一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

長崎旅行⑤・松浦鉄道に乗る

2010-12-22 01:02:01 | 旅行記・九州編
19日(日)の朝は、部屋への日射しで目が覚めた。前の晩は空腹がつらかったが、朝になってそれも消えていた。朝食は食堂でしっかり摂ったが、旅に出ると、朝はなぜこんなに食欲が出るのだろうと思う。
宿から駅へ向かう途中に生鮮食料品店があり、前夜の調べでは午前9時の開店であった。9時すぎに宿をチェックアウトし、その食料品店に入ってみる。
やはりクジラの赤身が置いてあった。「さえずり」というのもある。これはクジラの舌だ。かなり食指が動くが、肝心の宅配便のサービスはないようだ。大いに迷ったが、やはり買うのは見送りとした
早岐駅前に着いた。この近くに小さなクジラ専門店がある。外観は何てことのない店構えだが、地元密着型とも云え、その意味では信用がおける。
しかしシャッターは下りたままだった。もっと遅い時間に開店するのか、それともこのまま休みなのか。看板に記してある電話番号を控え、とりあえず私は佐世保へ向かった。
10時03分、早岐発。同16分、佐世保着。ここからは松浦鉄道に乗りたいと思う。
松浦鉄道は旧JR松浦線の第3セクターで、1988年に開業した。JRが見放した鉄道だが、その後の市の再建策は見事だった。赤字路線なら通常は、列車の本数を減らし、利用のない駅を通過し…と、スリム化を増進する。
しかし松浦鉄道はその逆をやった。列車の本数を増やし、駅数を増やし、住民の利用を促したのだ。
余談だが、むかし松浦鉄道に乗っていたら、ある駅で地元客の盛大な歓迎を浴びたのでビックリした。
何と、その駅の開業日だったのだ。運転手は花束をもらい、満面の笑みである。私は晴れがましい場に立ち会えたことに、感謝したものだった。ちなみにその花束は、終点に到着すると、客のオバチャンが貰っていった。この図々しさが男にはない。
とにかく松浦鉄道の努力が実って乗客数も上り、数年前までは黒字経営だった。最近は乗客も減って苦戦気味なので、激励の意味も込めて、松浦鉄道の乗り心地を心ゆくまで味わうつもりだった。
その前に、佐世保駅から500m先にある、「させぼ四ヶ町商店街」をぶらぶら歩く。
私は全47都道府県を踏破しており、各地の女子高生を見てきたが、ここ佐世保の商店街を歩く女子高生が、最も魅力的だった。
正確に書けば、女子高生の脚が綺麗だった。とにかくスラッと伸びているのだ。私はどちらかというとムッチリした脚が好みなのだが、四ヶ町商店街では、会う女子高生のほとんどが、モデルのような脚だった。
それで今回も多いに期待したのだが、日曜日とあって制服姿の女子高生がいない。これは小さからぬ誤算だった。
ガックリと気落ちした私は、佐世保バーガーも買わず、そのまま国道35号線沿いのネットカフェに入る。長崎で泊まったところと同じ系列店だ。最近では旅行に出ると、観光地でのネットカフェの有無を確認するようになってしまった。
まさにこのブログを書くためだからだが、貴重な観光の時間をつぶして、自分は何をやってるんだろうと自己嫌悪に陥る。
甚だ使いにくいパソコンに苦闘して19日分をアップし、松浦鉄道佐世保中央駅に向かう。この駅も松浦鉄道に変換されてから新設された駅で、隣の中佐世保とは200mしか離れていない。JRでは東京の日暮里-西日暮里間が500mしか離れていないが、この「200m」は、レール鉄道の中でも日本最短ではなかろうか。
ちなみにこの区間では、アーケード街になっている四ヶ町商店街の上を横断するという、珍しい造りになっている。
その前に例のクジラ専門店に、電話をしたい。しかし周りに公衆電話がないので、断念する。私はケータイを持たないので、こうしたケースはよくある。
ホッタテ小屋のような駅の窓口で「1日乗車券」を買う。ところが千円札を指しだしているのに、駅員の反応がない。よく聞いたら、1,700円だった。窓口横の貼り紙に「1,000円」と書いてあったから訝ったが、それは65歳以上限定の「シルバー1日乗車券」だった。
大人の通常料金は2,000円。この日は休日だったので、1,700円だった。
11時58分発の列車には乗れなかったが、次は12時28分がある。駅で貰った時刻表を見ると、日中はほぼ30分ヘッドで列車が出ている。これは観光客にありがたい。増えたといえば、駅の数もJR時代は32だったが、現在は57まで増えた。まさに客の利便を考えた措置というべきだろう。
