一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

神武以来の天才

2017-08-07 00:20:11 | 将棋雑記
加藤一二三九段を称して「神武以来の天才」と云う。
「神武」とは言うまでもなく神武天皇のことで、日本の初代天皇だ。加藤九段は神武天皇以来の天才というのだから、いかに天才か分かるというものだ。
ところでこの「以来」。「このかた」、と久米宏が読んでいた、と以前ネット上で見た。
これはちょっとびっくりした事柄である。以来、と書いて「このかた」はふつう読めない。
「神武以来の天才」は活字で数十回と見たが、誰かが発音したことはないので、私はずぅっと「じんむいらい」と読んでいた。だって、「以来」に別の読みがあるとは思わない。「いらい」は「いらい」である。この間違いはやむを得ないと思う。実際、羽鳥慎一アナも先日、「じんむいらい」と読んだほどだ。
しかし「このかた」と教われば、気になるフレーズがある。
「生まれてこのかた、○○をしたことがない」
である。
これ、漢字は「この方」の一手と考えていたが、こうなると「以来」の可能性もある。実際、「生まれて以来」でも、意味は通ずるからである。
だがネットで調べると、「このかた」は「この方」「此の方」しかなかった。こちらは「以来」を当てないようである。
ちなみに「このかた」をWordで変換しても、「以来」は候補に出なかった。

話は変わるが、読売巨人軍の球団歌「闘魂こめて」の1番に「そのなにないて」というフレーズがある。私はこれを「その名に泣いて」と取り、何で巨人軍の名前に泣くのだろう、と怪訝に思ったものだ。
それは後に、「その名担いて」と気付いたのだが、かように日本語は難しい。

もう一つ、私は「下手の横好き」を「下手の横綱」と云うと思っていた。つまり横綱級の下手さ加減を云うと思っていたのだ。
中学の体育の時間に、女子が何かを失敗した時、私は「下手の横綱」とヤジを飛ばしたものだ(実はこの使い方も違うのだが)。その時級友が「それは横好きっていうんだよ」と教えてくれた。
彼はいままでの人生で「横好き」を使う機会があったか、どこかで勉強したのだ。私はまったく知らず恥をはいたが、いい勉強になったと思った。

そういえば最近も、「自重する」を私は「じじゅうする」と発音して、W氏に「(それは)じちょうね」と訂正されたことがあった。
当ブログは「発音」しないけれども、実は適当な読みをしている例が、ほかにもいくつかありそうである。

話を戻すが、2日の竜王戦観戦記では「神武以来」に、「(このかた)」とわざわざ読みが書かれていた。また「将棋世界」9月号にも、「神武以来」に「このかた」のルビが振られていた。
「じんむこのかた」は、将棋ファンの間にだいぶ浸透したのではないだろうか。
コメント (4)
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