4月に見た夢をアップしてしまおう。
まずは20日に見た夢。私は将棋を指していた。相手は将棋ソフトだったと思う。相手は居飛車で銀冠か穴熊だった。私は振り飛車銀冠だった気もするが、居飛車だった可能性もある。
私はうまく指し、それをブログ発表用に残しておこうと思った。本図、参考図、投了図などの図面を決めたが、そこで目が覚めてしまった。
私は再び眠ろうとし、そこでこの局面をしっかり記憶し、起きたらその局面を残しておこうと思った。
だがその局面が分かるはずもなく、私はまたも眠りに落ちた。
20日は午後に少し眠った。その時間、世の企業戦士はリモート活動をしているというのに、私は堕落している。
私はある会社に外注をし、その品物の到着を待っていた。だが家(工場)の前の道は一方通行になっているので、私はトラックに乗って、相手方(女性)の到着を待っていた。
相手方のトラックが来て、私の待つ横をすり抜けていったので、私は別の道から大回りして、工場に戻ろうとした。
そこで、強烈な尿意で目が覚めた。
続いて21日に見た夢。
舞台は自宅で、まだウチは自営の仕事をやっていた。得意先から、デジタルビデオテープが届いていた。これを見てくれ、ということらしい。
そして、家に黄信号氏が来ることになった。狭い家なので抵抗はあったが、オヤジは快諾してくれた。
しかし招き入れる部屋がない。私は2階に上がると、すでに黄信号氏がいた。そうか、2階に招けばいいのだと思った。
私はテープが再生できるハンディビデオカメラを探し、それはあったのだが、なぜか色違いの古いものだった。
あたりにはボルトやナットなどがごろごろ転がっていた。
というところで、目が覚めた。時刻は3時40分ごろで、当然私はもう一度寝た。
次に見た夢は、私がおばあさん3人を自動車でどこかへ連れていく、というものだった。
だがおばあさんが忘れ物をしたとかで、私はおばあさんを置いて、家に戻った。その間、おばあさんは先を歩いている。
私が戻るとおばあさんはかなり進んでいて、品川の先(といっても景色は日暮里駅前)、西日暮里方面が縁日になっていて、そこにおばあさんはいた。
場面変わって、将棋の盤面がチラチラ浮かんだ。
……というところで、目が覚めた。ただそれでも、時刻はまだ6時台だった。面倒なので、もう起きることにした。
続いて22日に見た夢。
私は5階建てくらいの工場にいた。私は階段を使って各階を行き来する。各階には曲者揃いの工員がいた。
場面変わって、別の5階建ての建物は、5階がユースホステルになっていた。私は宿泊に来たらしい。
3階と4階の階段の袂はトイレで、私は3階のトイレに降りる。すると泊りにきた女子をすれ違った。でも私は浴衣姿だった。どうも私はチェックインして、すでに着替えたらしい。
……というところで、目覚まし時計のベルに叩き起こされた。
さらに23日に見た夢。
ブログにアップした図面の修正をしているのだが、うまくいかず、イライラした。
以降も夢は見ているのだが、イメージ的なものが多く、うまく説明できない。そうして半日も経つと、すっかり記憶が霧消してしまう。
夢は生ものなのだ。
まずは20日に見た夢。私は将棋を指していた。相手は将棋ソフトだったと思う。相手は居飛車で銀冠か穴熊だった。私は振り飛車銀冠だった気もするが、居飛車だった可能性もある。
私はうまく指し、それをブログ発表用に残しておこうと思った。本図、参考図、投了図などの図面を決めたが、そこで目が覚めてしまった。
私は再び眠ろうとし、そこでこの局面をしっかり記憶し、起きたらその局面を残しておこうと思った。
だがその局面が分かるはずもなく、私はまたも眠りに落ちた。
20日は午後に少し眠った。その時間、世の企業戦士はリモート活動をしているというのに、私は堕落している。
私はある会社に外注をし、その品物の到着を待っていた。だが家(工場)の前の道は一方通行になっているので、私はトラックに乗って、相手方(女性)の到着を待っていた。
相手方のトラックが来て、私の待つ横をすり抜けていったので、私は別の道から大回りして、工場に戻ろうとした。
そこで、強烈な尿意で目が覚めた。
続いて21日に見た夢。
舞台は自宅で、まだウチは自営の仕事をやっていた。得意先から、デジタルビデオテープが届いていた。これを見てくれ、ということらしい。
そして、家に黄信号氏が来ることになった。狭い家なので抵抗はあったが、オヤジは快諾してくれた。
しかし招き入れる部屋がない。私は2階に上がると、すでに黄信号氏がいた。そうか、2階に招けばいいのだと思った。
私はテープが再生できるハンディビデオカメラを探し、それはあったのだが、なぜか色違いの古いものだった。
あたりにはボルトやナットなどがごろごろ転がっていた。
というところで、目が覚めた。時刻は3時40分ごろで、当然私はもう一度寝た。
次に見た夢は、私がおばあさん3人を自動車でどこかへ連れていく、というものだった。
だがおばあさんが忘れ物をしたとかで、私はおばあさんを置いて、家に戻った。その間、おばあさんは先を歩いている。
私が戻るとおばあさんはかなり進んでいて、品川の先(といっても景色は日暮里駅前)、西日暮里方面が縁日になっていて、そこにおばあさんはいた。
場面変わって、将棋の盤面がチラチラ浮かんだ。
……というところで、目が覚めた。ただそれでも、時刻はまだ6時台だった。面倒なので、もう起きることにした。
続いて22日に見た夢。
私は5階建てくらいの工場にいた。私は階段を使って各階を行き来する。各階には曲者揃いの工員がいた。
場面変わって、別の5階建ての建物は、5階がユースホステルになっていた。私は宿泊に来たらしい。
3階と4階の階段の袂はトイレで、私は3階のトイレに降りる。すると泊りにきた女子をすれ違った。でも私は浴衣姿だった。どうも私はチェックインして、すでに着替えたらしい。
……というところで、目覚まし時計のベルに叩き起こされた。
さらに23日に見た夢。
ブログにアップした図面の修正をしているのだが、うまくいかず、イライラした。
以降も夢は見ているのだが、イメージ的なものが多く、うまく説明できない。そうして半日も経つと、すっかり記憶が霧消してしまう。
夢は生ものなのだ。