一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

きょう26日は、社団戦3日目!!

2012-08-26 01:00:20 | 社団戦
日付変わって、きょう26日は、社団戦第3日目である。
我がLPSA星組(3部)は、ここまで3勝5敗。すでに昇級の目がないので、逆にリラックスして臨めるだろう。
LPSA月組(5部)は、ここまで5勝3敗。昇級の可能性は十分あるが、もう一番も落とせないところ。こちらは緊張感を持って臨む必要がある。
と、社団戦に参加していない私が、エラソーなことを言ってはいけない。私は社団戦のプレッシャーから逃げた負け犬だからである。
ま、私のことは無視して、参加の皆さまは頑張ってください。
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沖縄旅行9

2012-08-25 00:36:30 | 旅行記・沖縄編
カイジ浜に着いた。ここは遊泳より、星砂で有名だ。だいぶ昔、八洲旅館ユースホステルに泊まった京都大学の学生が、一升瓶いっぱいに詰め込んだ星砂を私たちに見せて、悦に入っていたことがある。バカが…。
話を現在に戻す。エメラルドグリーンの海が綺麗だ…と感動したのも束の間、たちまち雲行きが怪しくなり、ポツポツ降ってきた。沖縄旅行最終日、ついに雨の被害を受けた。
カサなど持ってきていないので、木陰で雨宿り。海の色もたちまち灰色になって、私の心も暗くなった。
雨が止んだところで、コンドイビーチに移動する。竹富島といえばコンドイビーチで、遠浅の海が果てしなく綺麗だ。しかし浅すぎて、魚を愛でるには適していない。
しばらく海を眺めていたが、こちらにも雨が降ってきた。今度の雨もしつこい。
東屋に避難するが、さすがにウンザリしてきた。旅行の最大の敵、それは雨である。旅の高揚感を鎮めるのは簡単だ。ポツポツ雨を降らせばよい。
小やみになったところで、コンドイビーチも後にする。ここまでは、グダグダの竹富島である。
私が竹富に来た理由、それは某店のかき氷を食べるためである。数年前、フラリと入ったかき氷店で食べたそれがフワフワでたいそう美味く、私は一遍にこの店のファンになってしまったのだ。
昨年もそれが目当てで行ったのだが、あいにく休みだった。今年は秩父合宿の帰りに、瀞峡・阿左美冷蔵のフワフワかき氷を堪能している。秩父のそれを味わって、竹富のそれに挨拶しないのはマズイ。今年こそ、竹富のかき氷を味わうのだ。
店名は忘れたが、場所はだいたい覚えている。のんびりと島内を歩き、集落に入った。
「美女 安里屋クヤマ生誕の地」の標が立った、民家があった。八重山地方の名曲「安里屋ユンタ」のモデルになった女性だろうか。しかし安里屋某は、実在の人物だったのか? まあ、石垣島・野底マーペーの伝説も、実在の男女だったようだし、こうして生誕の家が遺っているということは、安里屋クヤマも実在していたのだろう。しかし彼女はどれほどの美貌だったのか、一度拝んでみたかった。
その向こう側には、赤山丘に立つ「なごみの塔」がある。恐ろしく急な階段を登ると、1名ないし2名で身動きができなくなる展望台に立ち、そこから竹富の街並みを一望できる。
私が初めて竹富に訪れたころは、なごみの塔はそれほどメジャーではなかった。しかしここ数年は竹富島屈指のビュースポットとして、観光客の行列が絶えない。
いまも数人が並んでいる。行列に並ぶという行為は私の辞書にはないので、素通りしてかき氷店に向かう。道の先で風車がくるくる回っている。あのあたりか、とアタリをつけたら、ビンゴだった。ここが私の望むかき氷店である。「パーラーぱいぬ島」。ああ、こんな名前だった。