ちなみにLPSAは駒込から芝浦に移るにあたり、サロン開業日を月~水も増やした。これは駅数を増やしたというべきか。ただし1日の担当女流棋士は減った。これは車両を1両にした感じか。また芝浦サロンでの指導対局は基本的に、「全席指定」になった。これは会員の敷居を高くしていると思う。
12時28分の列車に乗車。いかにも軽そうな車両で、車内のクロスシートは、都合12席しかなく、あとはロングシートだ。
最近は気動車でも、こうした造りが多くなってきた。島根県を走る木次線はロングシートのみ。岩手県を走る岩泉線(現在は休止中)もロングシートが幅を利かせている。ロングシートにすわって長時間汽車に揺られるのは、旅に適さない。理想的なのは東海道本線・山陽本線を走る特別快速の113系だが、通勤にも観光にも使えるあの座席スタイルを、他社も導入してほしいと思う。
それはともかく、このあとの予定である。本土最西端の駅・たびら平戸口に下車し、遅い昼食を摂ったあと、次の伊万里行きに乗って、15時55分着。ここから有田行きの時間が分からないが、まあ接続しているだろう。
そこから佐世保線に乗り早岐で下車、例の店でクジラを買って、どこかの駅から長崎空港行きのバスに乗る。
どうも、ギッチギチの行程である。とくにクジラ店がネックで、この店が開いているかどうかが問題だ。また伊万里→有田間の列車ダイヤも、まさかとは思うが2時間待ち、とかあったら、長崎空港に入る時間さえ怪しくなる。
もし可能なら、長崎空港では川上文旦堂のざぼんの砂糖漬も入手したいのだ。
そうすると、あまり時間の余裕もないのだった。やっぱり、朝ゆっくりしすぎたのか。
地元の女子高生が乗ってくる。しかし彼女らは席に着いても会話はせず、ひたすらケータイをいじっている。21世紀のいま、会話の相手は友人からケータイに移った。これでいいのだろうか。
たびら平戸口に着く。改札を抜けると、公衆電話があった。クジラ店にかけると、女性が出た。私が数年前にクジラを買ったとき、応対してくれた奥さんだ。
かくかくしかじかと用件を言うと、本日は営業しているが、4時まで。しかしもし店に来るなら、店は開けておく、と言ってくれた。
人生は選択の連続である。この条件を聞いたうえで、このあとの状況を瞬時に判断しなければならない。
私は将棋を趣味にして得をしたことは一度もないが、短時間で決断を迫られたとき、もろもろのシミュレーションを瞬時に描く技量は発達したと思っている。
ここで私が出した結論は、早岐駅にトンボ帰りする、というものだった。
腕時計を見ると、1時46分。松浦鉄道の時刻表を見ていたら、14時48分にここたびら平戸口で、上下線の列車が同時に出発する。
とするならば、その1時間前の13時48分にも、伊万里方面から来た佐世保行きの列車が、ここを出発すると思った。
受話器を置き、再び駅舎へ入ると、果たして佐世保行きの下り列車がホームに入線していた。
私はホームを渡って飛び乗る。「旅は一筆書き」が最上で、いま来た路線を引き返す、というのは私の辞書にはない。しかしこれも、クジラを買うためである。お土産を買うときは、このくらい本気を出さなければならない。
しかしこのまま行っても、佐世保着は16時07分。完全な遅刻だ…と思ったら、1本早い列車に乗っていたことに気づいた。この列車は、15時09分に佐世保に着く。そこから15時33分の快速があり、47分に早岐着。クジラ店は駅から1分の近距離にあるから、どうにか遅刻せずに済む。これで一安心だ。
とはいうものの、きょうはここまで、観光らしい観光をしていない。いくら前夜に今回の旅の目的を成就したといっても、この日の行程は最悪である。
前方の運賃表示器に、「神田」という駅名が映った。ところがアナウンスは「こうだ」と言うのでズッコケた。日本語の読みは本当に難しい。
15時09分、列車は佐世保駅に着いた。高架のホームから、駅前が見える。何かのイベントをやっているようだ。
私はいったん外へ出ることにした。……。聴き覚えのある音楽が流れている。……ああっ!! こ、これは!? 予想もしなかった絶景に、私は目を大きく見開いた。
(つづく)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎旅行④・12年目の喫茶店

2010-12-21 12:46:00 | 旅行記・九州編
15時12分長崎発の快速シーサイドライナーに乗って、いよいよその喫茶店に向かう。
ここは知る人ぞ知る名店で、マスターの話がとにかくおもしろい。客の100%が、このマスターの話を聞きに来ている。ありがたいのはコーヒー1杯で4時間粘れることで、その割安感もこの店の人気だ。
