JR千駄ヶ谷駅構内で立ち食いそばを食う。券売機で食券を買うシステムだが、Suicaで「月見そば」(300円)のパネルに触れてしまった。チッ、「かけそば」(240円)で十分だったのに、うっかりした。玉子代60円は高いと思う。
JR駒込駅へ向かう。千駄ヶ谷から駒込へは、自宅から駒込に行くより時間がかかるが、LPSAが田町(芝浦)に移転すると、千駄ヶ谷から駒込への所要時間とほとんど変わらなくなる。まあ毎週スーパーサロンへは行かないから、自宅→千駄ヶ谷→田町、というルートは稀だろうが、「駒込サロン」が「金曜サロン」に変わっても、通いつづける理由のひとつにはなる。
午後3時半ごろ、LPSA金曜サロンに入る。今回を含めて、あと2回だ。きょうの担当は1部が藤森奈津子女流四段、2部が船戸陽子女流二段であった。
すでに藤森女流四段は4面指しをしている。さらに順番待ちの会員もいる。私の予定では2時少し過ぎに入室し、この時間にはもう藤森女流四段との指導対局が佳境に入っているはずだった。しかしその計画は根底から崩れ、船戸女流二段との指導対局は、もうむずかしい状況になっていた。
Tat氏の顔が久々に見える。2週間顔を見なかったから久しぶりだ。金曜サロンでは、レギュラー会員が2週間休むと、病気扱いされる。W氏の場合はもっと極端で、夕方になっても顔を見せないと、事故にでも遭ったのか? とみんなが心配する。
そのTat氏、自宅にあった女流棋士関係の本を持参して、私にくれるという。中を見たがかなりのレア物だったので、それはTat氏が持っていたほうがいい、と固辞した。
櫛田陽一手合い係が「女流棋士の本」を見ている。これは私も中井広恵女流六段から戴いたが、まだ中身はほとんど見ていない。私も覗きこむが、巻末の女流棋士名鑑が圧巻だ。いま指導中の藤森女流四段の顔写真が若い。さすがに美人である。
船戸女流二段の写真もある。櫛田手合い係の見立てでは「このころのほうがかわいい」だったが私の意見は逆で、船戸女流二段はいまのほうがはるかに美しく、魅力的だと思う。彼女は歳を重ねるにつれてイイ女になるタイプである。
中倉宏美女流二段の写真もしかり。彼女もいまのほうが垢ぬけた感じで、断然いい。
この本は2003年の発行で、第15回将棋ペンクラブ大賞一般部門佳作を受賞した名著だが、写真は必ずしもリアルタイムのものを載せていない。藤森女流四段は、2003年よりはるか前の写真だろう。生年月日を見ると、けっこうな数字で、櫛田手合い係と顔を見合わせてビックリする。
「藤森さん、来年は○歳ですか…」
「ええっ、そうなんですか!? 今年が2010年だから来年は…あ、そうか。これは驚きましたねえ」
「そんな歳には見えないよねえ」
「人生○年か…。でも若いですよねえ」
藤森女流四段は黙って将棋を指しているが、コメカミに青筋が立っている。この話題はもう終わりにしたほうがよい。
船戸女流二段が見えたようだ。直訴すれば藤森女流四段との指導対局を飛ばして船戸女流二段に教えていただくことはできる。しかし特別扱いは自分自身が許さない。藤森女流四段の指導対局席が空いたので、私はそこに座った。
このブログで何度も書いてきたが、私が金曜サロンで初めて教わった女流棋士は、藤森女流四段だった。当時はお互い「三段」。その後、どちらも実力でなしに昇段した。…と余計な一文を書いたが、もし藤森女流四段がいらっしゃらなかったら、私は金曜サロンに通うことはなかった。そう思うときょうの指導対局は感慨深い。最後の対局をじっくり楽しむ腹だったが、中盤で私に致命的な見落としがあり、54手で投了を余儀なくされた。
駒込最終局は残念な結果だったが、藤森女流四段にはあらためて御礼を申し上げます。
ところで藤森女流四段との指導対局のとき、気軽に話かけてくれた船戸女流二段。船戸女流二段もまた、私を金曜サロンの常連にしたおひとりである。今回も私のスケジュールを慮って、すでに4面指しだったのを、「(机を足して)6面指しにするから、指しましょう」と申し出てくれた。
たいへんありがたいことだが、会員はあまりいなかったし、この時間から6面指しは味がわるい。私も船戸女流二段と金曜サロンでの最後の将棋を指したかったが、丁重に辞退した。
将棋会館道場で指したアマ五段氏との終盤戦を、櫛田手合い係…否、六段に見ていただく。
念のためその局面の符号を以下に記す。
