一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

「サイレント・ヴォイス」CASE5「読みすぎていた男」を観た

2020-05-16 00:17:37 | 将棋雑記
9日(土)はBSテレ東の「サイレント・ヴォイス」CASE5「読みすぎていた男」を観た。
感想としては、かなり微妙。栗山千明の美しさだけが印象に残った。
では話を順に追い、その都度ツッコミを入れてみよう。というわけで以下、ネタバレあり。

スナックのママ・明恵(田山由起)が刺殺された。その近くには、スナックに不似合いな月刊「将棋舞台」があった。
筒井刑事(宇梶剛士)らは、店に借金があった久我沢(水野智則)を被疑者に挙げるが、楯岡絵麻刑事(栗山千明)は違うと読む。
「将棋舞台」をよく見ると、丹羽三善竜虎・帝王・達人(渡部豪太)が写っているページが折られていた。絵麻は丹羽を怪しいとにらみ、参考人として署に呼ぶ。
ここが分からないところで、こんな些細な理由で、天下の三冠王・丹羽を警察に呼べるわけがない。しかも綿貫刑事(野村修一)によると、丹羽はその日、現場からクルマで30分離れた場所で、第72期竜虎戦七番勝負第1局を戦っていたのだ。
被疑者にアリバイがあるのにそれを無視し、無実なのに何年も刑務所に放り込んだ氷見警察署(や裁判所など)だってここまでしないはずで、これは絵麻の拙速な判断と言わざるを得ない。
丹羽は聞き取りに応じたが、犯行はもちろん否認した。
だがその後の調べで、明恵はかつて、神崎良八段(蔵原健)の家政婦をしていたことが分かる(実在の神崎健二八段とは無関係)。
そして丹羽も神崎を敬愛しており、家にも遊びに行っていたという。よって、丹羽は明恵を知っていた可能性がある。ちなみに神崎はすでに引退し、3年前に亡くなっていた。
ここもおかしくて、神崎の棋歴を考えれば、とうに「九段」でなければいけない。
ここで解決編になるのだが、この材料で丹羽の犯罪が分かるわけがない。

絵麻は丹羽を再び警察に呼び、あろうことか対局を申し込む。
「はあ? なんでそんな無茶なことを」
と東野刑事(馬場徹)。
「勝負事はやってみなければ分からないじゃない」
と絵麻。
いや分かるって。私がタイトルホルダーと指したら、1万回やっても勝てない。まったく将棋にならない。絵麻の棋力は知らないが、将棋界のしくみを知らないんだから、せいぜい級位者だろう。丹羽には四枚落ちでも絶対に勝てない。
だが将棋は、いい勝負になるのである。
同時に絵麻の取り調べが行われる。絵麻らの調べによると、今から15年前、神崎の娘・香花(志水心音)が行方不明になる「事件」が起こっていた。
当日神崎は、第57期竜虎戦第1局の対局中で、若き丹羽の挑戦を受けていた。それまでの両者の対戦成績は、神崎の6勝0敗で、下馬評は神崎有利だった。
だが娘の行方不明を聞いていた神崎は、心ここにあらずとなる。

図の△5六竜の王手に、▲6六桂とアイシャしたのが大悪手。丹羽は△同馬と取る。▲同歩なら△8四桂▲8六玉△6六竜▲9七玉△9六竜▲8八玉△7六桂まで詰むのだ。
神崎はこの敗戦が痛く、結果的に丹羽が竜虎位を奪取した。
そして絵麻の推理では、香花の行方不明は、丹羽が明恵に金を渡し、仕組んだものだった。
この騒動で神崎を疲弊させタイトルをもぎ取るというもので、実際それは図に当たった。
だがこれもおかしな話で、香花は事件当日の午後に、公園で見つかっている。それなら第2局以降は神崎も立て直すのではないか?
例えが適切でないが、第36期名人戦で、中原誠名人に森雞二八段が剃髪で挑戦した際、第1局は名人が動揺し完敗したが、第2局以降は名人も平静に戻った。それと同じことを、神崎もできなかったのだろうか。
それどころか神崎は長期のスランプに陥り、引退してしまったのだ。ショックの期間が長すぎないか?
その香花はすくすく育ち、現在は奨励会に入っている(街山みほ)。神崎の人生に何の憂いもないはずで、神崎のスランプの原因が分からないのだ。
それに、いくら丹羽がタイトルを欲しいからといって、神崎を敬愛する丹羽が、そんな愚行を犯すだろうか。しかも共犯を仕立てるのは致命的だ。竜虎に挑戦していた丹羽は世間に顔が知られたはずで、そんな中で明恵への犯行依頼は、あまりにも軽率すぎる。事実丹羽は15年後、明恵に殺意を抱いてしまったのだから――。
そもそも丹羽の棋歴を見れば、エリート街道まっしぐらである。丹羽の風貌から、15年前は20歳前後だったと思われる。棋士は自信の塊だ。それまで丹羽は神崎に勝てなかったが、そんな借りは竜虎戦で返してやると、自信満々で臨まなければおかしい。
15年後の現在、丹羽は偶然明恵と再会する。そこで丹羽が、強請られる前に明恵を殺してしまおうと考えるのだが、これじゃあ本末転倒であろう。殺人を犯してまで得る勝利は絶対にない。
絵麻は、第72期竜虎戦第1局で丹羽が逆転負けを喫したのは、殺人のあとで心が乱れていたからと考える。
その、榎本泰造六段との終盤戦である。

