14日に行われた第33期竜王戦6組昇級者決定戦で、土佐浩司八段は門倉啓太五段に敗れ、フリークラス規定で引退となった。
土佐八段は1976年2月、四段昇段。1976年度は名人戦の契約金問題で順位戦が休止になったが、土佐四段はそのうっぷんを第16期十段戦で晴らした。予選をどんどん勝ち進み、1977年4月、決勝で原田泰夫八段に勝ち、四段で初のリーグ入りを果たした。十段リーグ入りは棋戦優勝に匹敵する殊勲で、ここに「天才・土佐」が誕生したのだった。
土佐四段はリーグ戦で大山康晴棋聖に勝つなどし、リーグ入りがフロックでないことを証明した。

1976年12月にはもうひとりの浩司、谷川浩司君が中学2年生で四段になった。
ふたりは1977年、第36期順位戦C級2組(当時は「昇降級リーグ4組」)7回戦で顔を合わせ、土佐四段が勝ち、谷川四段に順位戦初黒星を付けた。
谷川四段はこの敗戦が響き、8勝2敗で昇級ならず。もし勝っていれば結果的に昇級で、谷川名人の誕生がもう1年早くなっていたかもしれないのだ。
ふたりの次の対戦は、1981年7月の第39期棋聖戦二次予選だった。
先番土佐四段のひねり飛車から激戦になり、終盤、谷川七段が△4九金(第1図)と張り付いた。

ここから▲5八角△3九金▲4八玉(第2図)と進んだ。
先手がピンチのようだが、▲5八角が唯一の受け。△3九金と、ボロッと銀を取られたが、▲4八玉がまた意表の応手で、これで耐えている。これぞ「天才・土佐」の面目躍如である。
谷川九段の自戦記は時折自虐的な記述があって微笑ましいが、当時の「近代将棋」では、「これで四段なんて信じられますか?」と、土佐四段の指し回しを称賛した。

そんな土佐四段だが、順位戦ではなかなか昇級できなかった。
第42期順位戦でようやく昇級昇段。さらに第48期順位戦でB級2組に昇級した。
だが順位戦の最高クラスは、ここまでだった。以後も昇級のチャンスは何度かあったが、いつもギリギリで届かなかった。
1999年、第32回早指し将棋選手権戦で、棋戦初優勝。準決勝で谷川九段、決勝で森内俊之八段を破る殊勲だった。
なお「将棋世界」に掲載された自戦記は、第11回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門の佳作を受賞した。
だが土佐八段のピークはここまで。以下は徐々にクラスを下げ、2017年にフリークラス転出。以降は65歳の定年を待ち、このたびの引退となったものである。
土佐八段の棋歴を振り返れば、早指し将棋選手権戦での優勝はあるが、白眉はデビューから数年の輝ける将棋である。それは目に見える記録には残らなかったが、将棋ファンの記憶にははっきりと残った。
なお、谷川九段との対戦成績は○○●●●○●の3勝4敗だった。
土佐先生、44年の現役生活、お疲れ様でございました。
土佐八段は1976年2月、四段昇段。1976年度は名人戦の契約金問題で順位戦が休止になったが、土佐四段はそのうっぷんを第16期十段戦で晴らした。予選をどんどん勝ち進み、1977年4月、決勝で原田泰夫八段に勝ち、四段で初のリーグ入りを果たした。十段リーグ入りは棋戦優勝に匹敵する殊勲で、ここに「天才・土佐」が誕生したのだった。
土佐四段はリーグ戦で大山康晴棋聖に勝つなどし、リーグ入りがフロックでないことを証明した。

1976年12月にはもうひとりの浩司、谷川浩司君が中学2年生で四段になった。
ふたりは1977年、第36期順位戦C級2組(当時は「昇降級リーグ4組」)7回戦で顔を合わせ、土佐四段が勝ち、谷川四段に順位戦初黒星を付けた。
谷川四段はこの敗戦が響き、8勝2敗で昇級ならず。もし勝っていれば結果的に昇級で、谷川名人の誕生がもう1年早くなっていたかもしれないのだ。
ふたりの次の対戦は、1981年7月の第39期棋聖戦二次予選だった。
先番土佐四段のひねり飛車から激戦になり、終盤、谷川七段が△4九金(第1図)と張り付いた。

ここから▲5八角△3九金▲4八玉(第2図)と進んだ。
先手がピンチのようだが、▲5八角が唯一の受け。△3九金と、ボロッと銀を取られたが、▲4八玉がまた意表の応手で、これで耐えている。これぞ「天才・土佐」の面目躍如である。
谷川九段の自戦記は時折自虐的な記述があって微笑ましいが、当時の「近代将棋」では、「これで四段なんて信じられますか?」と、土佐四段の指し回しを称賛した。

そんな土佐四段だが、順位戦ではなかなか昇級できなかった。
第42期順位戦でようやく昇級昇段。さらに第48期順位戦でB級2組に昇級した。
だが順位戦の最高クラスは、ここまでだった。以後も昇級のチャンスは何度かあったが、いつもギリギリで届かなかった。
1999年、第32回早指し将棋選手権戦で、棋戦初優勝。準決勝で谷川九段、決勝で森内俊之八段を破る殊勲だった。
なお「将棋世界」に掲載された自戦記は、第11回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門の佳作を受賞した。
だが土佐八段のピークはここまで。以下は徐々にクラスを下げ、2017年にフリークラス転出。以降は65歳の定年を待ち、このたびの引退となったものである。
土佐八段の棋歴を振り返れば、早指し将棋選手権戦での優勝はあるが、白眉はデビューから数年の輝ける将棋である。それは目に見える記録には残らなかったが、将棋ファンの記憶にははっきりと残った。
なお、谷川九段との対戦成績は○○●●●○●の3勝4敗だった。
土佐先生、44年の現役生活、お疲れ様でございました。