一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

伊藤博文七段、引退

2020-05-29 00:15:59 | 男性棋士
伊藤博文(いとう・ひろふみ)七段は26日に行われた第33期竜王戦6組昇級者決定戦で今泉健司四段に敗れ、フリークラス規定により引退となった。
伊藤七段は1984年8月、四段昇段。名前が名前なので、当時の将棋ファンは、あの伊藤博文がついに四段か! と沸き立ったものだ。
伊藤七段は、基本は振り飛車党で、中飛車を好んで指した。引退局の今泉四段戦も、中飛車だった。また対局中はつぶやきが巧みで、人は伊藤七段を「終盤の話術師」と呼んだ。
伊藤七段は、デビュー以後は特筆すべき活躍はなかったが、勝率は悪くなかった。だが第49期順位戦C級2組で降級点を取ってしまう。C級2組では1個目の降級点は、昇級しない限り消えない。その後勝ち越しもあったが降級点は消えず、これが祟って、第57期C級2組で3個目の降級点を取り、1999年3月、39歳でフリークラスに降級となってしまった。
1994年度から開始されたフリークラス制度は、復帰規定はあったものの厳しく、いったん落ちたらもう順位戦には戻れないと言われていた。該当の成績を取れるくらいなら、最初から落ちないという理屈である。
だが伊藤五段は頑張った。2000年度は好調で、24局を終えて17勝7敗。当時は年度18勝(12敗)でフリークラス脱出だったから、誰もが伊藤五段の順位戦復帰を信じた。
ところがここから悪夢の4連敗を喫し、年度を終えた。藤原直哉七段も、フリークラス1期目の2017年度に17勝7敗となったが、やはり4連敗してしまい、長蛇を逸した。そのくらい、フリークラスの「あと1勝」は遠いのだ。
伊藤五段は落胆したが、希望を見出してくれたのは、ほかの棋士や教室の生徒らだった。
年度勝数は及ばなかったが、「いい所取り」があると教えたのである。
伊藤五段は1999年度の最終戦で、飯野健二七段(第13期竜王戦5組昇級者決定戦)に勝っていた。すなわち18勝11敗。あと3連勝で21勝11敗・勝率.656となり、復帰できるのだ。
2001年度の1局目、伊藤五段は第73期棋聖戦一次予選で山本真也四段に勝ち、あと2勝。
そして5月29日、第35回早指し将棋選手権戦予選で増田裕司四段、小林健二八段に勝ち、めでたく順位戦復帰となった。絶対ないと言われていた、アリ地獄からの脱出を果たしたのである。
だが伊藤五段のピークはここまでだった。
2002年、気分よく順位戦に臨んだものの、降級点を喫する。さらに翌2003年度も降級点を取り、ここで観念した。2004年3月、ついにフリークラスへ転出。降級なら復帰の道はあるが、転出は以後本人がどんなに好成績を取っても、順位戦には戻れない。
私は伊藤五段の出した結論にガッカリしたが、仮に降級しても、もう復帰に臨む気力が残っていなかったのだろう。
フリークラスへの転出は、基本15年の現役生活が与えられる。それに各クラスの位置や降級点によって+αが変わってくる。伊藤五段はC級2組で降級点2だったので、+1年。よって今年伊藤七段が60歳で引退したのは定年ではなく、16年の期限が切れたからだった。
ところで伊藤七段は、民放テレビで珍しい将棋を指している。2004年5月19日放送の「トリビアの泉」(フジテレビ)で、「将棋には804枚の駒を使うものがある」と紹介され、安用寺孝功四段と「大局将棋」を3日間に渡って指したのだ。
ちなみにこの時は「77へぇ」で、豪華な粗品は獲れなかった。
現在伊藤七段の楽しみは、西山朋佳奨励会三段の活躍だろう。女流棋戦ではすでに三冠を獲得し、女流棋界ではトップグループにいる。残るミッションは女性初の四段昇段で、これを果たせば当人はもちろん、伊藤七段の株も上がる。
西山奨励会三段の師匠への敬愛も相当なもので、それが四段昇段へのモチベーションになっていると思われる。次回の三段リーグでの戦いが注目される。

伊藤先生、36年の現役生活、お疲れ様でございました。
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