砂利の敷いてある庭にアクリルの屋根をかぶせ、ベンチを置いただけの簡素な造りだが、それが逆にいい趣である。
ただ、肝心のかき氷が、300円から400円に値上げされていた。…400円!? 阿左美冷蔵のかき氷は600円だか700円だったから、400円でも十分安いのだが、それでも300円から400円は、33パーセントの値上げである。
けっこう大きく出たなー、と思いつつ、私は氷ぜんざいを注文した。
出された氷ぜんざいを一口ほおばる。しかしフワフワ感があまりないような気がする。阿左美冷蔵のかき氷はもっとフワフワで、とびっきりの美味だったが、どうなのだろう。
ああ、あのときは隣に中井広恵女流六段がいたのだ。だからかき氷も美味かったのだ。そういえば中井女流六段には、最近会っていない。それならば禁断症状が出そうだが、そうはなっていない。私は本当に中井女流六段のファンなのだろうか。
氷ぜんざいをほおばるが、フワフワ感が出てきて、やはり美味い。黒砂糖の甘みが絶妙だ。底には白玉がふたつ。これは400円でも安いくらいだった。ごちそうさま。
なごみの塔に戻ってみる。待っている観光客がひと組だけだったので、私も待つことにした。と、その間にも、私の後方にみるみる行列ができる。どうしてみんな、ここに登りたがるのだろう。とウンザリしている自分もそのひとりである。
東京に来た旅行者が、「どうして東京はこんなに人が多いのだろう」と呆れる。アンタもそのうちのひとりだろう、というのと同じだ。
私の番になったので、サッサッサッと上に登る。展望台に立つが、私は高所があまり好きではないので、ヒザがガクガクした。床がゆらゆら揺れている気がするが、気のせいだろうか。囲いは腰のあたりまでしかなく、ここで気を失ったら、確実に墜落する。
しかし後ろがつかえている。私は意を決して、写真を撮った。
これは誰のために撮っているのか。ブログの読者のためか。

塔から降りて、改めて見上げてみる。カップルが登っている。ここはカップル…というか、意中の女性を落としたい男性が、女性といっしょに登るのがよい。吊り橋効果で、女性のハートを射止める可能性が高くなる。
先のカップルは、男性が背中から、囲いに寄りかかっている。バカじゃなかろうかと思う。鹿児島県吹上浜「砂の祭典」の展望台に登ったときもそうだったが、男性は危険に対して、無頓着すぎる。
なごみの塔を下りる。水牛車がのんびりと客車を牽いている。こうしてみると、竹富島は見所いっぱいである。石垣からも近いし、人気があるのもうなずける。
水牛車はもういいので、私は港方面に戻る。竹富ビジターセンター「ゆがふ館」にお邪魔して、高速船の到着を待った。
16時15分のそれは安栄観光の運航だが、もちろんこの船にも乗れる。相互利用OKは、やはり便利である。
「ぱいじま」も、中型高速船だった。定刻を10分も遅れ、16時35分、石垣港着。
帰りの飛行機は18時40分だから時間はあるが、私には新たにやることが生じていた。A&Wに寄りたいが、その時間もない。私は旧あやぱにモールに向かった。
7歳のめいと4歳のおいに、アクビちゃんTシャツを買いたいと思う。昨年それを買ってあげたら、好評だったからだ。
しかしデザインが去年と同じだったので、今年は見送った。
土産物屋で、120円のペットボトル(500ml)を買う。100円のお茶もあったが、120円のジュースのほうがよい。
その足で、私は石垣港に戻った。16時15分に鳩間島を出た高速船を迎えるためである。
カイジ浜の手前でバスタオルを忘れたことに気づいた私は、その直後、まるだいに電話をかけた。夕方の高速船で石垣に戻る「稲葉六段」に、バスタオルを持ってきてもらうよう頼むためである。
