とうとうこの日がやってきてしまった。2010年9月24日。LPSA駒込金曜サロン、最後の日である。開席第1回が2007年7月、私が初めてサロンを訪れたのが2008年3月14日だから、それから2年7ヶ月の歳月が流れたことになる。
新宿へ寄り道したあと、午後2時30分、駒込サロンに入る。これが122回目の入場だ。表の立て看板はすでに外されていて、移転の準備が着々と行われていることを表していた。
この日は1部が大庭美樹女流初段、2部が中倉宏美女流二段の担当だった。奇しくも前週開かれた、将棋ペンクラブ贈呈式の指導棋士と同じである。今回が金曜サロン最終日だからか、会員の数は多かった。
手合い係の神田真由美女流二段が、いままでの御礼にと、お菓子セットをくれた。この日来場全ての人に渡したようである。こうした配慮は神田手合い係らしい。そして
「Wさんと大沢さんはまだリーグ戦やってませんね。お願いします」
と言った。
W氏と私はサロンの常連なので、いつでも対局はできる。そこで前回あたりから、「オレたちのリーグ戦は、最終日に対局しよう」という取り決めをしていた。今回は駒込金曜サロンの最終日でもあるので、あまり早々と決戦をしたくない。
私たちは神田手合い係の手合をやんわりと拒絶したが、いま対局をしていないのも私たちだけだ。そこで渋々?W氏と最後の対局を指すことになった。
終局後、窓外を見る。近くの学校から、女子中学生が下校をしている。この大きな窓からその光景を観賞するのも、これが最後だ。この日は2日前とうって変わって、冬のような寒さだった。女子中学生もセーターを着ている。
私が高校生のとき、駒込は通学の途中駅だった。帰りの山手線では、大量の女子中学生や高校生が乗ってきたことがたびたびあったが、彼女らがサロン近くの学校だとは思わなかった。
この日はどんどん対局がつき、さらに2局、会員と将棋を指す。その中に見覚えのある方がいたが、よく思い出せない。聞けばこのブログに時々コメントをくださる方だった。そうだ、彼とは6月の1dayトーンメント「Tefu×NIS CUP」でも隣の席でおしゃべりしている。すっかり忘れていた。
神田手合い係は対局者にお茶を置いたり、それがなくなれば注ぎに行ったりと、こまめに動く。対局でピンと張り詰める空気の中、女性手合い係には癒される。
石橋幸緒天河の自戦大盤解説(対甲斐智美女王・女流王位・女流名人位戦A級リーグ)を挟み、大庭女流初段、中倉女流二段に指導対局を受ける。金曜サロンでの指導対局は、この2局で183。我ながらよく教わったものだと思う。
実はその最後の2局が予想もしない結果になったのだが、この詳細は後日。
指導対局の合間にも、前週のペンクラブ大賞贈呈式でお見かけした五段氏と指したり、Wはなちゃんと指したりで、この日は都合7局も指した。金曜サロンは女流棋士との指導対局がメインなので、ほかに5局も指せれば十分である。
9時を過ぎた。まだ中倉女流二段の指導対局は2局残っていたが、私たち先発隊は一足先にサロンを離れる。いままで金曜サロンには本当にお世話になった。
「さらば! 金曜サロン!」
私は一礼して、ジョナサンへ向かう。ここ1年は金曜サロンでの対局よりも、その後の食事会が楽しみだった。しかしそれも今回で最後である。
ジョナサンでは沖縄出身のウェイトレスさんが迎えてくれた。これだけ通えば、私たちの存在は覚えてくれている。彼女には将棋道場の移転をすでに伝えてあるので、きょうはちょっとしんみりした雰囲気だ。
後発隊も到着ししばらく経つと、イケメンスタッフ氏と一緒に、なんと中倉女流二段も顔を見せた。中倉女流二段がジョナサンに顔を見せるのは初めて。駒込サロンの常連でよかったと感じるが、テーブルが別々になったので、中倉女流二段とは話をすることができない。前週のペンクラブ大賞贈呈式二次会のときといい、今回といい、席運がわるい。ともあれこれで入店者は14人となり、ジョナサン駒込店での掉尾を飾るに相応しい大人数となった。
沖縄のウェイトレスさんが料理を運んでくる際、
「ほかに行っても、また来てください。私は金曜日が担当ですから」
と嬉しいことを言ってくれる。食事とドリンクバーのセットだけで3時間も長居する客に対して、ありがたい言葉である。
食事のあと、以前このブログのコメント欄にあった、
「中倉女流二段はいつ大型バイクの免許を取ったか」
という質問を中倉女流二段に訊く。彼女の答えは
「6年前です」
だった。
Ho氏が一足先に帰り、Wパパと2人のお嬢さんが帰り、中倉女流二段とTod氏が帰り、Kun氏が帰る。ジョナサンにも、そろそろお別れの時間が近づいてきた。
さてそろそろお開きにしようか、というところでTat氏とイケメン氏が生ビールを注文する。11時58分。このふたりの酒好きはどうしようもない。
運ばれてきたビールをとっとと飲んでもらって、ついに席を立つ。と、沖縄のウェイトレスさんが飛んできて、深々とお辞儀をした。