私が最初に訪れたのはいまから11年前の1999年12月18日(土)で、それから毎年12月は、この喫茶店に行くのが定番になった。この日は11年前と同じ12月18日の土曜日。昨年もそうだが、私がLPSA芝浦サロンを休んでまでこの日に執着したのは、こうした理由があったのだ。
車内はけっこう乗車率が高い。途中駅で女性が乗ってきた。
…あれっ? 熊倉紫野女流初段!? いや違うか…。熊倉女流初段を5歳くらいおねえさんにした感じだ。
彼女は私のナナメ前に座る。読書を始めた。彼女が本を閉じると、表紙が見えた。なんだか盗み見をしているようだが、席のすき間から、見えてしまうのだ。それは
「『話の腰』を上手に折る方法」
という書名だった。
こんな綺麗な女性が、なんて本を読んでるんだ…。
会社の上司に毎日くだらない話を聞かされて、辟易しているのだろうか。それとも同僚にまとわりつかれているのだろうか。
私も船戸陽子女流二段や中倉宏美女流二段に、巧妙に話の腰を折られているのかもしれない。モテる女性は、それはそれで大変なのだ。
私は最寄り駅で下車。すぐにも店に入りたいが、そうはいかない。ここは完全予約制だからだ。
この喫茶店の県道を挟んだ向かいに、別の喫茶店があるので、そこで一休みする。これも毎年の行動だが、喫茶店に入る前に別の喫茶店で時間をつぶすとは、妙な話ではある。
予約の午後5時に入店。あとからぞくぞくと客が訪れ、定員31人の満員になった。ここは正確には軽食喫茶なので、私はビーフハヤシライスを注文する。この店に入るのはこれで12度目になるが、不思議と毎年違うメニューを注文している。
…とこのあたりまで読んで、私のもったいぶった書き方にもどかしさを感じた読者もいるだろう。実はマスターが、この喫茶店のことをあまり知られたくないようなのだ。来たい人だけ来てくださればいい、というスタンスなのだと思う。だから私もこんな表現しかできないのである。
興味のある方は、ここまでの文章をヒントにネットで調べれば、店を特定できるはずだ。ただし店名が分かっても、このコメント欄への投稿は遠慮していただく。
ちなみにこの喫茶店は、羽生善治名人・王座・棋聖もご存知だと推察する。ただし訪れたことはないはずだ。
中井広恵女流六段はご存知である。なぜなら私が教えたからだ。一度訪れる機会はあったが、行かなかったらしい。まあ本人がどうしても行きたければ、寸暇を割いてでも訪れたはずで、そうしなかったということは、結局そこまでの興味だったということだ。忙しい、というのは理由にならない。
マスターの話に今年も大いに楽しんで、10時20分ごろ、店を出た。喫茶店には5時間以上もいた計算になる。「ジョナサン」も真っ青、という長居であった。

早岐には22時48分に着いた。ビジネス旅館へのチェックインは午後10時としていたが、1時間の遅刻だ。どうもヨミを誤ったが、もちろん遅刻の連絡はしており、快諾を得ていた。
旅館に旅装を解いたあとも、大風呂の入浴時間が夜は11時までだったのに、1時間延長してくれた。立山防空壕前交番のお巡りさんもそうだったが、旅先での親切は肌身に染みる。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎旅行③・ざぼんの砂糖漬とクジラ

2010-12-20 22:59:08 | 旅行記・九州編
明けて18日(土)。この日は夕方に喫茶店へ行って、そこのマスターの話を聞くのがメインである。その時間まではフリーだから、余裕だ。
午前10時すぎにネットカフェを出ると、市電沿いを歩き、牛丼専門店「すき家」に寄る。現在キャンペーン中で、並盛が250円だ。前の晩も夜食と称して食べたのだが、あまりに安いので朝も入ってしまった。旅に出ても私の食事は東京と変わらない。
昼は稲佐山に登る予定である。前日にネットで調べると、稲佐山は、函館山・六甲山と並んで日本の三大夜景のひとつ、とあった。この有名な事実を、私は不覚にも知らなかった。
その稲佐山へ明るいうちに登るのは味がわるいが、ひとり旅なので構わない。
まずは長崎駅へ戻るのがスジだが、市電に乗るのではおもしろくない。駅への方角は分かるので、ぶらぶら歩いて行く。
ところが生来の方向音痴で、軽い迷子になってしまった。地元の方に聞いて修正するが、聞いた道を素直に歩かないので、また迷子になる。
とある坂を登ると、大きな建物が目に入った。長崎歴史文化会館である。現在は坂本竜馬関連の展示をやっているが、入場料が500円なので入らない。