Naomiさんとは繋がり、こちらの用件もしっかり伝えたのだが、本当にこちらの意が伝わったかは分からない。
高速船は遅れている。八重山観光フェリーの案内嬢に聞くと、あと7分で着くとのこと。結局12分の遅れで、「サザンクイーン」は、石垣港に着いた。
桟橋で待っていると、「稲葉六段」が降りてきた。まさか、こんなに早く「稲葉六段」と再会するとは…。
私は「稲葉六段」に駆けより、精一杯の笑顔を作る。久しぶりの営業スマイルだ。「稲葉六段」も私に気づくが、「まああちらで」ともったいつける。なんだか、借金の申し込みに来た債務者を、金融業者が別室へ案内する図のようだ。
石垣港ターミナルに入ると、彼が大型のリュックサックから、折り畳まれたバスタオルを出した。
これだ! 私はありがたく受け取る。鳩間島の陽光を浴びて、そのバスタオルはふんわりしていた。
私はカバンから先ほどのペットボトルを取り出すと、ありがとうございましたと、彼に渡した。
(27日につづく)
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沖縄旅行8

2012-08-24 20:38:15 | 旅行記・沖縄編
東の空に、こーんなぶっとい光が、スーーーッと流れて、消えた。あ、あれは流れ星だったのか?? ずいぶんしっかりした光で、あんな流れ星は初めて見た。
流れ星といえば願い事がつきものだが、見た刹那はそんな余裕はないもの。しかしあの流れ星は、見るだけでご利益がありそうだった。
「稲葉六段」がギターを弾きながら、「島唄」を歌う。彼は八重山フリークだから三線を弾きそうなものだが、ギターと三線は似て非なる楽器で、両方を使いこなすのはむずかしいという。
少年のひとりが、母屋で怪談話を始めた。典型的な真夏の夜、である。即興の創作話らしいが、なかなかおもしろかった。
気がつけば12時。さすがにお開きである。廊下には襖がなく、雨戸も閉めないから、究極の無防備で眠る。しかし島に泥棒はいないから、何の心配もない。
部屋には南洲香の蚊取り線香。これで蚊は一切入ってこない。扇風機を弱にして、その首を振る。静かに風が流れ、いい気持ちになって、すぐ眠りに落ちた。

沖縄旅行最終日・15日(水)は、尿意で目が覚めた。トイレは外にあるので、サンダルをはいて庭に出る。表では「真木」さんが、寛いでいた。さすがに宿の人は朝が早い。時間を聞くと、6時過ぎだった。
再びうつらうつらして、7時ごろ起きる。私は全然気づかなかったが、昨夜はあれから2回ほど、通り雨が降ったという。たしかにサンダルが濡れていた。サンダルはまあいいが、海パンがぐっしょり濡れていたのには参った。こんなことなら、海パンも軒下に避難させておくのだった。
7時半より食事。しかし旅先の朝食は、なぜあんなに美味いのだろう。
さてきょうは、10時45分の高速船で石垣島に戻り、竹富島を日帰りする予定である。八重山初心者でもあるまいし、いまさら竹富島でもないが、ちょっと寄りたい店があった。
まるだいの夏期間は9時45分チェックアウトだが、あってなきが如しのタイムスケジュールである。私は朝食後も、宿でボーッとする。こんな八重山の果てにいながら、きょうの夜には、私は東京にいるのだ。ちょっと信じられない。言い換えれば、東京と八重山は意外に近い、ということでもある。
Tシャツが半乾きである。私は庭のテーブルにTシャツを載せて、最後の乾燥を試みる。
それが済むと、いよいよチェックアウトである。午前の便で石垣に戻るのは私と「丸山九段」。「稲葉六段」は夕方の便で石垣に戻り、ドミトリーの宿に泊まるという。「船江五段」の予定は、聞かなかった。