それは私たちも同じで、長い間お世話になりました、とお辞儀を返す。駒込金曜サロンの別れもさみしかったが、ジョナサンの別れもまた、さみしかった。
新宿へ寄り道したあと、午後2時30分、駒込サロンに入る。これが122回目の入場だ。表の立て看板はすでに外されていて、移転の準備が着々と行われていることを表していた。
この日は1部が大庭美樹女流初段、2部が中倉宏美女流二段の担当だった。奇しくも前週開かれた、将棋ペンクラブ贈呈式の指導棋士と同じである。今回が金曜サロン最終日だからか、会員の数は多かった。
手合い係の神田真由美女流二段が、いままでの御礼にと、お菓子セットをくれた。この日来場全ての人に渡したようである。こうした配慮は神田手合い係らしい。そして
「Wさんと大沢さんはまだリーグ戦やってませんね。お願いします」
と言った。
W氏と私はサロンの常連なので、いつでも対局はできる。そこで前回あたりから、「オレたちのリーグ戦は、最終日に対局しよう」という取り決めをしていた。今回は駒込金曜サロンの最終日でもあるので、あまり早々と決戦をしたくない。
私たちは神田手合い係の手合をやんわりと拒絶したが、いま対局をしていないのも私たちだけだ。そこで渋々?W氏と最後の対局を指すことになった。
終局後、窓外を見る。近くの学校から、女子中学生が下校をしている。この大きな窓からその光景を観賞するのも、これが最後だ。この日は2日前とうって変わって、冬のような寒さだった。女子中学生もセーターを着ている。
私が高校生のとき、駒込は通学の途中駅だった。帰りの山手線では、大量の女子中学生や高校生が乗ってきたことがたびたびあったが、彼女らがサロン近くの学校だとは思わなかった。
この日はどんどん対局がつき、さらに2局、会員と将棋を指す。その中に見覚えのある方がいたが、よく思い出せない。聞けばこのブログに時々コメントをくださる方だった。そうだ、彼とは6月の1dayトーンメント「Tefu×NIS CUP」でも隣の席でおしゃべりしている。すっかり忘れていた。
神田手合い係は対局者にお茶を置いたり、それがなくなれば注ぎに行ったりと、こまめに動く。対局でピンと張り詰める空気の中、女性手合い係には癒される。
石橋幸緒天河の自戦大盤解説(対甲斐智美女王・女流王位・女流名人位戦A級リーグ)を挟み、大庭女流初段、中倉女流二段に指導対局を受ける。金曜サロンでの指導対局は、この2局で183。我ながらよく教わったものだと思う。
実はその最後の2局が予想もしない結果になったのだが、この詳細は後日。
指導対局の合間にも、前週のペンクラブ大賞贈呈式でお見かけした五段氏と指したり、Wはなちゃんと指したりで、この日は都合7局も指した。金曜サロンは女流棋士との指導対局がメインなので、ほかに5局も指せれば十分である。
9時を過ぎた。まだ中倉女流二段の指導対局は2局残っていたが、私たち先発隊は一足先にサロンを離れる。いままで金曜サロンには本当にお世話になった。
「さらば! 金曜サロン!」
私は一礼して、ジョナサンへ向かう。ここ1年は金曜サロンでの対局よりも、その後の食事会が楽しみだった。しかしそれも今回で最後である。
ジョナサンでは沖縄出身のウェイトレスさんが迎えてくれた。これだけ通えば、私たちの存在は覚えてくれている。彼女には将棋道場の移転をすでに伝えてあるので、きょうはちょっとしんみりした雰囲気だ。
後発隊も到着ししばらく経つと、イケメンスタッフ氏と一緒に、なんと中倉女流二段も顔を見せた。中倉女流二段がジョナサンに顔を見せるのは初めて。駒込サロンの常連でよかったと感じるが、テーブルが別々になったので、中倉女流二段とは話をすることができない。前週のペンクラブ大賞贈呈式二次会のときといい、今回といい、席運がわるい。ともあれこれで入店者は14人となり、ジョナサン駒込店での掉尾を飾るに相応しい大人数となった。
沖縄のウェイトレスさんが料理を運んでくる際、
「ほかに行っても、また来てください。私は金曜日が担当ですから」
と嬉しいことを言ってくれる。食事とドリンクバーのセットだけで3時間も長居する客に対して、ありがたい言葉である。
食事のあと、以前このブログのコメント欄にあった、
「中倉女流二段はいつ大型バイクの免許を取ったか」
という質問を中倉女流二段に訊く。彼女の答えは
「6年前です」
だった。
Ho氏が一足先に帰り、Wパパと2人のお嬢さんが帰り、中倉女流二段とTod氏が帰り、Kun氏が帰る。ジョナサンにも、そろそろお別れの時間が近づいてきた。
さてそろそろお開きにしようか、というところでTat氏とイケメン氏が生ビールを注文する。11時58分。このふたりの酒好きはどうしようもない。
運ばれてきたビールをとっとと飲んでもらって、ついに席を立つ。と、沖縄のウェイトレスさんが飛んできて、深々とお辞儀をした。
それは私たちも同じで、長い間お世話になりました、とお辞儀を返す。駒込金曜サロンの別れもさみしかったが、ジョナサンの別れもまた、さみしかった。