一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

「将棋ペン倶楽部 通信37号」を読む

2011-08-11 00:33:51 | 将棋ペンクラブ
先日の社団戦、将棋ペンクラブのブースでは、「将棋ペン倶楽部」のバックナンバーが300円で売られていた。バックナンバーは通常1,000円なので、300円は破格。売れ行きもよかったようである。
もう2ヶ月前の話になるが、6月の中旬、「将棋ペン倶楽部 通信37号」が発行された。きょうはその冊子の紹介をする。

・関西交流会レポート 棋友に誘われて K氏
岡山在住の会員のレポート。昔の岡山での将棋風景を交え、落ち着いた文体で綴る。後半は将棋ペンクラブ・湯川博士統括幹事による、リレー将棋のレポートがある。

・関東交流会レポート 雨にも負けず80人 S氏
大阪市在住の会員によるレポート。この交流会に参加するためだけに上京されたと思うが、関東在住の会員からすると、これはありがたいことである。当日は王位戦のプレーオフが隣室で戦われており、レポートではその状況を織り交ぜながら綴っている。

・東日本大地震日記 湯川博士
東日本大震災で被災された方々の安否を、抑えた筆致で綴っている。幸い、会員の皆さんは無事とのこと。被災地に届いた会報が、殊のほか喜ばれたらしい。

・鬼六先生を偲んで 一期は夢よ、ただ狂え 中野隆義
5月6日に亡くなられた、将棋ファンの作家・団鬼六氏の追悼文。将棋ペンクラブ大賞贈呈式などで団氏を拝見したことがあったが、その横にはいつも「近代将棋」元編集長・中野氏の姿があった。
本稿では、団氏と中野氏の出会いやタイトル戦の同行記を、淡々と綴っている。その中に団氏との惜別の情が垣間見え、そこが涙を誘う。

・オモシロ人物小咄(2) 東公平
少年ジャンプのコピーではないが、東先生のエッセイは将棋ペン倶楽部でしか読めない。本稿でも熟練の筆致が堪能できる。今回の登場人物は、作家の山口瞳、河口俊彦七段、加藤博二九段など。
文中で東氏が「特筆しておく」と記しているのでここでも記すが、「将棋年鑑」の発案者は、能筆家・荒巻三之九段だったそうだ。

・雀卓の大山名人 湯川恵子
大山康晴十五世名人の、晩年の思い出話。大山十五世名人が亡くなって19年。名人のエピソードを語れる人物も少なくなっており、こうしたエッセイは貴重である。本文を読んで、大山十五世名人は本当に魅力的な人だったんだなと思った。名人は、年齢を重ねるごとに人気が出てきた稀有な人。こんな棋士はもう現れないだろう。

・カムバック U氏
若いころ大病した作者が、20年後に将棋界にカムバックする。その後も作者の精進は続き、平成23年、ついにはアマ竜王戦の県代表決定戦に進出する。その相手は…!?
本文の分量は2頁1/3だが、書けばいくらでもエピソードが出てきそうで、4~5頁に膨らませても十分読めたと思う。

・我が将棋半世紀(5・最終回) 渋谷守生
東京アマチュア将棋連盟会長による連載の最終回。本文を読むといろいろな職を歴任しており、一冊の本にしても十分な内容になると思われる。
末尾に、将棋についての感動的な一文がある。転載するのは味がわるいので、これは通信号を読んでいただくしかない。

・[小説]盲目真剣師・道場破り S氏
北陸のある将棋道場に、スーツ姿の男性と、高校生と思しき女性がフラリと訪れる。女性は目が不自由だった。彼女は、道場一の強豪との手合いを所望し、「わたしが勝った場合、あなたにとって、大切なものをひとついただくことになります」と言う。戦前の小説を思わせる、不思議な余韻の残る作品。

・将棋ペンクラブ大賞推薦作一覧

次回の「将棋ペン倶楽部」は背表紙のついた会報号で、9月中旬の発行予定。次号は私の原稿も掲載される予定である。タイトルは「忘却の角」。
会報を読みたい方は、将棋ペンクラブの会員になっていただく必要がある。年会費3,000円で、1月から12月まで有効。途中入会でも、その年に発行された会報(バックナンバー)が送られてくるので、損はしない。
自分の原稿が載っていると、やはりワクワク感が違う。9月の発行が、いまから楽しみである。
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駒落ちか、平手か――。

