一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

ベルサイユ(後編)

2010-09-15 00:48:38 | LPSAマンデーレッスン
ベルサイユ高田尚平六段との指導対局で早々と敗退し、時間が余った私は、船戸陽子女流二段に指導対局を受けることになった。なんと、ファンランキング1位の女流棋士と、1対1での対局である。緊張するなというほうが無理だが、ふたりの間に将棋盤があるので、何とか平常心を保って指せた。
将棋は私の三間飛車。船戸女流二段がなかなか☖8五歩を決めないので☗7五歩と伸ばし石田流に組んだが、指し方が分からず、船戸女流二段にいいように動かれた。最後は☖4六馬と☗7九飛取りに出られ、投了。飛車が逃げれば☖8五金と質駒の桂を取られ、☖3六桂を見せられたからだが、よく考えればこの瞬間に☗4七銀左と馬を追う手はあった。まあそれでも負けだろうが、ここで投了したのはちょっと淡泊だった。
感想戦の最中、藤森奈津子塾長(女流四段)が、10月からのNHK将棋講座のアシスタントに、山口恵梨子女流初段が起用されたことを教えてくれる。
それは先刻承知で大いに楽しみではあるが、私は新講師・高橋道雄九段による「駒落ちの指し方」のほうが興味深い。金曜サロンは会員同士で駒落ちの将棋が多いので、参考にしたいのだ。
キリのいいところで、高田六段の自戦解説が始まる。教材は森けい二九段との一戦。「高田流左玉」の快勝譜で、いちど試したくなる戦法だった。
金曜サロンの会員でもあるIz氏が帰るところだったので、いっしょにサロンを出る。そのまま駅に向かうのかと思いきや、Iz氏がある居酒屋に入ろうとする。マンデーレッスン御用達の店で、私もその店名は知っている。金曜サロンのメンバーはジョナサンだが、マンデーレッスンのみんなは、この居酒屋にゲストの棋士を誘うのだ。
Iz氏はあとからマンデーのみんなも来ると確信していて、私はそのまま帰るか居酒屋に入るかの選択を迫られたが、最初で最後の機会なので、Iz氏に従った。
とりあえず生ビールを頼む。先日の金曜サロン、放課後のジョナサンにIz氏がいたらしいのだが、私はその記憶がまったくなく、Iz氏に呆れられた。Iz氏の存在感が薄いのか、私の記憶力がわるいのか。恐らく後者であろう。
対局を終えたTag、Ikk、Itoの各氏が来る。金曜サロンもメンバーもキャラクターが濃いが、マンデーレッスンのメンバーもそれに劣らない。いつか金曜サロンVSマンデーレッスンの団体戦三番勝負でも行えれば面白いと思う。
Tag氏は、先日発表された将棋ペンクラブ大賞で、ファンである早水千紗女流二段が観戦記部門優秀賞を受賞したので、上機嫌だ。ちなみにTag氏と私の女流棋士ファンランキングはまったく違う。両方のトップ10に名を連ねている女流棋士はいないのではないか。室谷由紀女流1級も山口女流初段も、Tag氏のそれには入っていないと思う。人が変われば順位も変わる、ということだ。
Iz氏の読みが当たり、高田六段と藤森女流四段がいらっしゃる。高田六段とは昨年の8月14日、石垣島バスターミナルで偶然再会し、ベンチで小1時間お話をさせていただいた。
高田六段が生ビール、藤森女流四段がソフトドリンクをオーダーして、本日3度目の乾杯。
高田六段との酒は楽しかった。その中で感心したのは、「駒」に関することだった。
高田六段は、「一字駒」、それも活字体(明朝体)のものを普及させたいと考えている。それは高齢者向けのためと思いきや、外国人向け、とのことだった。
外国人は駒に書かれてある行書体がよく読めず、「龍王」や「龍馬」、「圭(成桂)」や「杏(成香)」の見分けがつかないという声を聞くという。だから、本や雑誌に書かれている活字をそのまま駒に書けないか、というわけだ。
飛車や角の裏は「竜」「馬」で通常の一字駒と変わらないが、銀や桂なども同様に、「成銀」「成桂」と表記する。ここが大きなポイントである。これなら日本人でも、金と成銀(全)を間違えて「成銀」を打つ反則もなくなる。
これはグッドアイディアだと思う。LPSAでは一部似たような駒を製作しているが、利益を度外視して、造ってみる価値はあるのではないだろうか。
ところで高田六段には、前からお聞きしたかったことがある。高田六段は往年の美青年で、「ベルサイユ高田」の異名を持つが、その名付け親は誰か、ということだ。
高田六段にだいぶ酒が入ったみたいなので勇気を出して聞いてみたら、対する高田六段の答えは、自分も詳しくは分からないが、現指導棋士の六段氏(KさんだったかYさんだったか、失念した)が付けたらしい、とのことだった。
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ベルサイユ(前編)