五段氏(後手):1三歩、3四歩、4二銀、4三歩、5二金、5三歩、6一金、6二王、6四歩、7二銀、7三歩、7七と、8一桂、8八竜、9一香、9三歩 持駒:角
一公(先手):1七歩、1九香、2九桂、3二竜、3七歩、3九銀、4七歩、4八玉、4九金、5四香、5七歩、5八桂、6五桂、6七歩、7六歩、8二角、8五歩、9六歩、9九香 持駒:金、銀、歩2
(58手目☖5二金打まで)
櫛田六段の解説によると、57手目☗3二竜と金を取る手に問題はなかったようだ。ただこのあと59手目☗9一角成と香を取った手が、☖6七とと替わった悪手だったらしい。
正解は単に☗5三香成。以下☖同銀☗同桂成☖同王に☗7一角成!が名手。☖同金は☗5四銀で後手王は即詰み。したがって後手は6二に合駒を打つか、盤上の金を上がるか寄るかだが、自玉はゼットなので、のちに☗7二馬と銀を取る手も見て、先手の明らかな勝ちだったという。
しかし☗7一角成は私の実力では発見できない。それを言うと櫛田六段は、
「☗7一角成はプロの手ですね。しかしこの手を指さないで寄せるとなると結構むずかしいか…うん、これは☗4一銀でも勝ちでしょう」
と言う。もし☖5一金引なら☗5二金とベタッと打って、あらかた寄り。
指されてみればなるほど、というか簡単な寄せである。しかしそれが私には見えなかった。まあ☖5三同王の局面だけを見れば☗7一角成の空成りは指せたかもしれないが、その前提には5三の地点での駒の精算があり、これを躊躇していた私には、やはり後手王を寄せる棋力がなかったということだ。
それにしても…と思う。植山悦行七段に検討に加わっていただいたときもそうだったが、感想戦でプロ棋士のアドバイスが入ると、簡単に勝敗が入れ替わるケースが頻繁にある。プロから見たら、私のようなヘボの感想戦は滑稽なやり取りに見えるんだろうな、とあらためて思った次第。
船戸女流二段が、再び「将棋指しましょう」と誘ってくれるが、遠慮する。
Sug氏としばらくおしゃべりをしたが、話すこともなくなったので、ちょっと早いが、四ツ谷に向かうことにした。
帰り際、櫛田手合い係に御礼を述べる。船戸女流二段にも述べる。船戸女流二段には、
「ペンクラブのみなさんによろしくお伝えください」
と伝言を承った。
LPSA駒込金曜サロン、残るはあと1回である。
(つづく)
JR駒込駅へ向かう。千駄ヶ谷から駒込へは、自宅から駒込に行くより時間がかかるが、LPSAが田町(芝浦)に移転すると、千駄ヶ谷から駒込への所要時間とほとんど変わらなくなる。まあ毎週スーパーサロンへは行かないから、自宅→千駄ヶ谷→田町、というルートは稀だろうが、「駒込サロン」が「金曜サロン」に変わっても、通いつづける理由のひとつにはなる。
午後3時半ごろ、LPSA金曜サロンに入る。今回を含めて、あと2回だ。きょうの担当は1部が藤森奈津子女流四段、2部が船戸陽子女流二段であった。
すでに藤森女流四段は4面指しをしている。さらに順番待ちの会員もいる。私の予定では2時少し過ぎに入室し、この時間にはもう藤森女流四段との指導対局が佳境に入っているはずだった。しかしその計画は根底から崩れ、船戸女流二段との指導対局は、もうむずかしい状況になっていた。
Tat氏の顔が久々に見える。2週間顔を見なかったから久しぶりだ。金曜サロンでは、レギュラー会員が2週間休むと、病気扱いされる。W氏の場合はもっと極端で、夕方になっても顔を見せないと、事故にでも遭ったのか? とみんなが心配する。
そのTat氏、自宅にあった女流棋士関係の本を持参して、私にくれるという。中を見たがかなりのレア物だったので、それはTat氏が持っていたほうがいい、と固辞した。
櫛田陽一手合い係が「女流棋士の本」を見ている。これは私も中井広恵女流六段から戴いたが、まだ中身はほとんど見ていない。私も覗きこむが、巻末の女流棋士名鑑が圧巻だ。いま指導中の藤森女流四段の顔写真が若い。さすがに美人である。
船戸女流二段の写真もある。櫛田手合い係の見立てでは「このころのほうがかわいい」だったが私の意見は逆で、船戸女流二段はいまのほうがはるかに美しく、魅力的だと思う。彼女は歳を重ねるにつれてイイ女になるタイプである。
中倉宏美女流二段の写真もしかり。彼女もいまのほうが垢ぬけた感じで、断然いい。