そのままやりすごし、さらに坂を登ると、今度は整然と積み立てられた石垣が目に入った。「立山防空濠」だという。説明書を手に取ると、太平洋戦争中、防空施策の中心として機能していたところで、原爆が投下されたとき、ここから被害情報を全国に送ったとあった。
こんな施設があるとは知らなかったがそれも道理で、2005年に一般公開されたものらしい。
入場無料なので、ありがたく入場する。トンネルのような入口を抜けると、右奥に部屋があった。ここが長官室(知事室)で、以下手前側に参謀長室(警察部部長室)、参謀室、通信室…と続いている。各部屋には電球がひとつ灯っているだけで、往時の雰囲気がそのまま残っている。
出口付近の伝令室では、原爆が投下されたときに勤務していた女性の生々しい証言が、パネルに示されていた。
ほ~っと重い息を吐いて施設を出ると、表の公園で、幼い姉妹がかくれんぼをしていた。これは懐かしい遊びである。
「もういいかい?」
「まーだだよ」
声の在りかで隠れ場所が分かってしまうが、だからおもしろいのだ。オニが隠れた子を見つけなければ、お互いシラけてしまう。中倉彰子女流初段、宏美女流二段は、ふたりでかくれんぼをしたことがあるのだろうか。
「ひろみ見ーっけ」
「あっこちゃんずるいー!!」
とか言ったりしたのだろうか。
交番が隣接されていたので、今度こそ稲佐山への詳しい行き方を聞く。もう無理をせず、市電を利用したほうがいいようだ。
お巡りさんの懇切丁寧な説明を聞いて、そのまま坂を下りると、「サント・ドミンゴ教会跡資料館」という施設が見えてきた。ここも無料だったので、躊躇せず入る。
ここは文字どおり、かつて教会があった場所だが、地元の小学校を建て替える際発見されたものである。珍しいのは、禁教令のあと長崎代官の屋敷が建ったため、教会と両方の遺構や遺物が出てきたことである。
施設内には、広大な遺跡が、ドーンと拡がっている。すごい迫力だ。
繰り返すが、これも無料である。前日に島原城の施設を巡ったときもそうだったが、有料よりも無料の施設に興味深いものが多いのは皮肉だ。
公会堂前電停から市電を利用する。長崎市電の乗車賃は長い間一律100円だったが、先ごろ120円に値上げされた。乗るのに抵抗を覚えるが、やむを得ない。
やってきた電車は年代物で、鉄道マニアにはたまらない車両だ。乗車して車内を見渡すと、「昭和二十八年製」との説明書きがあった。
何だか得した気分になって、宝町電停で降りる。ここが稲佐山の玄関口だ。しかし私はまたも道を間違えてしまい、かなりのロスタイムでロープウェイ乗り場に着いた。書き遅れたが、往復ともロープウェイの利用である。歩きはさすがにしんどい。
しかしそのロープウェイは、いましも出るところだった。12時00分発だが、腕時計を見ると11時59分である。もう1分早く来ていたら、乗せてくれたかもしれない。
次の出発は12時20分である。ちょこちょこロスタイムをしていたから、もう午後になってしまった。朝早くから行動を起こしてムダなくここに来ていたら、3時間以上は節約できたのではないだろうか。
ロープウェイの乗客は私ひとりである。案内嬢が同乗してくれるが、かえって緊張してしまう。
5分で稲佐岳駅に着く。と、その案内嬢が
「展望台は現在改装中で入ることができませんので、その手前でご覧ください」
といった。……。それならチケットを買うときに言ってくれよ、と思う。
どうも観光の歯車が狂っているが、それでも稲佐山からの景色は、昼間でも素晴らしかった。夜になったら、宝石を散りばめたような、きらめく光景になるのだろう。
13時00分、下りのロープウェイに乗る。帰りも私ひとりに、先ほどの案内嬢だ。
その案内嬢が、上りのアナウンスで「しばしの空中散歩」と言ったが、それを実感するのは、この下りであった。
通常ロープウェイは、山の稜線に沿って進むが、ここのロープウェイは、地上への距離が長い。かなり真下に、人家や木々がある。ここでロープが切れて落っこちたら、間違いなくあの世いきだ。本当に空中をふわふわしているようで、なんだかお尻がムズムズする。
地上に無事着いたときはホッとした。
さて、ここからは大浦天主堂へ行こうと思う。もうだいぶ昔だが、大浦天主堂近くのカステラ専門店で、新人君が焼いたカステラの失敗作が、正規品の3分の1の値段で売られていたことがあった。失敗作といってもカステラ外側の部分がわずかに色濃いだけで、味はまったく問題ない。これをウチへのお土産にしようと考えたわけである。
宝町電停に着いたが、さて大浦天主堂はどっち方面だったか。浦上方面だと思ったが…。浦上天主堂…。オレの行きたいのは大浦だよな…。そう思う間に電車が来たので、せかされるように乗った。
い、いやいや違う、やっぱり大浦は逆だ!