2010-09-14 19:10:30 | LPSAマンデーレッスン
13日(月)のLPSAのマンデーレッスンは、ベルサイユ高田尚平六段がゲスト講師だった。昨年の石垣島旅行のとき、台風で時間を持て余していた私は「第1回 八重山子ども将棋まつり」にお邪魔し、そこに講師で来ていた高田六段に、たいへんよくしてもらった。その日から、もし高田六段がLPSAサロンのゲスト講師に来られることがあったら、指導対局を受けようと決めていたのだ。1年余が経ったが、きょうついにその日がやってきた、というわけだ。
駒込へ行く前に、自宅最寄駅近くにある松屋(牛丼専門店)に入る。牛丼(並)は通常320円だが、現在はキャンペーン中で、250円である。これに生野菜(100円)をつけても計350円という安さだ。
券売機でチケットを買い、かっ食らう。しかしその途中で、何かがおかしい、と気づいた。牛丼に無料でついてくる、みそ汁が出ていないのだ(吉野家のみそ汁は有料である)。あの中国人の女性店員、うっかりしやがって、ボケ…とイライラしながら、牛丼をかっ食らう。牛丼はお上品に食べていてはダメだ。「かっ食らう」のがいい。
牛丼を半分くらい食べたころか、その店員が気づいて、そっとみそ汁を出した。
こういう場合、どうするか。
いまごろ出てきたって遅いよ、という態度で、私はみそ汁には箸をつけない。店員は自分の落ち度に気づいてないだろうが、アンタしっかりしろよ、と箸をつけないことで無言の指摘をするのが、私流である。
午後6時少しすぎ、気分を害したまま、サロンに入る。駒込でマンデーレッスンを受けるのはこれが最後だ。きょうの受付は藤森奈津子塾長(女流四段)と船戸陽子女流二段。17日の金曜サロンのコンビでもある。
高田六段出題の実戦次の一手のプリントが配られ、それをムッツリしたまま考える。牛丼の件が頭から離れないのだ。まったくケッタクソわるい。そこへ、大沢さん、と声をかけられたので、ああン? という態度で振り向いたら、声の主は高田六段で、私は思わず居ずまいを正してしまった。
昨年の石垣島での御礼を述べ、今年の子供大会をお手伝いできなかったことをお詫びする。
定刻より少し早く、指導対局開始。私は角落ちを所望した。戦型は、戦前の予定どおり三間飛車にした。ガッチリ美濃囲いに組んで、あとはガンガン攻めていくハラである。
しかし15手目に☖2二飛と振られ、やや予定が狂った。それでも私は☗7五銀~☗7六飛~☗9七角と攻撃態勢を整え、☗6五歩と仕掛ける。やや無理攻めだったが、角落ちのハンデがあるので、何とかなりそうな気はした。
ここで中盤の局面を記す。

上手(角落ち)・高田六段:1一香、1三歩、2一飛、3三桂、3四歩、4二王、4三銀、4四歩、5三銀、5四歩、6二金、6三金、6四歩、7四歩、8一桂、8三歩、9一香、9六歩 持駒:歩2
下手・一公:1七歩、1九香、2七歩、2八銀、2九桂、3七歩、3八玉、4七歩、4八金、5六歩、6五歩、6九金、7五銀、7六飛、8六角、8七歩、8九桂、9九香 持駒:歩

☖7四歩(打)まで。以下の指し手を、思い切って終局まで書いてしまおう。

☗6四銀☖同金☗同角☖7五銀☗同飛☖同歩☗9一角成☖7三桂☗8二馬☖6六歩☗5八銀☖6五桂☗8三馬☖6四銀☗7四金☖5三銀☗6四香☖4五桂☗6二香成☖6七歩成☗6三成香☖5七桂右成☗5三成香☖同王☗3三銀☖5二銀☗7三馬☖4三王☗3二金☖3五歩 まで、高田六段の勝ち。