2011-08-10 00:25:24 | 将棋雑考
先日の当ブログで、LPSA芝浦サロン担当の島井咲緒里女流初段が、初心者に平手で指導対局を行っていた、と書いた。
サロンでの指導対局の場合、手合いをどうするかは下手の自由である。仮に初心者でも、平手だって構わない。「アマチュアと平手は指しません」という男性棋士もいるが、LPSA女流棋士は、平手大歓迎である。
ところでこの「初心者との平手の手合い」、私もサロンなどで所望されたことがある(オール平手の、ジャンジャンマンデーのときではない)。
下手側は、実戦を重ねることで得意な戦法をマスターしたいから、駒落ちより有用だと考えているのだろう。
しかし上手、というか私としては、やはり物足りないわけである。下手も定跡は知っているから、序盤はそこそこ形になる。しかし中盤に入ると途端に疑問手を連発し、すぐに上手が勝勢になってしまう。
ここで対局時計を止めて、悪かった手を指摘してあげればいいのだけれど、こちらは指導料をもらっているわけではないので、容赦なく終局まで進めてしまう。結果、虚しさだけが残る。
駒込金曜サロンのとき、棋力は6~7級なのだが、女流棋士との指導対局は平手を所望、それでいて自分が絶対勝ちたい、という女性がいた。
これは、女流棋士がふつうに指していれば、どう考えても女流が勝つ。もちろんそれが当然なのだが、そうするとこの女性は機嫌が悪かった。
その女性をうまくいなしていたのが船戸陽子女流二段で、女性が悪手を指すとプレイバックし、女性が正着を指すよう、うまく持って行った。
傍から見ると船戸女流二段がひとりで指しているように見えるのだが、女性からすれば自力で勝った気分になり、女性の船戸女流二段に対する評価も高かったようである。
しかしこれは自己満足の最たるもので、とうてい女性の棋力が向上するとは思えなかった。
冒頭の島井女流初段の指導対局は、下手が一手一手指し手の意味を確認しながら進めていたので、すこぶる進行度合いが悪かった。
しかしこれを指導対局というのだろうか。これなら定跡書で勉強したほうが、よほど身になるのではないだろうか。
そして改めて、疑問がわく。初心者は、なんで駒落ちを指さないのだろう。平手じゃないとダメなのだろう。明らかにハンデをつけられるのが、イヤなのだろうか。
平手全盛時代の今、下手が駒落ちを所望する気持ちは、もはや薄れてしまっているのだろうか。
駒落ちのいいところは、上手に多少なりとも力を出してもらえる、上手の小駒の使い方を勉強できる(これがいちばん大きい)、いろいろな手筋が学べる、上手の巧妙な寄せが勉強できるなど、さまざまなメリットがあることだ。それをハナから拒絶してしまうのは、もったいない。
ただこれは、指導する側にも問題があって、LPSAの場合、所属女流棋士全員が、すべての駒落ち定跡をマスターしているとは思われない。下手に自信を持って教えられるのは、中井広恵女流六段と蛸島彰子女流五段、石橋幸緒女流四段くらいだろう。
ほかの女流棋士は、多少我流が混じっている。女流棋士会女流棋士の例を出して恐縮だが、以前山口恵梨子女流初段がテレビの講座で、囲碁の武宮正樹九段と角落ち対局を行ったことがある。しかし山口女流初段の指し方はお世辞にもうまいとはいえず、私は見るに堪えなかった。
LPSAも含め、それらの女流がこれから駒落ちの勉強をするとは思えない。それなら初心者にも平手の定跡を教えたほうが手っ取り早い、ということになる。
しかし私の経験だと、駒落ちの下手は勉強になった。上にも書いたが、同じ駒が上手の手にかかると下手の何倍もの働きをし、魔法を見るかのようだった。そんな上手の包囲網をかいくぐって何とか勝てたときの喜びは、平手戦以上のものだった。
初心者相手に、安易に平手で教えるか。めんどうでも駒落ち定跡を覚え、初心者に指導していくか――。ここがLPSA女流棋士の考えどころであろう。
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社団戦2日目(後編)・みんなに感謝