一足早く港に向かう。やがてたくさんの宿泊客が集まってきた。私が初めて鳩間に訪れたときは、宿泊施設は、民宿が3軒あるのみだった。いまは何軒の宿ができたのだろうか。
島旅の港には「別れ」の演出がある。たった1泊だけれど、宿のみんなが見送りに来てくれ、ちょっと感動的である。
亡きおじいは港までは来るものの、貨客船で運ばれてくる生活物資を取りに来るのが主で、宿泊客にはそっけなかった。しかし私は、それはおじいの照れ隠しだったと思っている。
浜辺では釣り人が釣りをしている。大物がかかったようだ。釣り竿が大きくしなっている。私たちも見に行く。奮闘のすえ吊り上げ、宿泊客から盛大な拍手が起こった。
魚は30センチはあろうかという大物で、全体が緑色をしている。あまりうまそうには見えない。軽トラに乗っていた地元のおばちゃんに魚の形状を説明すると、「ブダイ」との回答だった。
西表上原港を経由した高速船が着岸した。きのう私が乗ってきた船である。「鬼奴」こと、Naomiさんに別れを告げ、私はそそくさと船内のシートに座った。
私も別れはあっさりしているほうである。ただし見送る側に回れば、「1日だけど楽しかった」「いい思い出になりました」「またどこかで会えるといいですね」と大仰に嘆き、感動を演出する。
高速船は定刻を3分遅れで鳩間港を出発、石垣港には11時36分に着いた。
私は石垣バスターミナル近くの「ひらのや」に向かう。本格的な日本そばを食べさせる店で、石垣島に来れば必ず寄る飲食店のひとつである。
入店するが、見慣れない女性が厨房にいた。よく考えると不思議な構造だが、厨房は出入口に接しているのである。あのひとはオヤジさんの奥さんだろうか。
私は精進天丼セットAを頼む。たぬきそばに、野菜天丼のセットだ。天丼はごはんの量が少ないものの、タネは5つ入っていて、これで750円はお値打ち価格である。
さっそく運ばれてきた。そばをすする。美味い! 天丼のタネは6つあったが、1個サービスしてくれたのか。それとも、奥さん?が数を間違えたのか。
しばらくすると、ご主人?が戻ってきた。昼休みだったのだろうか。
つゆも全部飲みほし、配膳係の女性にお代を渡す。この女性が息を飲む美人なのだが、左手の薬指に指環をしていて、いささか興趣が殺がれた。
港に戻り、八重山観光フェリーのカウンターで、竹富往復の切符をもらう。黒島往復2,310円、鳩間往復4,630円、竹富往復1,100円。もし「かりゆし周遊券」がなくてもこの離島ルートは変わらなかったから、都合3,040円もトクしたことになる。これが安栄観光の「アイランドホッピングキップ」だったら、もっとトクしていた。
竹富行きの高速船は、私たちがいつも乗るそれより一回り大きい、豪華なものだった。
竹富島には今年6月、「星のや 竹富島」がオープンした。全48のコテージからなるリゾート集落で、テレビ東京系「いい旅夢気分」でも紹介された。この宿泊客も見込んでの、船の大型化だろうか。
船の収容人数は200近くあるようだが、けっこう人が埋まって、12時31分石垣出発。12時44分、竹富港に着いた。
竹富には各観光地に有料バスが出ているが、竹富ぐらいは徒歩で制覇したい。
まず集落に向かい、竹富郵便局で貯金。郵便局の外観をカメラに収めている人がいたが、竹富島は街並みの景観の保存が義務づけられており、この郵便局も例外ではない。赤瓦の屋根が美しい。
815円を貯金して、今回の旅行貯金は終了した。
コンドイビーチに向かう。洗濯をして衣類から湿気が抜けたせいか、旅行カバンが軽く感じる。途中、カイジ浜に向かう道と2択になり、久しぶりにカイジ浜にお邪魔することにした。
それにしてもカバンが軽い。…あれ? …あ!! ああ!! しまったあ! 鳩間島に、バスタオルを忘れてきた!?