☗6四銀と切り込み、☖同金に最初は☗同歩と取るつもりだった。以下☖7五銀には☗同角☖同歩☗6六飛で、次の☗6三歩成が受けにくい。
しかしこんな駒損の攻めが通るだろうかと考え、その順は見送ったのだが、☗6四同角は明らかに自爆だった。ここで高田六段はしばらく考えて☖7五銀としたが、☗同飛☖同歩☗9一角成の振り替わりは、一応こちらの主張も通った形だ。☖7五銀ではふつうに☖6四同銀と角を取られていたら、☗同歩のあとに☖7五銀と打たれ、こちらが指し切っていた。
☖6四同銀ははじめに浮かぶ手。それを上手が見送ったのは、それだと大勢が決してしまう(下手負け)からだ。対局時は気づかなかったが、いまこうして並べ返してみると、随所で上手が緩めてくれているのが分かる。
高田六段は「うん…」「なるほど…」と、こちらの指し手に感心したように、ゆったりした手つきで応じてくるが、本当のところは、どうやって下手が分からないように緩めようか…と頭を悩ませていたに違いない。
数手進み、私は☗6四香と金取りに打ったが、これはよくなかった。高田六段は構わず☖4五桂と跳ねてきたが、これが駒の損得よりスピードを地でいく一手で、まったく考慮の外だった。
私は勢い☗6二香成。上手☖6七歩成。上手が攻め合いにきたので、私は喜んで☗6三成香と引く。ここで上手が☖5八とと銀を取らず、☖5七桂右成と攻めをためてきたのが、これまた唸る一手だった。自分の考えてない手をこう何度も指されては、さすがに才能の差を感じて、戦意を喪失してしまう。
戻って☗6四香では☗7五金と引き、あくまでも☖6五桂を取りにいくのがよかった。打ったばかりの金を引くのは気が利かないが、次に☗6五馬と桂を取る手が実現すれば、盤上はこちらが制圧する。☖4五桂と跳ねられたあたりで☗7五金に気づいたのだが、遅かった。
最後は下手の細い攻めを上手に凌がれ、無念の投了となった。上手に何度も緩めてもらいながら、それでも勝てない。相手がプロなのだから当然といえば当然だが、上手をまったく追い込めない自分の未熟が情けなかった。
(つづく)
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9月10日のLPSA金曜サロン・ラー油をプレゼントする