2011-08-09 00:12:58 | 社団戦
Wパパ氏は、終盤盛り返したが、競い負けた。Wパパ氏、相手と戦う直前、対局表に書かれてある相手の成績が見えてしまい、それが5戦全勝だった。これで気勢が萎えてしまったらしい。大野八一雄七段を平手で破った男が、何たる弱気か。
しかしこれが社団戦である。Wパパ氏、ちょっと拗ねながら
「4勝3敗で終わって面白くなかったでしょ?」
と私に言う。私はつねづね「4勝3敗で勝利するのが最上」と口にしているからで、その対局に参加できなかった大沢さんは面白くなかったでしょう、とWパパ氏は皮肉ったのだった。
私はチームが勝てば、何勝でもいい。否、最終戦の結果次第では、勝ち星勝負のケースも出てくるので、勝ち星は多いほどよい。
結局、LPSA星組は、6-1、4-3で2連勝。いっぽう月組は、2回戦は負けて1勝1敗となった。女性だけのチーム、なかなか強かった。
さて、3回戦である。私は三将で復帰。抜け番はベテランのT・K氏だった。T・K氏の起用法はY監督も神経を遣っていて、1局は休ませるようにしている。
奇数先手番で、対局開始。左に目をやると蛸島彰子女流五段がおり、お互い目礼する。
私の居飛車明示に後手氏は居飛車で応じ、矢倉模様になった。しかしお互い早囲いを目指しているので、玉が薄い。▲6九金、△4一金型なので、神経を遣う。ただ、私のほうがつねに指しづらい形勢だったと思う。だが、後手氏が終盤の入口で踏み込みを欠き、形勢の針が私に傾いた。
終盤、▲3四銀▲3五歩▲5四歩▲7五角・持駒銀桂、△1一香△1三歩△2一桂△2二玉△2三歩△4一金△5一角△5二金△8二飛…の局面で、私は▲5三歩成。後手氏は△8五金と角を取りにきたが、私は構わず▲5二と。これに△7五金なら、▲2三銀成△同玉▲3四銀△2二玉▲2三金△3一玉▲4三桂までピッタリ詰みとなる。
よって△5二同飛だが、角筋が通っているので、それでも▲2三銀成が利いた。これで即詰みである。
副将のKaz氏は早々と快勝。私が二番手で勝ち名乗りを挙げるかと思いきや、Wパパ氏が一瞬先に勝ち。すぐに私も続いて、3連勝となった。
ここまで来れば、残り4局で1勝すればいいのだから、だいぶラクだ。昨年もそうだったが、今年の星組は層が厚い。3回戦ももらった、と確信した。
注目の結果は、7戦全勝。月組も含めて、これはLPSA、初の快挙である。
しかし7勝0敗とは…。これだけ優秀なら、私がいてもいなくても関係ないのではないか? ますます私の存在意義が薄れてゆく。
午後3時からは4回戦。いよいよ将棋ペンクラブとの対戦で、楽しみにしていた一戦である。「将棋ペンクラブ」、何となく弱そうな名前である。ただ、一歩間違えれば、私がこのチームに入っていた可能性はあった。
将棋ペンクラブは幹事のみで構成されていると思いきや、他のチームで頑張っている選手もいて、人数が足りない。よって、一般会員の選手も混じっていた。
私はA幹事との対戦を所望したが、A幹事は打ち上げ場所の手配をしなければならないとかで、4回戦は不参加。私は初対面の人と対戦となった。
余談だが、A幹事の奥さんは前回も今回も将棋ペンクラブのブースで手伝いをしていた。前回は社団戦に参加している選手があまりにもいい顔をしているので、自分もそのひとりになりたい、チームに入って戦いたい、と思ったそうだ。
しかし残念、奥さんが戦うには、まだちょっと棋力が低い。数年後のお楽しみであろう。