浦上駅前電停で降りて地図を確認したら、果たしてそうだった。ところでこの日は15時12分長崎発の電車に乗らなければならない。1,000円で買った腕時計を見ると、1時すぎである。このまま大浦天主堂に向かってもいいが、カステラの焼き損ねを買うために数時間を費やすには、さすがにバカバカしくないか? その確認は、またの機会とした。
…だからといって、このまま同じ市電で引き返すのも味がわるい。私は徒歩で長崎駅へ向かった。
しかし15時12分まで、この中途半端な時間をどうしようか。ふと見ると、長崎バスターミナルの2階に、長崎県物産館があった。
そういえば、今年のゴールデンウィークに九州を旅行する際、船戸陽子女流二段から「ざぼんの砂糖漬」をお土産にリクエストされたことがあった。しかしざぼんは冬の果物でその時期は売っておらず、船戸女流二段の期待に沿えられなかった。
あのときの船戸女流二段のガッカリした姿は忘れられない。そこで今回はざぼんの砂糖漬を、事前に調べておいた。
すると、長崎県物産館がネット販売している、川上文旦堂のざぼんが良さそうであった。そこで東京から連絡すると、川上文旦堂のそれは店では販売していないが、それと同等のざぼんを用意しているとのことだった。私は念のため川上文旦堂にも直接聞いたが、こちらは長崎空港に卸している、とのことだった。だから行きの空港でも買えたのだが、買いそびれてしまったのだ。
そんなわけで、私は長崎県物産館に入る。と、各メーカーが販売している、ざぼんの砂糖漬が目に入った。20日の帰りの便は、長崎空港20時50分発である。こんな遅い時間だと店も閉まっているから、まずはここで買っておくのが賢明だ。私はざぼんの砂糖漬を適当に手に取るが、もう一方で目に入ったものがある。
クジラだ。
好き嫌いのない船戸女流二段は、クジラも好き、とのことだった。長崎県はクジラの消費量日本一である。彼女の点数を稼ぐためには、そのクジラを買うしかない。しかしクジラなら、JR早岐駅前に専門店があり、私も一度買ったことがある。
そしてこの日は早岐駅近くのビジネス旅館に泊まる予定だが、しかし翌19日の日曜日に、この店が開いている保証はない。
それならばここで「保険」のために買っておくか。しかし冷凍されているクジラの赤身をいま買っても、融けてしまう。そこで店の人に東京までの宅配料を訊くと、(最低でも)1,160円、とのことだった。この価格はどうなのだろう。
迷ったが、私はとりあえず、クジラを買うのを保留した。この判断が吉と出るか凶と出るか。
物産館を出、付近の飲食街で遅い昼食を摂ろうとするが、どの店も昼は2時までの営業で、準備中の札が掲げられている。唯一開いていたのが昨年も入った激安の大衆食堂で、またしてもここに入る。生姜焼き定食、500円。
店を出て、長崎駅前の陸橋から西の方角を見ると、この日登った稲佐山が聳えていた。
(つづく)
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎旅行②・平日の温泉

2010-12-19 11:56:07 | 旅行記・九州編
島原武家屋敷の一軒に入る。敷地内にある説明板を読むと、中央に流れている清水は、旧藩時代の生活用水とあった。
別の屋敷跡には、「雑草を食べてもらうため」に羊が放し飼いされており、いま流行のエコを実践していた。
時刻は午後2時近くである。昼の時点では島原鉄道廃線跡の一部でも散策したいと考えていたが、島原城でこんなに時間を費やしてはもうダメである。今回はここで観光を終わらせるしかない。
駅には戻らず、アーケード街へ出てみる。平日の昼間だがシャッターを閉めている店が多い。街角の案内表示に沿って歩いていたら、水路で鯉が泳いでいた。島原は日本の名水100選に入っている名所だが、それを裏付ける光景である。
民家を開放したような、休み処がある。入ってみると、中も純和風だ。規模はこちらのほうがだいぶ大きいが、ウチの家と同じ雰囲気がする。
ここでボーッとしていたいが、「島原遊湯券」の特典である温泉にも入らなければならない。島原駅のひとつ先、島鉄本社前へ歩いていると、右手に島鉄バスターミナルが見えた。島原駅を15時55分に発車する加津佐海水浴場前行のバスは、その数分後にここを通る。次はここから乗ることにする。
と、「ホテル南風楼」の看板が目に入った。ここは入浴指定地のひとつである。案内に従い島鉄本社駅を通り越し、公園を抜けると、ホテルが見えてきた。フロントで待っていると、受付嬢が「温泉ですか」といった。
