24日はNHKアーカイブス「第38回NHK杯3回戦第3局・大山康晴十五世名人VS羽生善治五段戦」が放送された。対局日は1988年11月16日、オリジナル放送日は12月18日。
現在の将棋ファンに、「史上最強の棋士は誰か?」と問うたとき、真っ先に挙がるのがこの両者だ。当時大山十五世名人は65歳、羽生五段は18歳。47も歳の違う最強棋士が相まみえたとは奇跡的だが、当時も似たような認識だったと思う。それは、司会の永井英明氏が冒頭で
「今日の対局は注目度No.1でございましょうか」
と述べたことからも分かる。
両雄の対決映像が残っているのはテレビ棋戦ならではで、貴重な記録である。
解説は、当時42歳の森雞二王位。髪は黒々として若々しい。この年の夏、谷川浩司名人から4勝3敗で王位を奪取し、意気軒高だった。
「大山十五世名人はおじさん族の代表ですしネ、羽生五段も新人類の筆頭ですが、心情的にはおじさんに頑張ってほしいですが……」
と、森王位。「新人類」とは懐かしい単語だ。
この言だと大山十五世名人の分が悪いみたいだが、両者はこの6ヶ月前の第38期王将戦二次予選で顔が合い、青森県旧百石町で大山十五世名人が勝っている。またその前年秋にも「将棋世界」でお好み対局があり、これも大山十五世名人が制勝している。ただ本局はこの時点で、羽生五段は年度37勝9敗。手が付けられない強さだった。
棋譜読み上げは蛸島彰子女流五段、記録・秒読みは谷川治惠女流二段。どちらも若いが、現在と雰囲気はまったく変わっていない。
羽生五段の先手で対局開始。▲7六歩△3四歩。
意外だったのは、大山十五世名人が盤にくっつきそうなくらい、膝を前に出していたこと。
大山十五世名人は小柄だったが、ほとんどの棋士が、大山十五世名人が盤の前に座ると迫力があった、と証言している。これは、盤に近く座ることで、物理的な迫力を演出していたのではないか? いや、大山十五世名人ならマジであり得る。これは新たな発見だった。
大山十五世名人は中飛車に振る。大山十五世名人は振り飛車の中で四間飛車が最も多いが、その次は中飛車ではないだろうか。
羽生五段は全身鋭角で、やっぱりギラギラしている。切れたナイフだ。だが相手が大名人だからか、まだハブニラミは見られない。
羽生五段は▲5七銀左とし、急戦の構え。▲4六歩のあと、▲3七銀とした。
大山十五世名人は△6三銀から△7二飛。これが大山十五世名人独特の急戦対抗策で、昭和40年代前半から、すでにこの指し方をしている。例えば、1966年2月8日~9日対局の第15期王将戦第3局・山田道美八段戦(図)である。
しかしこの形は玉飛接近のうえ玉も薄く、余人には真似できない。何より大山十五世名人自身、ほかの指し方より勝率は悪かった気がする。
ただ羽生五段はこの翌年、青野照市九段相手に振り飛車を指し、袖飛車を用いている(当ブログ2019年7月14日「羽生九段の振り飛車」)。本局を参考にしたわけではないだろうが、羽生五段の芸域の広さに驚くのである。
大山十五世名人は、NHK杯などのテレビ対局では、和服を着用する。本局もそうで、羽織は墨色、小袖はねずみ色だった。ただ1984年3月4日放送のNHK杯・大内延介八段との一戦は、白のスーツで対局した。対局の後に出張があったからだ。
大山十五世名人は泰然自若。駒をマス目の中央に置き、手つきはゆったりしている。将棋ファンの規範になるかのようである。しかし終盤になれば、盤の隅から隅まで視線が動くはずだ。
羽生五段は▲7七桂と跳ね、次に▲6五桂を見る。これで全面戦争は避けられず、大山十五世名人は△7五歩と迎え撃った。
中盤、▲5三桂成に文字通りノータイムで△7二飛と逃げた。大山十五世名人なら、たとえノータイムで指せても20秒くらい考えそうなものだが、相手が△7二飛を考えていないと見たのだろう。
森王位は多弁でないが、解説は簡にして要を得て分かりやすい。
なお森王位は、大山十五世名人、羽生九段ともタイトル戦を戦ったことがある、数少ない棋士である。
形勢はほぼ互角で進む。大山十五世名人は、駒台には歩を前方に、それ以外の駒を後方に置く。羽生五段の置き方は逆で、手前に歩が置かれていた。
羽生五段▲6三成桂の飛車取りに、森王位は△7六銀の突進を説いたが、大山十五世名人は穏やかに△7一飛。厳密にいえば疑問手かもしれないが、この落ち着きが大山十五世名人の持ち味ともいえる。
しかし羽生五段は▲7五歩と銀を取り、△同飛に▲7六歩△同飛▲7七歩と先手を取って好調である。
ここで大山十五世名人が△8九銀の王手。森王位と永井氏が「あっ!」と驚く。これを▲同玉は△7七角成▲同金△同飛成で先手受けづらい。