4回戦はWパパ氏が抜け番。Y監督、Wパパ氏がいなくても将棋ペンクラブには勝てる、との読みで、それは正しい。ひとつズレて、私は副将で出場。偶数先手で対局開始、私は相矢倉となった。
私が自玉頭に位を張ると、後手氏は穴熊に組み替える。お互い飛車を左辺に振って、妙な力戦形になった。
右の三将・T・K氏は、観戦記界の大御所・湯川恵子さんとの対戦。筋よく攻めて、勝勢だ。前局の休養が功を奏したか。
私は8筋、後手氏は3筋を破るが、私の▲2四歩が厳しかったようだ。以下は後手氏の反撃をかわし、私の制勝となった。
5局が終わって、すべて星組の勝ち。やった…!!
「ああっ!!」と叫び声がしたので声の方向を見ると、Y監督の対戦相手が、竜を只取りされたらしい。これが大きく、Y監督の逆転勝ち。これで6勝0敗となった。
なんだ…私の参戦した将棋は、私以外は誰も負けていない。なんだかおもしろくない。残る1局は実力者のSa氏だが、珍しいことに苦戦している。自玉に火がついているうえに、相手玉(イビアナ)は手つかず。これはSa氏の負けであろう。
結果も、Sa氏が負けた。しかし、2回戦で一番最初に敗退した私と違って、本局のSa氏は、いわば消化試合。周りの目も優しく、不公平だと思った。
このあとは片付けである。盤と駒、対局時計を所定の箱に仕舞い、机と椅子を折り畳む。どんどん片付けてゆく。
1部リーグのほうにも行く。しかし我々片付け隊にはおかまいなく、談笑しながら将棋の研究をしているバカがいる。
ひととおり片付けたら、私たち(3部~5部)の仕事は終わりだ。机や椅子の什器類は、ひとつ所にまとまられ、それは1部と2部の当番が階下へ運ぶ。彼らはいつも対局が遅くなるので、担当が分かれているのだ。
ところがこの時点で、対局会場フロアには、当番が20人前後しかいなかった。1部や2部の当番は、どこへ行ったのか。
社団戦の責任者氏が、残っていた私たちにチーム名を聞く。
「LPSAです」
「おかしいな…本当は1部や2部の人たちがもっといなくちゃいけないんだが…」
私たちは何と答えたらいいか分からない。
帰りそびれた私とFuj、Tod両氏はそのまま作業を続ける。私たちが格納庫へ什器を運び終えると、責任者氏から「ここまででOK」が出た。まだ椅子や机をトラックに運ぶ作業が残っているが、さすがにそこまでは手伝わせられないと判断したらしい。
私もお言葉に甘えて、Fuj氏と会場を後にした。だがTod氏は、まだ作業をしていたようである。これはTod氏、株を上げた。
みんなより少し遅れて、打ち上げ会場に入る。飲み物を頼んで、改めて乾杯。
きょうの成績を整理すると、4部星組は6-1、4-3、7-0、6-1の4勝0敗。私個人は2勝1敗だった。総合23勝5敗は見事の一語。
5部月組は、1勝3敗。5部も強敵が多いから、この成績はやむを得ない。しかし星組は当初の目標を達成できて、私はとてもいい気分だった。
私以外は、実にみんな、頼もしかった。
このあとは、石橋幸緒女流四段、石橋ママが同席し、楽しい席となった。ただ、昨年も同じケースがあったのだが、石橋親娘が参加すると、どうしてもふたりの話が中心になってしまう。私としては、もっとみんなと社団戦の話がしたかった。激闘の社団戦の、余韻を楽しみたかった。
楽しい時間は早く過ぎる。11時まで談笑し、お開きとなった。次回、私は不参加だが、このメンバーなら、またいい成績を残してくれるだろう。
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社団戦2日目(中編)・Y監督の采配