2010-09-13 00:20:34 | LPSA金曜サロン
10日のLPSA金曜サロンは、1部が大庭美夏女流1級、2部が中井広恵女流六段の担当だった。私が沖縄旅行から帰京して1ヶ月足らず。ついにこの日、中井女流六段に「石垣島ラー油」を差し上げることができるのだ。
午前中に上田初美女流二段との指導対局を終えたが、会館道場開席が午後3時からでは、駒込に向かうしかない。しかし時間が余っている。「石垣島ラー油」の大判袋を持って街中をうろうろしたくないので、いったん自宅に戻る。
「笑っていいとも!」のコーナーゲストはMAX。LINAが魅力的だった。
1時からは「DON!」を見る。きょう9月10日は、1995年に亡くなった山田康雄の生誕日だそうで、その特集をやっていた。そのあとは韓国の人気グループ「少女時代」が出演。9人とも顔はもちろん、朱里エイコを彷彿とさせる美脚が自慢である。LPSA女流棋士で、これほどの美脚をもつ少女がいるだろうか。あ…LPSA女流棋士には「少女」がいないのだった。
LPSA金曜サロンに入る。駒込金曜サロンもあと3回だ。
大庭女流1級との指導対局の前に、Is氏と通常対局。Is氏の右玉作戦がバッチリ当たって、私の完敗だった。
大庭女流1級との指導対局は激戦だったが、詳細は後日に譲る。
中井女流六段との指導対局の前に、大盤解説。きょうの題材は、1975年に関西奨励会で指された、谷川浩司初段対植山悦行1級との将棋だった。中井女流六段が植山現七段の奨励会時代の棋譜を探して、持ってきてくれたのだ。
将棋は後手谷川初段の中飛車に植山1級の☗5七銀左戦法。谷川初段が袖飛車に振り直し猛攻をかけると、植山1級も強く迎え撃ち、激戦となった。
栴檀は双葉より芳し。当時谷川初段は12歳だったと思われるが、何もないような局面から巧妙に手を作り、植山玉に迫っていく。とても奨励会初段とは思えない指し手で、その切れ味鋭い攻めは現在とまったく変わらない。対して植山1級の綱渡りの受けがこれまた絶妙で、最後はキッチリ一手余して勝った。植山1級も奨励会員とは思えない強い将棋で、このころが植山現七段の全盛期だったのだと思った。
中井女流六段との指導対局は40数手で終わり、Kun氏とのリーグ戦に入る。後手三間飛車に急戦で臨んだが、中盤、☖3五歩を手拍子で☗同歩と取ったのが敗着級の悪手で、☖3五同銀☗3三角成☖同桂のあとに、☖5五角の(3七)桂(9九)香両取りと☖3六歩の桂取りが受からず、敗勢となった。
これでKun氏には恐らく、リーグ戦で4連敗。ちょっと私も鍛え直さなければならない。
まだ時間があるので、異例だが、再びIs氏と通常対局。私の四間飛車にIs氏の5筋位取り。中盤で私が☖1三香と上がったのが悪手だったようで、1964年の棋聖戦五番勝負の関根茂七段のごとく、☗7九角と☖1三香に狙いをつけられて、二進も三進も行かなくなった。けっきょくこの将棋も完敗。
これでこの日は、午前の1局を含め、1勝5敗。サロンでこんなに負けたのは初めてである。まあ負けは実力だから仕方ないとしても、内容がわるい。このままでは1ヶ月半後の社団戦が思いやられる。
放課後は、私も含めた先発隊が、まずジョナサンへ向かう。入店後、沖縄出身のウェイトレスさんに
「(ここへ来るのも)あと3回です」
と告げる。彼女には、将棋サロンが移転することをだいぶ前から伝えていた。
「さびしいですぅ。田町の帰りにこちらに遊びにキテクダサイ」
と、嬉しいことを言ってくれる。お互いしんみり、というところだ。
植山七段が久々に登場した。きょうは対局だったらしい。大野八一雄七段、安西勝一六段もいっしょだ。植山七段にお会いするのは久しぶり。対局にも勝ったそうで、まずはめでたい。
大野七段に、
「大沢さん、少し大きくなったんじゃない?」
と言われる。太ったんじゃない? という意味だ。やはりプロ棋士の目はゴマかせない。最近の私は、生活も体もすっかりたるんでいる。これは本当にダイエットをしないとマズいと思う。
やっと中井女流六段が現われる。いままで何回も書いてきたことだが、中井女流六段は日本を代表する女流棋士である。以前Kun氏が林葉直子さんを称して
「女流棋士は『林葉直子』なんですよ」
と名言を述べたが、中井女流六段も同じようなものだ。その女流棋士と席を同じにできる幸せをあらためて感じる。
そんな中井女流六段は、先日行われた倉敷藤花戦準決勝で岩根忍女流二段に屈した。あと2歩で倉敷行きだっただけに残念だったが、私自身は、マッカランの贈呈がなくなってホッとした、というところだ。
中井女流六段に、「石垣島ラー油」のロゴが入った大袋を渡す。100ml入りのラー油2本に加え、ラー油を使ったレシピ集も買ったため、入れる袋が大きくなったのだ。いくら中井女流六段がギョーザ作りが得意だとはいえ、それだけで計200mlのラー油を消費するのは容易ではない。それゆえこのレシピ集は必須なのだ。しかし多忙な中井女流六段、ギョーザを作る時間があるのかさえ疑わしい。とりあえず1年前の約束は果たせた。
「いいなあ。私も沖縄行きたい」
と中井女流六段。沖縄本島や石垣島へはあるが、宮古島へは行ったことがないそうだ。また八重山諸島の鳩間島にも行ったことがないという。
「それはいけません。鳩間島はいいですよオ。何もないのがいい。一度訪れることをオススメします」
私が初めて鳩間島に行ったときのエピソードも交え、私は中井女流六段に力説した。
と、ラー油のお返しというわけではないだろうが、中井女流六段も私にプレゼントをくれる。JR九州肥薩線・一勝地―真幸間の記念切符と、レアもののテレホンカード2枚だ。そのうちの1枚は、
「ウチにはもうこの1枚しか残ってないけど、これは私より大沢さんの手にあったほうがいいと思って」
という、超貴重品だった。中井女流六段にこうしたものをいただけるとは、本当にありがたいことだと思う。私は大いに感激し、
「女性の美しさはやっぱり40すぎてからですよねえ」
と本心を言ったら、中井女流六段にブフッ、と吹き出されてしまった。
ホントはそんなこと思ってないくせに、とでも言いたかったのだろう。そんな中井女流六段の表情がまた、かわいらしかった。
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女流棋士スーパーサロン金曜日・上田初美女流二段⑤