いかにも言いなれているふうで、根拠はないが、ここの温泉は期待できると思った。
脱衣所に入り、全裸になる。またもやキン○マが縮こまっている。ナニも短くなっている。これでは使い物にならない。浴室のドアを横に滑らせると、広い浴槽と露天風呂、それに有明海が見えた。これは凄い。かけ湯をして、さっそく露天風呂に浸かる。
ウアーッ、極楽極楽。一般市民が忙しく働いている平日の昼間に入る温泉は、究極の贅沢である。
平日に将棋を指しに行くのはフリーターのようでどうもよくないが、旅に出るとそうした負い目は雲散霧消する。仕事がある中、寸暇を割いて骨休めに来ました、と自己暗示をかけるからである。
いまごろ将棋仲間は、中井広恵女流六段に指導を請うているはずだが、やはりうらやましいとは思わない。ナニのほうも、無事回復してきた。干ししいたけを水で戻した、という感じか。それにしてもこの露天風呂は最高のロケーションだ。ここに船戸陽子女流二段や中倉宏美女流二段を…。
いい気分なって、島鉄バスターミナルへ向かう。時刻は3時47分。島鉄本社前駅に着いたので、一応時刻を確認すると、15時49分の下り急行列車があった。ちょうどいいので、これに乗ることにする。
待合室の壁に「11月2日に島原外港の駅舎が不審火により全焼しました」との貼り紙がある。これは最近の話ではないか。
私が住んでいる最寄り駅の近くにあった五重塔が、心中の舞台に利用され全焼した、ということは以前書いたが、すべてのものを灰にする放火は、憎むべき犯罪のひとつである。
定刻を2分遅れて発車した列車は、やはり定刻を2分遅れて、現在の終着駅である島原外港へ到着した。レールを見ると、その先のレールは剥がされることなく、まっすぐに伸びている。島原外港-加津佐間が廃止されたのはおととし平成20年だから、まだ遺構が残っているのだろうか。
下りホームを降りると、仮待合室が建てられていた。ここが放火の現場らしい。
そのままバス乗り場へ向かう。そうか、と思う。たしか島原外港から深江までだったか、この区間は廃線後もトロッコ列車を走らせていたはずだ。雲仙・普賢岳の土石流でレールがやられ、同地点を高架にして完全復旧したのが平成9年である。莫大な費用をかけた立派な高架橋を、たかだか10年の使用で打ち捨てるわけがない。
次のバスは16時07分発である。これが15時55分に島原駅前を発車したバスなのは言うまでもない。そのバスは4分遅れで到着した。
社内の右手後方に座る。国道は海岸線を走り、旧島原鉄道は内陸部を走っていた。廃線跡を観賞するにはちょうどよい席だ。
翔南高校前、というシャレたバス停に着くと、下校の男女高校生が大勢乗り込み、閑散としていた車内があっという間に満員になった。列車ならもう少し余裕があったはずで、鉄道からバス転換への、負の光景がここにある。もっともこのくらいの混雑は、東京では混雑のうちに入らない。
安徳バス停のあたりで、右手に高架橋が見えた。なんとなく、まだ現役に見える。いまもトロッコ列車の走行に利用されいると信じて、私は視線を前に戻した。
高校生は徐々に下車するが、今度は別の高校前に停まり、新たな高校生が乗ってきた。地方のバス通学は、通学時間もいっしょなのだ。私の高校時代、クラスの女子と電車に乗った経験は、1度しかなく、虚しい青春だった。
ところで肝心の廃線跡だが、叢に隠れ、ほとんど判別できない。時折ガーター橋が顔を見せ、そこが廃線跡だと教えてくれるが、あとはサッパリだ。外は小雨が降っているうえに空も暗くなってきて、これ以上の廃線跡観賞は無理だ。
午後5時24分、バスは終点の加津佐海水浴場前に到着した。
島原鉄道のかつての終着駅は「加津佐」だから、遺構が近くにあるはず、と思って左右に目をやると、左手のすぐ後方に旧加津佐駅の駅舎が見えた。いつの間にか、線路が左側に移ったようだ。
路線が廃止されると、その遺構、とくに駅舎は放火の対象になったりするので、取り壊されるケースが多い。加津佐駅はプレハブ小屋のような造りの面白くもなんともない駅舎で、代行バスの待合室として使われているようでもないが、駅名標も外されておらず、現役時代そのままなのは嬉しかった。
しかしホーム側に回ると、路盤の線路は剥がされ、すっかり雑草が伸びている。ここに列車はもう来ない。廃線になっていることを再認識させられる、つらい光景である。