私はカバンを開けて確認する。やっぱり、ない…。あ、そうか…。きのうスコールが降ったとき、バスタオルだけ別の場所に移したのだ。あれでバスタオルのことが、スコーンと頭から離れてしまった。
私は私物に愛着を持つタイプである。いずれ捨てることになろうとも、それを旅先で置き去りにしてくることは耐えがたいことである。私は呆然と立ち尽くした。
(つづく)
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沖縄旅行7

2012-08-23 20:14:07 | 旅行記・沖縄編
いささか気が引けるが、海パンにTシャツ姿で、宿まで戻る。当たり前だが、島内を海パン姿で歩くことは禁止である。一般の人はマネしてはいけない。
シャワーを浴びる。宿にあるコインランドリーを利用して、洗濯も済ませた。と、「稲葉六段」が、あなたとは石垣島のユースでいっしょになりませんでしたか? と言う。
ああ…そう言われればそうなのだろうか。彼は私と会った時、八洲旅館ユースホステルが閉館したことを誰よりも嘆いていた。彼も八重山フリークで、とすれば休みの時期が同じ私と、どこかで出会っていてもおかしくなかった。
彼は八重山に、ギターを持ってきていた。…あっ! そういえば3年前、八洲旅館ユースで、ギターを弾いていた宿泊客がいた! あのときはひとり旅の若者が3人で和んでいて、私の入るスキがなかった。彼はその中のひとりだったか。
夕食は7時からなので、それまでの間、散歩に出る。八重山の陽は長く、まだ空は明るい。港の近くの防波堤にすわり、ひとり佇む。何度も書くが、海が透明である。
釣りをしている人が見える。のどかな光景だ。私はスマホを出して、「お気に入り」から「檄!帝国華撃団」「フライングゲット」を聴く。1年前では考えられなかった行動である。八重山の浜辺でAKB。実に贅沢なひとときだった。
宿に戻るが、まだ時間がある。部屋では「丸山九段」が、iPadで何か書いている。ここにも文明の利器がある。私はゴロンと寝転んだ。
扇風機のスイッチを入れると、風が気持ちいい。「まるだい」は部屋と廊下との襖を取っ払っている。外からは丸見えだが、そこを「ひんぷん」が遮ってくれる。
風よけ、魔除け、目隠しとさまざまな役割を果たす「ひんぷん」は、沖縄の家屋では定番の石積みだが、「まるだい」にはかつてそれがなかった。日本テレビ系ドラマ「瑠璃の島」のロケ地として「まるだい」が使われた際、番組スタッフがレプリカとして設置したものだ。
番組は終わったが撤去する理由もなく、そのままにされている。いまではその周りに花や草木が生い茂り、本物と見紛うばかりの風合いになっている。
こうやってグデーッとしていながら、夕食を待つ。繰り返すが、最高の贅沢である。
「あっ、虹だ!」
「丸山九段」が叫ぶ。見ると、東の方角に綺麗な虹がかかっている。遠くでスコールが降ったようだ。しばらくすると、こちらにも雨が降って来た。
鳩間では初めての雨体験である。Tシャツやトランクスは軒下に干していたが、海パンとバスタオルは庭に干していた。私はバスタオルを軒下に避難させた。
ごはんですよー、の声を聞いて、私たちは食堂に向かった。献立は魚を中心としたヘルシーメニュー。テレビではものまね歌合戦をやっていた。いまは日本全国津々浦々、東京で見ている番組と同じものが観られる。すべてが便利になって、何か物足りない。
1日遊んだこともあり、きょうの夕食もことのほか美味かった。
部屋に戻って、またもゴロン。食っちゃ寝、食っちゃ寝、というやつだ。こんな生活に慣れてしまったら、帰京してもまともに仕事ができないな、と思う。ちょっとリハビリしなくちゃならないな、と思う。
もっともそこまで心配しなくても、私はあす、東京に帰る。
うつらうつらしていたら、時間が経った。お茶にしましょうか、という娘さんの声で、私たちは庭にあるベンチに集まった。時刻は午後9時。ゆんたくの時間である。
先ほどのスコールのお陰で、すっかり涼しくなった。打ち水効果というべきか、Tシャツ1枚では肌寒いくらいだ。
昼に続いて夕食も摂った作業員は、鳩間島に出張なので宿に泊まり込みだが、すでに自室に引っ込んでいる。よってゆんたくの参加者は、それ以外の全員、ということになる。私は「請福」を薄く割って、乾杯。
