうはちょっと行きたい場所がある。朝は時間があるので、またもや買物公園通りの氷像を鑑賞する。午前10時が過ぎたところでデパートの書店に入り、「道内時刻表」を買った。やっぱり時刻表がないと、旅をしている気にならない。
駅のみどりの窓口で2,100円のJR切符を買い、駅構内にある立ち食いそば屋で、月見うどん(350円)を食べた。あああ…うまい。
旭川10時21分発の函館本線普通列車上りに乗る。10時51分、深川駅に着いた。
今旅行2度目の深川駅であるが、もちろんJRバスには乗らない。さて、私が向かう先は。10分で分かれば初段。
(つづく)
しかし、ヒーローモノで活躍した俳優や女優がその後パッとしないように、ひし美ゆり子もその後は、ヒット作に恵まれなかった。後に彼女が、現テレビ東京「プレイガール」に出演していたことを知ったが、当時の私が観られるはずもなかった。
その後私もひし美ゆり子の近況を知るようになったが、ちょっとビックリしたのは、20代後半時のひし美ゆり子が、バンバン脱いでいたことである。
世の男性が、アンヌ隊員の制服の中を見たいと夢想したのも無理からぬことで、私もそれに近い想いはあった。ひし美ゆり子は、それに応えてくれていたのであった。
2000年代に入ってから、そのころのグラビアを再編集した(であろう)セクシー写真集「YURIKO 1967-73」(2003年)が発売された。けっこう値段が高かったこともあるが、私にとってひし美ゆり子はアンヌ隊員であり、セクシー写真は関心の外である。さらにいえば、ひし美ゆり子はもうお歳を召しているし、ここで昔の彼女を鑑賞して興奮しても、虚しくなるだけだと思ったことを告白する。
この心理を将棋に置き換えれば、林葉直子さんのセクシー写真集にあたる。私は林葉さんの将棋が好きなのであって、その肢体に興味はない。だから、「ホレ、見るがいい!!」とばかりにドーンと裸を見せてくれても、私はまったく関心がなかったのである。
話を2003年当時に戻すが、そのころ、アンヌ隊員が表紙になった「アンヌへの手紙。」も目にした。が、タイトルがあまりにもマニアックで、結局私は、ひし美ゆり子のどちらの写真集も購入しなかった。
しかし「YURIKO 1967-73」は好評で、その4年後の2007年に、別の出版社からリクエスト復刊される。どうも、私と同じスタンスを取っていたひし美ゆり子ファンが、我慢できずに写真集を求めた結果に思えた。
もちろん私もそのころ、紀伊國屋書店などで再び同写真集を見ている(はずだ)。それでも私は、買わなかった。それからしばらくして私は将棋にのめりこみ、ひし美ゆり子のことはすっかり忘れていた。
ところが最近、またもやひし美ゆり子ブームが起きている。2012年には、平凡パンチに掲載されたグラビアを再編集する形で、アンソロジー写真集が発行された。ここに至り私は初めて、彼女の単体写真集を買わなかったことを後悔し始めたのである。
しかし、当時の写真集はいずれも絶版。あとはネットで中古本を購入するしかないが、「YURIKO 1967-73」は2バージョンともプレミアが付いており、高額だ。クソ、ヒトの足元を見やがって…。
「アンヌへの手紙。」は最安値1,000円+送料で売られていたが、購入は迷っていた。
そんなところに、7日発売の「FRIDAY」に、ひし美ゆり子未公開ポスターが付録で付いていることを知り、私は例の代償機制として、とりあえずこちらを購入したというわけであった。
私はドキドキしながら本体からポスターを外し、拡げる。ポスターは両面で、表面は上半身がドーンと映っていた。こ、これが、伝説の「ロケット○」か…。
裏面はお尻まで見えて、彼女が腰をひねり、こちらを見てニコッと笑っている。か、神がいた…。
こ、こちらにしよう…。
私はそのポスターを布団の横に並べ、自分も布団に入った。ふふ…。
ちょっと奇怪な行動だが、どうせ一人旅だからいいのである。いや本音をいえば、ポスターは天井に貼りたかったのだが、これは翌朝剥がし忘れることがある。
事実だいぶ昔、私は中沢慶子の等身大ポスターを旅行に携行し、某ビジネスホテルの天井に貼って眠ったのである。
ところが翌朝、剥がすのを忘れてチェックアウトしそうになり、慌てて部屋に戻ったことがある。
夜中に寝ぼけて、真上に裸体の女性がボーッと現れて驚く危険性もあり、そんなわけで、「天井戦法」はお奨めできないのだ。
それはともかく9日は、お陰さまでぐっすり眠ることができた。
翌10日(月)。きょうはちょっと行きたい場所がある。朝は時間があるので、またもや買物公園通りの氷像を鑑賞する。午前10時が過ぎたところでデパートの書店に入り、「道内時刻表」を買った。やっぱり時刻表がないと、旅をしている気にならない。
駅のみどりの窓口で2,100円のJR切符を買い、駅構内にある立ち食いそば屋で、月見うどん(350円)を食べた。あああ…うまい。
旭川10時21分発の函館本線普通列車上りに乗る。10時51分、深川駅に着いた。
今旅行2度目の深川駅であるが、もちろんJRバスには乗らない。さて、私が向かう先は。10分で分かれば初段。
(つづく)