この本は2003年の発行で、第15回将棋ペンクラブ大賞一般部門佳作を受賞した名著だが、写真は必ずしもリアルタイムのものを載せていない。藤森女流四段は、2003年よりはるか前の写真だろう。生年月日を見ると、けっこうな数字で、櫛田手合い係と顔を見合わせてビックリする。
「藤森さん、来年は○歳ですか…」
「ええっ、そうなんですか!? 今年が2010年だから来年は…あ、そうか。これは驚きましたねえ」
「そんな歳には見えないよねえ」
「人生○年か…。でも若いですよねえ」
藤森女流四段は黙って将棋を指しているが、コメカミに青筋が立っている。この話題はもう終わりにしたほうがよい。
船戸女流二段が見えたようだ。直訴すれば藤森女流四段との指導対局を飛ばして船戸女流二段に教えていただくことはできる。しかし特別扱いは自分自身が許さない。藤森女流四段の指導対局席が空いたので、私はそこに座った。
このブログで何度も書いてきたが、私が金曜サロンで初めて教わった女流棋士は、藤森女流四段だった。当時はお互い「三段」。その後、どちらも実力でなしに昇段した。…と余計な一文を書いたが、もし藤森女流四段がいらっしゃらなかったら、私は金曜サロンに通うことはなかった。そう思うときょうの指導対局は感慨深い。最後の対局をじっくり楽しむ腹だったが、中盤で私に致命的な見落としがあり、54手で投了を余儀なくされた。
駒込最終局は残念な結果だったが、藤森女流四段にはあらためて御礼を申し上げます。
ところで藤森女流四段との指導対局のとき、気軽に話かけてくれた船戸女流二段。船戸女流二段もまた、私を金曜サロンの常連にしたおひとりである。今回も私のスケジュールを慮って、すでに4面指しだったのを、「(机を足して)6面指しにするから、指しましょう」と申し出てくれた。
たいへんありがたいことだが、会員はあまりいなかったし、この時間から6面指しは味がわるい。私も船戸女流二段と金曜サロンでの最後の将棋を指したかったが、丁重に辞退した。
将棋会館道場で指したアマ五段氏との終盤戦を、櫛田手合い係…否、六段に見ていただく。
念のためその局面の符号を以下に記す。
五段氏(後手):1三歩、3四歩、4二銀、4三歩、5二金、5三歩、6一金、6二王、6四歩、7二銀、7三歩、7七と、8一桂、8八竜、9一香、9三歩 持駒:角
一公(先手):1七歩、1九香、2九桂、3二竜、3七歩、3九銀、4七歩、4八玉、4九金、5四香、5七歩、5八桂、6五桂、6七歩、7六歩、8二角、8五歩、9六歩、9九香 持駒:金、銀、歩2
(58手目☖5二金打まで)
櫛田六段の解説によると、57手目☗3二竜と金を取る手に問題はなかったようだ。ただこのあと59手目☗9一角成と香を取った手が、☖6七とと替わった悪手だったらしい。
正解は単に☗5三香成。以下☖同銀☗同桂成☖同王に☗7一角成!が名手。☖同金は☗5四銀で後手王は即詰み。したがって後手は6二に合駒を打つか、盤上の金を上がるか寄るかだが、自玉はゼットなので、のちに☗7二馬と銀を取る手も見て、先手の明らかな勝ちだったという。
しかし☗7一角成は私の実力では発見できない。それを言うと櫛田六段は、
「☗7一角成はプロの手ですね。しかしこの手を指さないで寄せるとなると結構むずかしいか…うん、これは☗4一銀でも勝ちでしょう」
と言う。もし☖5一金引なら☗5二金とベタッと打って、あらかた寄り。
指されてみればなるほど、というか簡単な寄せである。しかしそれが私には見えなかった。まあ☖5三同王の局面だけを見れば☗7一角成の空成りは指せたかもしれないが、その前提には5三の地点での駒の精算があり、これを躊躇していた私には、やはり後手王を寄せる棋力がなかったということだ。
それにしても…と思う。植山悦行七段に検討に加わっていただいたときもそうだったが、感想戦でプロ棋士のアドバイスが入ると、簡単に勝敗が入れ替わるケースが頻繁にある。プロから見たら、私のようなヘボの感想戦は滑稽なやり取りに見えるんだろうな、とあらためて思った次第。
船戸女流二段が、再び「将棋指しましょう」と誘ってくれるが、遠慮する。
Sug氏としばらくおしゃべりをしたが、話すこともなくなったので、ちょっと早いが、四ツ谷に向かうことにした。
帰り際、櫛田手合い係に御礼を述べる。船戸女流二段にも述べる。船戸女流二段には、
「ペンクラブのみなさんによろしくお伝えください」
と伝言を承った。
LPSA駒込金曜サロン、残るはあと1回である。
(つづく)