娘さんは椿鬼奴似の美人。宿に出入りしていたマイク真木似のナイスガイは、鬼奴さんの幼馴染で、最近まるだいで働き始めたという。「採用」の決め手は、「料理ができたから」だったらしい。
鬼奴さんは鳩間に常駐しているわけではなく、年に半分くらい訪れているらしい。これからその比率が上がっていくのだろう。
おばあは現在那覇に帰っていて、ランチバイキングを楽しんでいるらしい。大庭美樹女流初段似のヘルパーさんは、退職したとのこと。おじいが亡くなって、スタッフが一新された感じだ。
少年が鬼奴さんに、「おばさんって何歳から?」と残酷なことを問う。対して鬼奴さんの答えが振るっていた。
「60歳から」
46歳はまだまだ青年だ。私も老けこんではいられない。
やがて近所の夫婦(旅行者?)と、どこかの親戚のお孫さんふたりが合流して、にぎやかになった。
小学生計3人は「船江五段」を誘い、母屋でトランプ。大人は引き続き世間話である。初対面の人との会話の機会はなかなかないので、私もいい刺激になる。
空を見上げるが、星がほとんど見えない。これは意外だった。あるいは私の目が悪くなったのだろうか。
しばらく経って、ご夫婦は退席。トランプをしていた小学生の少年も、こちらのテーブルに戻ってきた。彼は同年代の少年と遊ぶより、大人とのゆんたくを楽しみたいようだ。ではここで、席の配置を記しておこう。

   稲葉 少年 丸山
真木
   鬼奴 一公

鬼奴さんが、玄関と廊下の蛍光灯を消す。辺りは真っ暗になり、その途端、夜空に満天の星が輝いた。
「プラネタリウムだ!!」
天然の星を見てプラネタリウムというのも変な話だが、それが実感だった。
蛍光灯が2本点いているだけで、星が見えない。これでは東京で星を見るなど、夢のまた夢だ。
星を見ればお約束、流れ星の確認である。私たちはのけぞって、それを探す。何人かは見つけたようだが、私の視界には入らない。だいたい私はこういう時、見つけられないクチである。そのときだった。
ああああっ!? あれ!! あれは、いまのは、何だ!?
(つづく)
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沖縄旅行6

2012-08-22 00:22:56 | 旅行記・沖縄編
室内は異様に狭かった。ベッドが横に設えられているが、それが部屋の横幅である。ふつうのビジネスホテルは、その脇にライティングデスクを置くスペースぐらいはある。ユニットバス、トイレはまあまあだが、「お茶セット」、寝間着がない。テレビ兼用のPCはあるが、画面が小さい。しかしここは、部屋にPCがあるのが最大のウリのようだ。通常のビジネスホテルとは性格を異にしている、と考えるべきだろう。
部屋が蒸し暑いから冷房を入れるが、早急に水分を補充しなければならない。私は近くのコンビニへ行き、1リットル(正確には946ml)の紙パックのスポーツドリンクを、2本買った。
部屋に戻り、それを空のペットボトルに詰め替える。コンビニでふつうに買えば300円余だが、これで196円で済んだ。
ここは階下のネットカフェを1時間無料で利用できる。無制限で利用できると理解していたので「1時間のみ」は誤算だったが、それでもドリンクを大量に摂取し、部屋に戻るとPC三昧となった。
といってもブログはほとんど書かず、ネットサーフィンである。しかしこれ、いまが旅行の最中だということを忘れてしまい、善し悪しである。
きょうは午前3時に就寝した。

翌14日(火)は、ネットカフェ店内で朝食。これも宿泊費に入っている。ウインナーを2本挟んだ調理パンにハンバーグ、それに玉子スープ。沖縄らしい朝食ではある。
チェックアウトして、石垣港に向かう。先にも書いたが、きょうは鳩間島にお邪魔する。まったく、やっていることは毎年同じだ。
八重山観光フェリーの「サザンクロス」に乗る。いまでこそ1日数便の鳩間行きがあるが、ほんの数年前までは、週3便出航する貨客船が、鳩間までの足だった。1回鳩間に上陸すれば、最低でも2泊は絶対。島に宿は3軒しかなく、食堂は1軒もなかった。商店の類もなく、たいそうな不便を強いられたが、しかしその不便が楽しかった。