2011-08-08 00:15:10 | 社団戦
LPSA星組は、何と6勝1敗で1回戦を終えていた。先ほどのWパパ氏の話では、星組がすでに4~5勝している、とのことだったが、残りの1~2局も、全勝したということだ。つまり、負けたのは私だけであった。
「大沢さんの星はアテにしてないから」
何だか、ほかの選手のモノ言わぬ声が聞こえてきたようだった。しかし彼らが、こんなに将棋が強かったとは…。
私は小さからぬショックを受けた。
Y監督が来る。
「2回戦はどうします?」
「?」
「出ます?」
はあっ? オレに、休めというのか?
「いや、どっちでもいいよ」
どっちでもよくないんだよ。オレを出さないわけにはいかんだろう。オレは三将だよ?
「本当に、どうしますか? 出たいですか?」
「いや本当に、出ても出なくてもいいよ。出たいが50%、出たくないが50%」
オレにイチイチ聞くのがおかしいんだよ。オレはレギュラーでしょう。外せないでしょう。
「じゃあ2回戦は休んでください」
はあっ!? 休み? オレが、休み?
こ、これはY監督、非情の采配に出たものである。私が2年前に社団戦に参加してから、参戦した日は、1回も休んだことはない。今回が初めてのスタメン落ちである。それをY監督は、いとも簡単にやった。不振の選手は、坂本だろうと小笠原だろうと、控えに回ってもらうということだ。もっとも1回戦は、私のみ負けだったから、こちらも強くは言えないのだが。
しかしこれで負けたら、Y監督が非難を浴びるのは必至。それでもY監督は、2回戦で勝利するとフンだのだ。この男、大したものだと思った。
節電の余波で、12時対局開始。対局不参加は残念だったが、気楽な意味もある。チームが負けても、私に責任はないからだ。
七将の不戦勝で、実質3勝でよくなった。これは大きなアドバンテージだ。
こそこそと自チームの将棋を見て回る。Y監督をのぞき、前局は勝利した連中だ。そんな目で見ているから、頼もしい。
5部月組のほうも見てみる。こちらは女性チームとの対戦だ。さすがに勝てそうな気もするが、月組のメンバーを見ると、いささか心許ない。
星組に戻る。30分が経ち、七将のFuj氏が席を立った。社団戦の持ち時間は、3~5部は30分・30秒である。相手が不在なのに30分間座っていたのは、Fuj氏なりのケジメだったのだろう。
六将・Y監督は勝勢。簡単な即詰みがあったらしいが、Y監督には見えていない。しかし勝ちは揺るがない。しばらくして勝ち、これで3勝(不戦勝1含む)2敗となった。
残るはWパパ氏とKaz氏。Wパパ氏は序盤から苦しい形勢だが、Kaz氏は薄い将棋から果敢に攻めを続け、なんとか一手勝ちの態勢に持ち込んでいる。最後もうまく寄せて勝ち。チームの勝ち越しが決まった。
さすがに私もホッとした。
「大沢さんが出なくても、4勝はできる――」
Y監督、さすがの読みであった。
(つづく)
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社団戦第2日(前編)・負けた…