すぐに17時31分発の諫早行きのバスが来たので、乗る。これが島原半島一周の、最終ランナーである。
前にふたりの女子高生がすわって、キャッキャッ話している。訛り丸出しの会話で、微笑ましい。
「なんばしちょっとー!!」
とか言っている。さすがに本場の発音は一味違う。
「串」というバス停を通過する。「揚」というバス停を通過する。長崎に入ってから、昼のポークしょうが焼定食しか口にしていない。腹が減ってきた。
外はすっかり暗闇になっている。先ほどの女子高生は、とっくに下車している。
7時09分、バスは今朝来たときと同じ、諫早バスターミナルに到着した。
そのまま駅前の食堂に入ってちゃんぽんを食し、再び諫早駅に入る。このあとは長崎へ行き、思案橋電停近くのネットカフェで一夜を過ごすつもりである。
駅の案内表示を見ると、19時43分発の長崎行きがあり、その電車が1番線に停車している。時計を見ると7時41分である。私は慌てて切符を買い、飛び乗った。
しかし電車は発車しない。席にすわって待っていると、19時53分に発車した。どうも私が発車時刻を見間違えていたようである。
20時46分、長与回りの普通電車は、長崎駅に到着した。けっこうな時間がかかった。そこで駅で調べてみると、諫早20時10分発・長崎20時35分着の快速シーサイドライナーがあることが分かった。これに乗れば、諫早を24分遅く発車し、長崎に11分早く着いていた。
ここで時刻表を持たない旅の弊害が表れた。しかし、たまには時間にしばられない旅もいい。物事は何でもいいほうに捉えることが大切である。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎旅行①・島原へ

2010-12-18 03:16:43 | 旅行記・九州編
師走の恒例となった、年に一度の長崎旅行。今年は17日から19日の行程とした。
17日のLPSA芝浦サロンは中井広恵女流六段の担当だったが、昨年の同時期に旅行したときの金曜サロンは、中倉宏美女流二段と船戸陽子女流二段の担当だった。そのゴールデンコンビを振り切ってまで旅行を優先したくらいだから、中井女流六段の指導対局を見送ることには、何の痛痒も感じなかった。
きのう17日は早暁5時に起床し、5時半に家を出た。JRとモノレールを乗り継いで、6時19分、羽田空港第2ビルに着く。
今回利用する航空会社は、往復ともスカイネットアジア航空(SNA)である。今年は他県に出ず、長崎県内のみの観光としたので、発着はともに長崎空港である。料金は28日前の早期購入割引で、片道11,100円。これは廉価というべきだろう。大手航空会社が苦戦続きなのも分かる気がする。
1番カウンターという端っこに追いやられたSNAの窓口でチェックインを済ませ、7時10分、私を乗せた飛行機は羽田空港を離陸した。
先ほど飛行機の料金が廉価だと書いたが、それは経費をギリギリに切り詰めているからで、機内には機内誌や音楽のサービスはない。仕方がないからスッチーを鑑賞することになる。…あれっ、な、中倉彰子女流初段!? いや違うか…。どうもスッチーを見ると、女流棋士の誰かに間違えてしまう。
やることがないから、目をつぶる。と、機長から「いま、左手前方に富士山が見えます」とのアナウンスが入った。ちょうど左の窓際の席だったので目をやると、頂上がポッカリ口を開けているような、霊峰富士が飛び込んできた。富士山を眺めるとご利益がありそうな気がして、めでたい。しかし至近距離から見ているせいか、意外と小さく感じた。この山が東京からも見えるとは不思議だ。
7時42分、富士山は私の真横に位置し、ゆっくりと後方に流れて行った。
定刻9時10分、長崎空港着。今回の旅行のメインはきょう18日なので、17日は漠然と予定を決めただけである。
すなわち島原鉄道に乗車したあと、数年前に廃線になった島原外港~加津佐間を代行バスで走り、廃線供養をする、というものだ。いまはいちばん昼が短い時期だが、この行程なら支障はないと判断した。
空港からは、島原鉄道の始発駅である諫早まで路線バスが出ている。鉄道はしばし乗り換えがあり、それが乗客のめんどうを大きくしている。しかしバスで観光地めぐりをすれば、ほとんど乗り換えはなく、便利だ。
「日焼(ひやけ)」「トンネル上」「一軒茶屋」などの愉快なバス停を通過し、長崎県営バスは10時27分に、諫早駅前バスターミナルに到着した。