サザンクロスは定刻の9時30分を3分遅れて出発。西表島上原港を経由し、10時40分、鳩間島に着いた。
きょうは島で宿泊する。もちろん「まるだい」である。宿に着いたが、庭には若い男性がひとり。連泊客であろう。宿のおばあはいない。しばらく佇んでいると、娘さんが戻ってきた。港にいたのであろう。
1年ぶりの再会を喜び、チェックインを済ませる。「写真のおじい」にも挨拶をした。
昼食の時間まで、私は島内を散策した。鳩間簡易郵便局に向かうが、その手前の道路と側溝が綺麗に舗装されている。そのほか、土木工事は現在も行われている。鳩間島がメジャーになって、島に多額の予算が下りているのだろうか。
鳩間簡易郵便局も、外装がリニューアルされていた。中に入るが、いつもの局員氏はおらず、ひとまわり若い局員さんが勤めていた。聞くと、前任氏は定年退職したとのこと。いまは石垣に戻り、釣り三昧だという。
さっそく貯金といきたいが、いまは機械のメンテナンス中で、現在は無理だという。本土では考えられないことだが、鳩間島では許される。
ひとまわりして戻ってきて、あらためて貯金。8月14日なので、814円の貯金である。
まだ昼食まで時間がある。私は鳩間小学校近くの浜辺で、海を眺めた。透明で、ソーダ水のような色だ。
宿に戻って、昼食。ここであらかた、きょうの宿泊者が分かる。私のテーブルには3人の男性、隣のテーブルには、3人の作業員とひとりの男子小学生が座った。今回の旅では、女性旅行者とは無縁になりそうだ。
こちらのテーブルの3人は、稲葉陽六段、船江恒平五段、タレントの黒部幸英という感じ。3人の作業員は郵便局近くで働いていた人たちで、電信柱の交換工事を行っているという。この暑い盛りに、お疲れさまである。
小学生は大阪からで、のちに両親が来るが、先乗りして鳩間を楽しんでいるという。この歳から鳩間を経験するとは…。うらやましいことである。
昼食はさわやかに、ソーメンとおにぎり。さっぱりしていて、美味かった。
部屋に戻って、同宿者と雑談。「黒部幸英」は、その静かな話し方から、丸山忠久九段に見えた。何だか、将棋を指したくなってきた。
午後からは海水浴である。中森灯台に挨拶したあと、島の中央道を突っ切る。左右の草木は伸び放題。緑の色が濃い。十分に光合成している感じである。空にはぽっかり白い雲。宮崎駿のアニメに出てきそうな風景だ。
行き止まりを左折する。港から11時の方角にある、立原の浜(たちばるのはま)に着いた。ここが私愛用のビーチである。
いつもどおりの穏やかな海である。先客はひとりかふたり。日帰り客もおらず、のんびり鳩間の海を楽しめそうである。
シュノーケルマスクを付けて、遠浅の海を、奥まで歩く。私は同行者を持ち合わせてはいないので、やむなくひとりで泳ぐことになるが、海はバディと泳ぐのが望ましい。こんな穏やかな海だけど、海は何が起こるか分からない。決して海を侮ってはいけない。
適当な深さになったところで、足を浮かせる。プカプカ浮遊して、いい気持ちだ。海はこれから満ちていくから、体は自然と浜に戻る。
沖を、奥の奥まで行ってみる。すぐ眼下に枝サンゴが密集しているが、それが過ぎると、突然、といった感じで視界が拡がる。サンゴ礁が絶壁状になり、いきなり数メートル下の海底が見渡せるのだ。これを亡きおじいは「水族館」と言った。
私は毎年この位置まで来るが、そこから先には飛び出せないでいた。ここで大波が来たら、体ごと持っていかれる。それが恐ろしかったからだ。
ときどき顔を上げて、周りを見る。シュノーケルがスーッと動くので、人が泳いでいるのが分かる。たとえひとりでも周囲に人がいるのは、何となく心強い。
思い切って、絶壁のサンゴ礁から、飛び出してみた。何という開放感! これが鳩間の海である。
私が浜に戻ろうとすると、もうひとりの男性も、海を上がった。浜には簡易テントが張られている。中には奥さんと思しき女性と、子供が2人。あの男性はここの主人だった。どうもこの人は、私の泳ぎに合わせて、泳いでいたようだ。即席の「バディ」だったということだ。
その後私はもう一度「水族館」まで行き、プライベートビーチを楽しんだ。
(つづく)
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