2011-08-07 00:16:15 | 社団戦
日レス杯の決勝に進出した中井広恵女流六段と船戸陽子女流二段に、お祝いを申し上げます。決勝戦も熱い戦いを見せてください。

7月31日(日)は社団戦の第2日目だった。最寄駅の浜松町までは160円で行ける距離なので余裕だが、きょうは会場設営と後片付けがあるので、いつもより早く家を出なければならない。ちなみに前回の設営当番は2年前の7月。2年で1回まわってくるようだ(…と思ったら、Y監督から、設営当番は昨年の8月にもあった、とのコメントをいただいた。私は休んだので、すっかり忘れていた)。
会場集合は午前9時で、その3分前に入ったのだが、すでに大勢の人が設営を行っていた。遅刻はしていないのだが、なんだか後ろめたい。私もすぐさま合流して、机や椅子、盤駒を並べた。
今回のLPSA星組メンバーは、Wパパ、T・K、Kaz、Y、ミスター中飛車、Sa、Fujの各氏に私。総勢8名で、人数的にはけっこう厳しい。
1回戦はY氏が抜け、9時45分、対局開始。
私は三将となった。いままでは大将か副将で、三将は初めての気がするが、前回の個人成績は2勝2敗でパッとしなかったし、この降格は仕方がない(…と思ったら、Y監督から、前回の私の成績は1勝3敗だったとの指摘をいただいた。こんなに負けたかなあ)。このあたり、監督のY氏は実に冷静に判断している。
奇数後手で私の後手番。▲7六歩△3四歩▲6六歩の出だしだったので先手氏の振り飛車かと思いきや、居飛車で来たのでズッコケた。私は自身を居飛車党と思うが、相居飛車は嫌いという、エセ居飛車党なのだ。
私が8六で角を換わると、先手は腰掛銀から4筋に飛車を回った。このまま▲4五歩と開戦されてはつまらないので、私は△3五歩と桂頭を攻める。
先手氏、▲4七銀は利かされなので▲4七金と上がったが、私は序盤の勝負手△1四角。ここで①▲3五歩は△3六歩。②▲1六歩なら△3六角▲同金△同歩で後手指せる。
そこで先手氏は▲2六歩。私は構わず△3六角と切りこんだ。▲2五桂△2七角成▲3三桂成△同桂。この局面が下だが、この岐れをどう見るか。