対面にある諫早駅に向かい、自動券売機で「島原半島遊湯券」(3,000円)を購入する。これは島原半島を走る島原鉄道と路線バスに1日乗り放題、各地へ連絡するフェリーにも乗れ、さらに指定のホテルや旅館の温泉にも入れるという、おトクな切符である。ちなみに諫早から島原外港までは1,470円だから、ここを往復するだけで、ほとんどモトが取れてしまう。
JRの改札を抜けると、0番線に黄色のディーゼル車がちょこんと停まっている。これが島原鉄道である。車内のクロスシートは全席が埋まっていたので、ロングシートに座る。地方の民間鉄道は、どこも経営が苦しい。乗客が多いのはいいことである。
定刻の10時52分、発車。と、次の本諫早で隣接の乗客が下車したので、私はそこに移動する。列車の左側の席で、遠くに諫早湾が見える特等席だ。これで鉄分を補給する本格的な態勢が整った。
単線で貧弱な線路の上を、列車は快調に走る。私も寝不足で、相変わらずの耳鳴りのうえに軽い頭痛もして、体調は万全ではないが、ここでうたた寝をするわけにはいかない。
ホームのすぐ下に海が見える大三東に停車し、その8分後の11時42分、列車は島原に到着した。私はここで降りることにした。いままで島原半島は何度も訪れたが、島原城を見学した記憶は1回しかない。それもかなり昔で、まだ「年末の長崎旅行」を企画する前のことである。ここで改めて島原城を表敬訪問するのもわるくないと思った。こんな予定変更ができるのも、流動的に予定を決めている利点である。
島原駅からは城が見えるから、分かりやすい。人気スポットとはいえ平日では観光客もまばらで、まっすぐ城へ向かったのは私だけだった。10分ほど歩き、坂道を登ると、天守閣が見えてきた。五層からなる白亜の天守閣で、優美な稜線を描いている。女流棋士でいえば、斎田晴子女流四段というところか。
しかし天守閣に上るかどうかは迷った。入場料がかかるからだ。ふと見ると、天守閣の入口付近に、甲冑姿の男性と坂本竜馬のいでたちをした女性、かわら版を配りそうないでたちの女性が観光客を待ち構えている。とりあえず近くまで寄り挨拶を交わし、横に立ててある入場料を見る。520円である。
これは私の許容範囲を超えている。踵を返したいが、先の4人は、私が入場するものだと思っている。仕方ない。私は城に入り、受付のオバチャンに1,020円を差し出した。
城内は一般的な天守閣と同じく、資料館を兼ねていた。それはそうで、城から下界を眺めるだけで520円ならボッタクリだ。
「島原の乱」や「(隠れ)キリシタン」に関する展示品、ギヤマン(ガラス)など南蛮渡来の装飾品などが、豊富に展示されている。敷地内にある「観光復興記念館」「西望記念館」の共通入館券にもなっており、これなら良心的な値段設定だと思った。
最上階の5階に上り、島原市外を見下ろす。自分が殿様になったようで、気分がいい。
下界に下りて、「西望記念館」に入る。北村西望は彫刻家。長崎市に立つ平和記念像の製作者だ。60余点の作品が展示され、その力強さに圧倒された。
隣接する「民具資料館」に入る。ここは無料で、それだけで儲けた気分になる。展示してあった民具には、ちょっと前まで実際に使っていたと思しきものもあり、大いに興味をそそられた。柱時計や黒電話などは、ウチでもまだ使っている。初期のワープロも置いてあったが、いまでは時代の生き証人として、かなり価値があるのではないだろうか。
ルートに沿って、「観光復興記念館」に入る。ここでは雲仙・普賢岳の爆発から復興に至るまでを15分にまとめたビデオが、常時放映されている。広いホールに客は私だけだったが、襟を正して拝見した。
結局、天守閣を一瞥するつもりが、1時間20分も見学してしまった。迷ったが、武家屋敷にも立ち寄ることにする。その前に、とりあえず昼食である。どうもテキの思うツボのような気もしたが、城入口の正面にある食堂へ入り、手早く済ませた。
武家屋敷といえば秋田県角館のそれを想像してしまうが、島原は長さ約400mに亘って一本道が貫かれているだけの、シンプルなツクリだ。しかしその中央に幅約40cmの水路が設えてあるのが異色である。
すぐにでも散策したいが、その前に旅行貯金をしなければならない。武家屋敷区域に入らずそのまま左へ向かうと、郵便局がある。今回はここで貯金だ。
「島原江戸町郵便局 1,217円」
貯金後、武家屋敷を模した外観の郵便局を写真に収め、私は武家屋敷に引き返した。
(つづく)
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする