一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

羽生五段の「▲5二銀」

2020-05-21 00:07:39 | 男性棋士
第70回NHK杯将棋トーナメントは、新型コロナウイルスの影響で対局が休止。5月からはその時間帯に、過去の好局を再放送することになった。
ただ、3日は第69回決勝戦、10日は女流棋士出場者決定戦で、これではありがたくもなんともなく、私は観なかった。
だが17日は、第38回大会(1988年度)の加藤一二三九段VS羽生善治五段戦が放送されると知らされ、私のみならず全国の将棋ファンが沸き立ったのである。
第38回は新鋭羽生五段がNHK杯初優勝を飾ったが、3回戦から大山康晴十五世名人、加藤一二三九段、谷川浩司名人、中原誠二冠と、歴代4名人を連破したことで知られる。
白眉は4回戦の加藤九段戦で、終盤羽生五段が「▲5二銀」の鬼手を指したことで有名である。
まさにNHK杯の名局ベスト1といってよく、羽生九段の名局十指にも入ると思う。否、将棋史全体でも、ベスト20に入る名局だと思う。しかもテレビ対局だったため、多くの将棋ファンがその瞬間を目撃できたことが素晴らしい。
ゆえにこの場面はNHK杯の名場面集等で何度か放送された。解説の米長邦雄九段が「おー、やった!!」と叫ぶのが見所である。ただ、その局面に至る流れも重要なので、初手から観てみたい希望はあった。
それが今回叶うわけで、私はNHKの英断に拍手を送った。そして永久保存版にすべく、ビデオ録画予約をしたのであった。

17日当日は、正座をして拝見した。当時の司会は、「近代将棋」編集長・観戦記者の永井英明氏。名局には「舞台」が必要で、本局は米長九段・永井氏のコンビがそれに大きく寄与したことは言うまでもない。
まずは勝ち残り棋士の紹介である。現在は藤田綾女流二段や中村桃子女流初段が散文的に紹介するが、永井氏は年代別の人数を紹介するなどして、かなりフランクである
対局室が映される。加藤九段も羽生五段も、当然ながら若い。いまの若い将棋ファンは加藤九段を、歯の抜けた温和なお爺ちゃんとしか見ていないだろうが、加藤九段は14歳で四段、18歳でA級八段、20歳で名人挑戦者になった大天才である。対局当時は48歳。指し盛りは過ぎていたが前歯は健在で、あふれる闘志が見て取れた。
対する羽生五段は18歳の青年。いまよりスリムで、何というか全身鋭角だ。
なお本局の収録日は1989年1月9日。すなわち平成の2日目だった。放送日は2月5日で、私はこの2日後に、人生初の「冬の北海道旅行」を控えていた。
将棋は羽生五段の先手で、「先手、7六歩」。棋譜読み上げは蛸島彰子女流五段。この読み上げが素晴らしい。以前LPSAのイベントで蛸島女流六段の「生読み上げ」を拝聴したことがあるが、あれは感激した。蛸島女流六段に指し手を読み上げていただく。これぞ棋士冥利に尽きるのではなかろうか。
現在は飯野愛女流初段や和田あき女流初段が務めているが、まだ蛸島女流六段の域には達していない。これからである。
将棋は角換わりに進んだ。羽生五段は17手目に▲2七銀と上がる。腰掛け銀を予想していた米長九段は絶叫する。ちょっとオーバーに思えるが、序盤早々、場を盛り上げている。
羽生五段は棒銀を採り、居玉のまま23手目▲1五歩。これで先手が十分なら苦労はいらないが、もちろん成算あってのことだろう。
加藤九段も強く応戦し、以下、羽生五段の攻め、加藤九段の受けという展開になった。
羽生五段の眼光は鋭く、その勢いで加藤九段をチラッチラッと見る。いわゆる「ハブニラミ」である。全身ナイフみたいで、異様なオーラがあふれ出ている。こりゃ相手が誰でも勝ちまくるわな、と感じる。
そこに米長九段の解説が、癒しのように中和される。もちろん手の解説以外も面白い。
「最近ね、将棋が強くなる方法がようやく分かった」と視聴者に興味を抱かせる。永井氏がその先を促すと、「それは将棋盤を視る時の視線ていうかね、将棋盤のどこまで食い込んでいるかね、深さなんですね」と述べた。加藤九段も羽生五段も、将棋盤に穴が開くほど見つめる。その集中力が棋力を高めるのだという。
当時私はこの放送を観ていたはずだが、たぶんピンと来ていない。いまならなるほどと頷けるわけで、ここだけを取っても、今回拝見した価値はあった。
49手目▲2七香。これが12手後の鬼手を生む土台となる。
「10秒……20秒……」と、山下カズ子女流五段の機械的な秒読みが響く。蛸島女流五段の陰で目立たないが山下女流五段の秒読みも相当で、この冷徹な響きがいやが上にも緊迫感を増幅させる。対局者、解説者、司会者、棋譜読み上げ、秒読み。まったく、奇跡的なまでに個性的なキャストが揃ったものだ。なんだか、交響曲のサビに向けて粛々と演奏が進行しているようで、私は興奮を抑えきれなかった。
60手目、加藤九段は△1八飛と下ろす。ここで米長九段は迷いながら、「▲2三香成△同玉▲4一角△3二桂▲6三角成……」と解説する。それでも先手優勢なのだろうが、ちょっとダサイ。そして、いよいよである。
チャッ!
米長九段「おーおおおお、やった!!」
蛸島女流五段「先手、ゴォニィ銀」
61手目、ついに▲5二銀が放たれた。

永井氏「なんですかこの手は!?」
映像では、解説室の混乱を生々しく伝えている。
米長九段「これはネ、△5二同金なら、▲1四角△4二玉▲4一金で詰みなんです」
鬼手▲5二銀も、打たれてみれば以下の変化は簡単だ。だが米長九段は▲5二銀に気付いていなかったから、若干の悋気というか面目失墜のテイが見て取れた。
以下、67手目▲3二金まで加藤九段投了。この投了図も素晴らしい。いまの棋士は視聴者を慮って、あと数手指す。
実に濃密な67手だったが、放送時間はたっぷりと、30分近くも残ってしまった。しかしこれから興味深い感想戦である。
加藤九段は弁舌滑らかにしゃべり、羽生五段は時々笑みを浮かべながら、「ええ」とか「まあ」とか聞き取れない声でつぶやいた。米長九段も「強い坊やだねえ」と、新鋭五段への賛辞を惜しまない。これもまた最高の感想戦であった。
以上、いい将棋を観させてもらった。名曲ならぬ名局は、何度鑑賞してもいい。NHKは今回、実にいいチョイスをした。
ということで、次週24日は、対局日が前後するが、大山十五世名人VS羽生五段の3回戦である。いまや伝説となっている大山十五世名人の動く姿を初めて観る人も多いのではないだろうか。次週も必見である。

ところで、将棋講座のテキストは、NHK杯の観戦記の代わりに、何を載せるのだろう。
私が思いつくのは第70回予選の自戦記だが、収録が長引けば、この手法もそう取れまい。私はテキストを購読していないが、気になるところである。
コメント
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