2010-09-12 00:34:41 | 女流棋士スーパーサロン
昨年春から仕事が少なくなり、金曜日が休みになってから、女流棋士スーパーサロンにしばらく通った。オヤジが仕事をしているのに、若い自分が家でゴロゴロしているのは気がひけたのと、LPSA以外の美人女流棋士にも一局教えていただきたかったからである。その金曜日は上田初美女流二段と藤田綾女流初段が交代で務めており、マンネリ感もなく、好都合だった。
しかし…。冒頭で述べたとおり、最初は6週間連続で通ったが、そこでプッツリと止めてしまった。このころから私は毎日ブログを書き始め、金曜日の午前中が、執筆にうってつけの時間だったからである。前日(木曜日)の深夜に一心不乱に書くときもあり、それから金曜の朝に早起きして将棋会館に向かうのが辛くなった、ということもある。
日本将棋連盟の支部会員になると指導料(あとの将棋道場も含む)が500円割引になるので、昨年7月の上旬に支部個人会員になったが、スーパーサロンの割引は1回行使しただけだったと思う。結果的に、支部個人会員(将棋世界会員)会費のモトは取れなかった。
それから秋口にかけて仕事量も回復し、お陰さまでスーパーサロンに行く時間はなくなったのだが、いざそうなってみると、平日の朝から女流棋士に将棋を教わっていた環境が、とても贅沢だったことに気がついた。ワークシェアリングは二度とあってはいけないのだが、また仕事がヒマになり、金曜日が休みになったら、女流棋士会スーパーサロンに通ってみようと思った。
そんな折、また仕事が少なくなって、金曜日が休みになってしまった。私はやむを得ず、スーパーサロンに出向くことにした。それが今月の10日、上田初美女流二段の回である。
ラフな格好で将棋会館に着くと、掲示板に「大山康晴賞授賞式」と案内がある。スーパーサロンは地下1階、となっていた。前は会館道場がある2階で行われていたが、1年間通わないうちに、システムが変わったのだろうか。
受付をするときに聞いたら、「大山賞授賞式」が行われる関係で、道場は午後3時まで休み。それに伴い、スーパーサロンも、地下に追いやられてしまったというわけだった。
チッ、久々の将棋会館での対局だったのに、なんて間がわるいんだ。しかし泉下の大山先生に文句は言えない。
スーパーサロンは10時の回と10時半の回と最大7名だが、10時の客は私も含めふたりだけだった(そのあと、もうひとり来た)。もし上田女流二段と1対1の対局だったら、イヤな汗が出るところだった。中倉宏美女流二段や島井咲緒里女流初段とのサシでの指導対局は胸がときめくが、女流棋士会の女流棋士とのそれは、ちょっと様相が変わるのである。
上田女流二段との成績は1勝3敗だが、懲りずに平手で教えていただく。上田女流二段のゴキゲン中飛車。私は☗3七銀~☗4六銀の超急戦で臨んだが、☗4六銀をうっかり後回しにしたために、すかさず☖5六歩と突かれ、早くも構想が破綻した。
それでも私が不利になったわけではなく、なんとかがんばる。
では、こちらも十分だったのではないか、という局面を記してみよう。女流棋士会および上田女流二段には許可を取っていないが、かまうもんか。

上手・上田女流二段:1一香、1四歩、2一桂、2四歩、3三銀、3六歩、4二角、4五歩、5一飛、6一金、6三歩、7二銀、7三歩、8一桂、8二王、8四歩、9一香、9四歩 持駒:銀、歩4
下手・一公:1六歩、1九香、2八飛、2九桂、4七金、4九金、5五歩、6五歩、6六銀、7八玉、7九角、8七歩、8九桂、9六歩、9九香 持駒:金、歩

4五の地点で金銀交換になった局面で、下手の手番。ここで私は☗4三金と打ったが、重かった。対局中は、次に☗3四歩があり、☖同銀は角がタダだから下手必勝、と考えていた。しかし☖3一角と引かれ、☗4三金がスカタン気味になり、アオくなった。そのあと☗3六金と歩を払ったが、これでは変調である。以下は上田女流二段に手早くまとめられ、94手までで負かされた。
私が感想戦で
「☗4三金では(すべてを含みに残して)☗5六金と上がる一手でした」
と言うと、
「それは☖3七歩成がありますけど」
と上田女流二段。しかし私も
「でもそれ(☖3七歩成☗同桂☖3六歩)は桂が手順に4五へ跳んで、こちらも指せませんか」
と譲らない。
「ううん…」
「じゃあ☗4三金を決めずに、単に☗3六金はどうだったでしょう」
「そうですね、本譜の進行なら、打たないほうがトクでしたね」
私が☗5六金説を譲らないので、けっきょく上田女流二段が折れた形となった。
このあと上田女流二段には、☗4六銀が遅かったので、☖5六歩が突けて上手が指しやすくなった、☖4三金に☗8八角は好手だった、との講評をいただけた。
女流棋士会の女流棋士に指導を受けていていつも思うのは、実に皆さん、最新定跡を勉強しているということだ。やはりアマチュアに指導をする以上、定跡最前線はアタマに入れていて然るべきだろう。
米長邦雄日本将棋連盟会長指揮の下、女流棋士は着実に棋力を向上させているようである。
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駒込から芝浦へ

2010-09-11 09:53:34 | LPSA金曜サロン
このブログの読者なら先刻承知だろうが、LPSAが10月に駒込から芝浦へ移転する。
私は駒込までJR山手線の初乗り料金で行ける距離に住んでおり、午後6時に仕事を終えても、女流棋士に指導対局をいただける、ヒトも羨む環境にあった。そしてそれが、私がLPSA金曜サロンへ通い始めた唯一にして最大の理由でもあった。
その後、LPSA女流棋士の優しさに好感を持ち、植山悦行手合い係の人柄に惹かれ、船戸陽子女流二段の移籍に感謝し、LPSA金曜サロンは、私の生活に欠かせないものとなった。本当に金曜日がくるのが楽しみだった。
そして放課後の食事会。これがまたサロン以上に楽しく、会員とのバカ話は、日ごろのウサを忘れさせてくれた。
地元に住んでいる会員は別にして、私は徒歩でもなんとか帰れる距離に住んでいるから、終電の心配をしなくてよいのも大きかった。つまり、みんなが帰り支度を始めるまで、私はなんの憂いもなく、話に没頭できたのである。ここだけの話、私は大きな優越感に浸れていた。
ところが今回、寝耳に水の、移転の報である。しかし新天地の芝浦、最寄駅でいえばJR田町駅だが、拙宅からはいかにも遠いのだ。駒込サロンへはドア・トゥー・ドアで20分で着いたが、芝浦だと、あと20分は余計にかかるようなのだ。
サロンへの所要時間が倍になる。
これは私にはたいへんな問題である。地方に住んでいて、時間はあるのに金曜サロンに行けない、という愛棋家には、「20分余計にかかるくらいなんでもないじゃないか」というところだろうが、私の実感はそうなのである。
むろんサロン会員は都内近郊に散らばっており、芝浦移転は各会員に一喜一憂がある。駒込から芝浦への距離ぶんがまるまる長くなる人もいれば、どちらでも距離的には変わらないという人もいるし、徒歩で行けるようになる、と喜んだ会員もいる。この、私より近い場所に住む人がでてきた、これが私には我慢できない。家からサロンまで近いという私の自慢が、これで霧消してしまうのである。
もし私が8月までのように、3時半ごろまで仕事をし、早びけする形でサロンに向かっていたら、芝浦移転を機に、サロンへ行く回数を減らすつもりだった。
そんな折、また私は8月から、金曜日の仕事が休みになってしまった。これでは少なくとも、行きの所要時間は関係がなくなる。けっきょく、芝浦へはまた足繁く通うことになりそうである。
ただし。移転に伴い、金曜サロンのシステムが変更になるが、これが少々厄介である。私は現在のシステムが最良と信じているので、その新システムがLPSAから公表されても、はいそうですか、と素直に受け入れることはできないと思う。
10月以降、私が芝浦サロンにどうかかわっていくかは、現在のところ、未定である。
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