そこで羽生五段は▲6九玉と逃げたが、これが冷静な判断だった。
大山十五世名人は7七の歩をつまむと左手にほうりこむ。お得意のしぐさで、△7七角成。
▲同金△同飛成となって、先手も相当怖い。しかしそこで▲6五角(図)の王手が、詰めろ逃れの好手だった。
△7四歩を強要し△7七歩の筋をなくしたあと、▲6八金が当然ながら強い受けだ。
ここで△7八金が利けばいいが、先手の飛車の横利きが強く、わずかに寄らない。
谷川女流二段の秒読みが響く。山下カズ子女流五段は機械的だが、谷川女流二段のそれは癒し系だろうか。
大山十五世名人は△7五竜と引き揚げたが、羽生五段は▲7六銀と打つ。ここで大山十五世名人の投了となった。素人目には早いようだが、攻防ともに見込みがない。
テレビでは「金寄られるのうっかりしたね」という大山十五世名人の悔悟が聞き取れた。
森王位と永井氏が対局室に入ると、
「はじめ△3七歩打っとくんだったね、△7五歩打つところで」
と大山十五世名人。
盤面を初形に戻し、あらためて感想戦が始まる。私だったら18歳の少年に負けて将棋盤をひっくり返したくなるところだが、大山十五世名人は勝っても負けても態度が変わらない。
「森さんならこう行くんだろうけどねぇ」
感想戦は、大山十五世名人が森王位にやんわりと語りかける形で進行する。羽生五段は、勝負が済めば18歳の一青年で、神妙な面持ちである。そして私はといえば、名人の貴重な肉声が聴けて、感謝感激である。
大山十五世名人はカメラのほうを時折見る。たぶん、残り放送時間を確認していたのだろう。
大山十五世名人はかつてNHK杯で、灘蓮照八段相手に中盤で大優勢になったのに、放送時間の尺を考えてぐずぐずしていたら逆転負けした、という逸話がある。
大山十五世名人が真っ先に悔やんだ局面に到達した。
「…今の順は知ってたんだけども、こう打っておくと……」
△7五歩と打つ前に△3七歩▲同飛と飛車の横利きを消しておくべきで、この交換があれば、終盤の▲6八金寄りがなかった、ということらしい。
その後も感想戦は「大山ペース」で進み、放送時間の終了となった。32年の時を経て大山十五世名人が甦り、私は大いに満足した。
そして31日は、第38回の準決勝、谷川名人VS羽生五段戦である。これも将棋ファン垂涎の一局だ。
いよいよ佳境を迎え、もはや現在のNHK杯よりわくわくしている自分がいる。
現在の将棋ファンに、「史上最強の棋士は誰か?」と問うたとき、真っ先に挙がるのがこの両者だ。当時大山十五世名人は65歳、羽生五段は18歳。47も歳の違う最強棋士が相まみえたとは奇跡的だが、当時も似たような認識だったと思う。それは、司会の永井英明氏が冒頭で
「今日の対局は注目度No.1でございましょうか」
と述べたことからも分かる。
両雄の対決映像が残っているのはテレビ棋戦ならではで、貴重な記録である。
解説は、当時42歳の森雞二王位。髪は黒々として若々しい。この年の夏、谷川浩司名人から4勝3敗で王位を奪取し、意気軒高だった。
「大山十五世名人はおじさん族の代表ですしネ、羽生五段も新人類の筆頭ですが、心情的にはおじさんに頑張ってほしいですが……」
と、森王位。「新人類」とは懐かしい単語だ。
この言だと大山十五世名人の分が悪いみたいだが、両者はこの6ヶ月前の第38期王将戦二次予選で顔が合い、青森県旧百石町で大山十五世名人が勝っている。またその前年秋にも「将棋世界」でお好み対局があり、これも大山十五世名人が制勝している。ただ本局はこの時点で、羽生五段は年度37勝9敗。手が付けられない強さだった。
棋譜読み上げは蛸島彰子女流五段、記録・秒読みは谷川治惠女流二段。どちらも若いが、現在と雰囲気はまったく変わっていない。
羽生五段の先手で対局開始。▲7六歩△3四歩。
意外だったのは、大山十五世名人が盤にくっつきそうなくらい、膝を前に出していたこと。
大山十五世名人は小柄だったが、ほとんどの棋士が、大山十五世名人が盤の前に座ると迫力があった、と証言している。これは、盤に近く座ることで、物理的な迫力を演出していたのではないか? いや、大山十五世名人ならマジであり得る。これは新たな発見だった。
大山十五世名人は中飛車に振る。大山十五世名人は振り飛車の中で四間飛車が最も多いが、その次は中飛車ではないだろうか。
羽生五段は全身鋭角で、やっぱりギラギラしている。切れたナイフだ。だが相手が大名人だからか、まだハブニラミは見られない。
羽生五段は▲5七銀左とし、急戦の構え。▲4六歩のあと、▲3七銀とした。
