昨日のリモート(オンライン)名人戦の話に絡むが、新聞の観戦記は毎日(everyday)掲載なので、穴を空けることはできない。
2月27日に第78期A級順位戦最終戦が行われたが、毎日新聞、朝日新聞とも、そろそろその将棋の掲載を終えるころだろう。
幸い、日本将棋連盟のサイトでは観戦記情報が載っている。それで、5月の掲載状況を見てみた。
まず朝日新聞は、3日に羽生善治九段―佐藤康光九段の観戦記を終えた。これで最終局の掲載は終わり、4日からは特選譜として、C級1組順位戦・藤井聡太七段―高野秀行六段の観戦記が始まった。以後、各クラスの特選譜掲載が月末まで続く。
問題は毎日新聞で、同紙は夕刊で順位戦激闘譜を載せているので、朝日新聞の手法は採れない。よって現在は「名人戦激闘をたどる」という連載をやっていた。一部記事は毎日新聞のサイトでも読めるが、要するに各期名人戦の名場面を振り返るものだろう。つまりコンテンツはいくらでもあるということである。
ちなみに、名人戦七番勝負が伸びて、次期順位戦の開始が遅れたことは過去にもあった。
まずは1975年の第34期名人戦・中原誠名人―大内延介八段のシリーズで、これは持将棋1、千日手1を含む全9局となった。
さらに1982年の第40期名人戦・中原名人―加藤一二三十段の七番勝負は、持将棋1、千日手2で合計10局の長丁場になり、最終局の決着は7月31日となった。当時千日手は別日に指し直しのルールだったことが、ここまで日程を延ばさせた。
ただいずれの場合も対局数が増えるだけなので、観戦記の題材は不足しない。問題は次期順位戦で、こちらの進行が押されてギチギチになる。
参考までに、第41期A級順位戦1回戦の対局日を記しておこう。
森雞二棋聖―桐山清澄八段 7月20日
森安秀光八段―谷川浩司八段 7月22日
内藤國雄九段―大内延介八段 8月24日
中原誠王位―二上達也九段 8月27日
大山康晴王将―米長邦雄棋王 9月8日
前期名人戦は第8局が7月13日・14日だったが、この将棋が千日手になったため、7月20日に予定されていた森棋聖―桐山八段戦が、先に始まってしまった。ただ現在では、とくにフルセットの場合は、決着前に次期順位戦を始めてしまうのが慣例である。
1回戦は通常、名人戦の敗者がトリを務めるが、第41期は4局目だった。大山王将と米長棋王が多忙だったのかこちらがトリとなり、対局は9月8日だった。
この日程を見て分かることは、名人戦七番勝負が7月末までに終われば、以降の進行が多少駆け足になっても、次期名人戦まで支障がない範囲に収められる、ということだ。ただ、当時のA級順位戦の観戦記は、ふだんの7譜を6譜に詰めるとか、苦労はあったと思う。
話を現在に戻し、目下の課題は、第78期名人戦をいつ始めるか、そして対局システムをどうするかだ。1日制が濃厚の気はするのだが。
2月27日に第78期A級順位戦最終戦が行われたが、毎日新聞、朝日新聞とも、そろそろその将棋の掲載を終えるころだろう。
幸い、日本将棋連盟のサイトでは観戦記情報が載っている。それで、5月の掲載状況を見てみた。
まず朝日新聞は、3日に羽生善治九段―佐藤康光九段の観戦記を終えた。これで最終局の掲載は終わり、4日からは特選譜として、C級1組順位戦・藤井聡太七段―高野秀行六段の観戦記が始まった。以後、各クラスの特選譜掲載が月末まで続く。
問題は毎日新聞で、同紙は夕刊で順位戦激闘譜を載せているので、朝日新聞の手法は採れない。よって現在は「名人戦激闘をたどる」という連載をやっていた。一部記事は毎日新聞のサイトでも読めるが、要するに各期名人戦の名場面を振り返るものだろう。つまりコンテンツはいくらでもあるということである。
ちなみに、名人戦七番勝負が伸びて、次期順位戦の開始が遅れたことは過去にもあった。
まずは1975年の第34期名人戦・中原誠名人―大内延介八段のシリーズで、これは持将棋1、千日手1を含む全9局となった。
さらに1982年の第40期名人戦・中原名人―加藤一二三十段の七番勝負は、持将棋1、千日手2で合計10局の長丁場になり、最終局の決着は7月31日となった。当時千日手は別日に指し直しのルールだったことが、ここまで日程を延ばさせた。
ただいずれの場合も対局数が増えるだけなので、観戦記の題材は不足しない。問題は次期順位戦で、こちらの進行が押されてギチギチになる。
参考までに、第41期A級順位戦1回戦の対局日を記しておこう。
森雞二棋聖―桐山清澄八段 7月20日
森安秀光八段―谷川浩司八段 7月22日
内藤國雄九段―大内延介八段 8月24日
中原誠王位―二上達也九段 8月27日
大山康晴王将―米長邦雄棋王 9月8日
前期名人戦は第8局が7月13日・14日だったが、この将棋が千日手になったため、7月20日に予定されていた森棋聖―桐山八段戦が、先に始まってしまった。ただ現在では、とくにフルセットの場合は、決着前に次期順位戦を始めてしまうのが慣例である。
1回戦は通常、名人戦の敗者がトリを務めるが、第41期は4局目だった。大山王将と米長棋王が多忙だったのかこちらがトリとなり、対局は9月8日だった。
この日程を見て分かることは、名人戦七番勝負が7月末までに終われば、以降の進行が多少駆け足になっても、次期名人戦まで支障がない範囲に収められる、ということだ。ただ、当時のA級順位戦の観戦記は、ふだんの7譜を6譜に詰めるとか、苦労はあったと思う。
話を現在に戻し、目下の課題は、第78期名人戦をいつ始めるか、そして対局システムをどうするかだ。1日制が濃厚の気はするのだが。