先手・1七歩、1九香、2六歩、4六歩、4七金、4八飛、5六銀、5七歩、6七歩、7六歩、7七銀、7八金、7九玉、8七歩、8九桂、9六歩、9九香 持駒:角、銀
後手・一公:1一香、1三歩、2三歩、2七馬、3二玉、3三桂、3五歩、4二金、4三金、4四歩、5四歩、6二銀、6三歩、7三歩、8一桂、8二飛、9一香、9三歩 持駒:桂、歩2
(44手目△3三同桂まで)

銀桂交換で私の駒損ではあるが、歩得のうえ馬を作り、△3三桂が▲4五歩も防いでいるので、後手十分と見ていた。ここから終局までの指し手を一気に記す。

▲1六角△同馬▲同歩△5三銀▲8八玉△3六桂▲6八飛△5九角▲3八飛△2六角成▲3七金△4八桂成▲2六金△3八成桂▲4五歩△同歩▲3五金△3四歩▲4四歩△3五歩
▲4三歩成△同金▲8三銀△4二飛▲6一角△2九飛▲5二金△7一金▲4二金△同金▲3四角成△5一金▲6六角△4三金▲3三角成△同金▲3一飛△同玉▲3三馬 まで、83手で先手氏の勝ち。

ここまでお互い早指しだ。先手氏はここでも短考で、▲1六角と私の馬を消しにきた。
これに△2六馬と歩を取りながら飛車取りにアテたいのはヤマヤマだが、以下▲2八飛△5九馬▲3四銀△同金▲同角は、次に▲2三角成と▲6一角成の両狙いが受からず、後手わるい。
そこでシャクに障ったが△1六同馬と取り、△5三銀と上がった。これが前々から指したかった手で、△5三銀と指してホッとした。
だが直後の△3六桂~△5九角の攻めが単調だった。△4八桂成で飛車の取り合いになり、この進行は先手の▲2六金が働かないから後手よしと考えていたが、後手も△3八成桂が遊び駒だ。桂を手放してまで飛車交換に固執する価値はなく、このあたりの大局観はおかしかった。
▲4五歩を手拍子に△同歩と取ったのも危険な手で、先手氏に▲3五金から▲4四歩と動かれ、遊び駒にさせようと目論んだ▲2六金が相手の駒台に乗ってしまっては、明らかな作戦失敗である。
これで先手優勢になったが、▲8三銀は悪手。こんなところに銀を打って幸せになった人は、羽生善治王座・棋聖ぐらいしかいない。それでもここでの銀打ちはヘンだ。私は△4二飛と逃げ、また棋勢が好転したと思った。
先手氏は▲6一角。ここで△7一金か△5一金を考えたのだが、△7一金は▲4三角成と切られたあと、この金がボケる。また△5一金は▲7二角成とされ、やはり△5一金の働きがいまひとつだ。
そこでいま一度自陣を見たが、先手からの厳しい手もなさそうだ。ならばと△2九飛と攻め合ったのだが、素朴に▲5二金と飛車取りに打たれ、飛び上がった。
こんな簡単な手を見落とすとはどうかしている。私は遅ればせながら△7一金と打ったが、▲4二金~▲3四角成とされては、△7一金がすっかりスカタンになってしまった。
次に▲5一飛が厳しいから、泣いて△5一金と打ったが、こんな受け一方の手を指すようではもういけない。
ここで先手は▲6六角。次に▲4五銀△同桂▲3三歩などがあり、これも厳しい角打ちだ。私は△4三金と催促したが、先手氏は▲3三角成~▲3一飛~▲3三馬と華麗に決めた。
「負けました」
私がそう告げると、ほかの選手から、(エエッ!?)と無言の驚きの声が上がった。(大沢さん、あ、あんた、もう負けたのかよっ!!)
開始からまだ20分ちょっとしか経っていない。確かに投了が早すぎたが、といって、自玉が受けなしなのにこれ以上盤の前に座っていることはできない。
感想戦で先手氏は、
「▲1六角に△同馬がありがたかった。△2六馬を気にしていた」
といった。先手氏の勝負所はここだったのか。私はもっとあとのような気もしたが…。
感想戦も早く終わり、私はいたたまれなくなって席を立つ。ほかの6人の背中が、(大沢さん、使えねぇ!!)と言っているようで、そそくさとその場を離れた。
LPSAブースの前を通ると、店番の藤森奈津子女流四段と大庭美夏女流1級が、怪訝な顔をしている。
「どうしたの?」
と藤森女流四段。
「負けちゃいました。へへ」
私がそう言うと、藤森女流四段の顔から笑み消えた。「メッ!!」という顔をする。
ああっ、オフクロ…。
藤森女流四段に叱られたい、という男性ファンは、全国にかなりいるのではなかろうか。私はLPSAファンの中で、藤森女流四段にいちばん叱られていると自負している。ありがたいことである。
対局会場を出たが、まだ10時半にもなっていない。これでは「ゆで太郎」には入れない。浜松町駅を越し、大通り沿いにあるドトールコーヒーに入った。
ここでさっきの将棋を検討する。しかしここで検討するくらいなら、実戦でもっと考えろ、という話だ。
△3五歩~△1四角の構想は悪くなかったと思うが、△3六桂~△5九角は、やはりダサイ攻めだった。しかし▲6一角のときに、何かうまい手はなかったものか。
あ! △6二金と受ける手はなかったか。これには▲4三角成と切る一手。△同飛だと▲3四金が面倒なので△同玉だが、先手の持ち駒は角、金2の歩切れ。これで後手玉に迫るのは容易ではないと思う。そうか、これなら私のほうが良かった。しかし、金を7一や5一に打つ手を考えながら、なぜ6二に打つ手を考えなかったのだろう。まったく、エアポケットに陥っていた。
ドトールコーヒーを出て、「吉野家・増上寺店」に向かう。吉ギューはまだ270円セール中である。安いときはとことん利用するのだ。私はおカネがない。
ところでこの類の店は日本全国、牛肉とご飯の量が決まっているはずだが、増上寺店の牛丼は、どちらも少なめだった。とくにシャリ、これを箸ですくうとポロポロこぼれた。ご飯をギュッと押していない証拠だ。
すっかり気分を害して、店を出る。と、Wパパ氏にバッタリ会った。パパ、昼食を摂りにここまで遠征してきたのだろうか。
「Wさん、申し訳ない」
「ああ、いいですよ」
「本当にどうも」
「あの局面、なんで大沢さん攻め合っちゃったのかなあ、と思って」
「というと?」
「△2九飛のところで、△6二金なら大沢さんがよかったんじゃないの?」
「ああそう! そこ、私もそう考えてたんですよ」
Wパパ氏が▲6一角の局面での正着をズバリ指摘したので、私は驚いた。Wパパ氏は大将、私は三将だから、Wパパ氏の席から私の将棋は相当見づらいはずだ。
それなのにWパパ氏は、そこで正着を言い当てた。しかも「△6二金」と、後手番の符号を述べたのだ。ふつうは自分を先手に見立てて、「▲4八金」とか言いそうなものだ。
やはりWパパ氏は強い、と思った。
打ちひしがれて、会場へ戻る。と、衝撃の結果が待っていた。
(つづく)
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