大山十五世名人は△6三銀から△7二飛。これが大山十五世名人独特の急戦対抗策で、昭和40年代前半から、すでにこの指し方をしている。例えば、1966年2月8日~9日対局の第15期王将戦第3局・山田道美八段戦(図)である。
しかしこの形は玉飛接近のうえ玉も薄く、余人には真似できない。何より大山十五世名人自身、ほかの指し方より勝率は悪かった気がする。
ただ羽生五段はこの翌年、青野照市九段相手に振り飛車を指し、袖飛車を用いている(当ブログ2019年7月14日「羽生九段の振り飛車」)。本局を参考にしたわけではないだろうが、羽生五段の芸域の広さに驚くのである。
大山十五世名人は、NHK杯などのテレビ対局では、和服を着用する。本局もそうで、羽織は墨色、小袖はねずみ色だった。ただ1984年3月4日放送のNHK杯・大内延介八段との一戦は、白のスーツで対局した。対局の後に出張があったからだ。
大山十五世名人は泰然自若。駒をマス目の中央に置き、手つきはゆったりしている。将棋ファンの規範になるかのようである。しかし終盤になれば、盤の隅から隅まで視線が動くはずだ。
羽生五段は▲7七桂と跳ね、次に▲6五桂を見る。これで全面戦争は避けられず、大山十五世名人は△7五歩と迎え撃った。
中盤、▲5三桂成に文字通りノータイムで△7二飛と逃げた。大山十五世名人なら、たとえノータイムで指せても20秒くらい考えそうなものだが、相手が△7二飛を考えていないと見たのだろう。
森王位は多弁でないが、解説は簡にして要を得て分かりやすい。
なお森王位は、大山十五世名人、羽生九段ともタイトル戦を戦ったことがある、数少ない棋士である。
形勢はほぼ互角で進む。大山十五世名人は、駒台には歩を前方に、それ以外の駒を後方に置く。羽生五段の置き方は逆で、手前に歩が置かれていた。
羽生五段▲6三成桂の飛車取りに、森王位は△7六銀の突進を説いたが、大山十五世名人は穏やかに△7一飛。厳密にいえば疑問手かもしれないが、この落ち着きが大山十五世名人の持ち味ともいえる。
しかし羽生五段は▲7五歩と銀を取り、△同飛に▲7六歩△同飛▲7七歩と先手を取って好調である。
ここで大山十五世名人が△8九銀の王手。森王位と永井氏が「あっ!」と驚く。これを▲同玉は△7七角成▲同金△同飛成で先手受けづらい。
そこで羽生五段は▲6九玉と逃げたが、これが冷静な判断だった。
大山十五世名人は7七の歩をつまむと左手にほうりこむ。お得意のしぐさで、△7七角成。
▲同金△同飛成となって、先手も相当怖い。しかしそこで▲6五角(図)の王手が、詰めろ逃れの好手だった。
△7四歩を強要し△7七歩の筋をなくしたあと、▲6八金が当然ながら強い受けだ。
ここで△7八金が利けばいいが、先手の飛車の横利きが強く、わずかに寄らない。
谷川女流二段の秒読みが響く。山下カズ子女流五段は機械的だが、谷川女流二段のそれは癒し系だろうか。
大山十五世名人は△7五竜と引き揚げたが、羽生五段は▲7六銀と打つ。ここで大山十五世名人の投了となった。素人目には早いようだが、攻防ともに見込みがない。
テレビでは「金寄られるのうっかりしたね」という大山十五世名人の悔悟が聞き取れた。
森王位と永井氏が対局室に入ると、
「はじめ△3七歩打っとくんだったね、△7五歩打つところで」
と大山十五世名人。
盤面を初形に戻し、あらためて感想戦が始まる。私だったら18歳の少年に負けて将棋盤をひっくり返したくなるところだが、大山十五世名人は勝っても負けても態度が変わらない。
「森さんならこう行くんだろうけどねぇ」
感想戦は、大山十五世名人が森王位にやんわりと語りかける形で進行する。羽生五段は、勝負が済めば18歳の一青年で、神妙な面持ちである。そして私はといえば、名人の貴重な肉声が聴けて、感謝感激である。
大山十五世名人はカメラのほうを時折見る。たぶん、残り放送時間を確認していたのだろう。
大山十五世名人はかつてNHK杯で、灘蓮照八段相手に中盤で大優勢になったのに、放送時間の尺を考えてぐずぐずしていたら逆転負けした、という逸話がある。
大山十五世名人が真っ先に悔やんだ局面に到達した。
「…今の順は知ってたんだけども、こう打っておくと……」
△7五歩と打つ前に△3七歩▲同飛と飛車の横利きを消しておくべきで、この交換があれば、終盤の▲6八金寄りがなかった、ということらしい。
その後も感想戦は「大山ペース」で進み、放送時間の終了となった。32年の時を経て大山十五世名人が甦り、私は大いに満足した。
そして31日は、第38回の準決勝、谷川名人VS羽生五段戦である。これも将棋ファン垂涎の一局だ。
いよいよ佳境を迎え、もはや現在のNHK杯よりわくわくしている自分がいる。