榎本△5六竜(図)の王手に、丹羽が▲6六桂と跳んだのが大悪手。△同馬でトン死となった。以下は簡単な詰みである。
図に戻り、▲6六歩は、後手玉が詰めろになっていないと思う。よって正着は▲6六金か。
対してA△5八竜は▲5五歩で詰み。B△6六同馬は▲同桂(王手)△同竜▲同玉で先手勝ちである。
どうして丹羽は、魅入られるように▲6六桂と指してしまったのか。かつての▲6六桂の残像、犯行後の動揺があったとはいえ、持ち時間はたっぷり残っていた。ゆっくり気息を整え、冷静に読み直せばよかったのだ。
丹羽―絵麻戦は、丹羽が△5五角と王手をした。絵麻は▲6六桂の逆王手。

(双方の持駒は不明)

「▲6六桂。見覚えがありますよね?」
と絵麻がつぶやき、丹羽の犯行方法を述べるのである。
この犯行方法は、大昔「週刊少年サンデー」に連載されていた「おやこ刑事」(画・大島やすいち、脚本・林律雄)にも同じトリックがあった。ただ「おやこ刑事」は、犯人が7分で犯行したのに対し、丹羽のそれは相手が遠隔地におり、自身の着替えもあるから、はるかに条件が悪かった。
しかし丹羽は、それをやり遂げてしまう。
丹羽は絵麻の推理に観念し、自供を始めてしまう。ここがまた素直すぎて、歯がゆい。物的証拠は挙がってないし、丹羽が完落ちすることはないのだ。
それよりなにより、丹羽―絵麻戦である。絵麻が丹羽といい勝負になった、という展開は目をつぶろう。しかし、相手の王手に▲6六桂で逆王手をする局面に誘導するなど、絵麻にできるわけがない。いや誰が対局者でも、100%、できない。
そもそも論だが、取り調べにこの対局は必要だったのだろうか。
今回の脚本家は、「相棒」にも何本か書いた人である。タイトル戦の優勝賞金や奨励会のことなどよく取材しているが、実戦の難しさを全然理解していなかったのは残念だ。
だがまあしかし、絵麻の将棋の手つきが意外によかったし、丹羽のそれも及第点だった。将棋界を取り上げてくれたという意味で、将棋ファンは感謝しなければいけないのだろう。

なおこのドラマの将棋監修は、中井広恵女流六段だった。
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2020年冬・哀切の北海道旅行(15)

2020-05-15 00:07:55 | 旅行記・北海道編
私は憮然たる面持ちで立ち尽くした。
バス待合室の前には、時刻表付きの標識が立っていた。以前は庇の外にあったから雪で埋もれ、本来の機能を果たしていなかったから、この位置でよい。
見ると、次の幌加内(深川)行きは14時36分で、まだ3時間もあった。ちなみに名寄行きは13時14分だが、名寄に戻ったら、もう東京に帰れない。
隣の物産館は冬季休業のはずだが、ルオントの代替で営業していた。中では「玄蕎麦処○(まる)」も営業中だった。ちなみにルオント内の蕎麦屋は「そばの里」である。私は「○」に入店し、
「いやー、ルオントが工事中だとは思いませんでした」
と、店主にこぼした。もはや自虐ネタにするしかない。
私はせいろそば(750円)を注文した。店内には「おそばの食べ方」のプレートが掲げられており、
「わさびとねぎはつゆの中に入れず、そばにつけてお召し上がり下さい」
とあった。これは私も知っていて、わさびは実行している。ただ、ねぎまでとなるといかにも通ぶっているようで、控えていた。
だが今回は店の勧めなので、出されたせいろの上に、ねぎを振った。
一口すすると、これがうまい! わざびはもちろん、ねぎの香りが直接ふわっときて、口中で三位一体となる。いままで私は何というつまらない食べ方をしていたのだろう。
店を出て、私は第三雨竜川橋梁に向かう。今年は雪が少なく、道路のコンクリートが見えている部分もある。
橋梁は今年も健在だった。JR深名線最大の遺構で、維持費は年間900万円かかるが、2009年に土木遺産に選定されたので、もう撤去されることはない。
第三雨竜橋梁も、今年は雪をあまりかぶっていなかった。いつも、あのふもとに行ってみたいと思う。今度は夏に来たいものだ。





バス待合室に戻るが、もうやることがない。ルオントのパンフレットを見ると、「水曜定休」とあった。今日は水曜日で、私は「あんぐり」である。つまり、仮に工事をやっていなくても、私は今日、温泉に入れなかったということだ。将棋で負けたが、その前に二歩をしていたようなもので、完敗である。
室内にはBGMが流れ、ゆったりした時間ともいえるが、それにしても持て余す。といってほかに行くところもないし、下手に動かないほうがいい。
私は再び暗い将来を思い、頭を抱えるのであった。
やっと、14時36分のバスに乗った。このバスが私にとっての「最終」である。先客はなく、また私の貸切となった。
幌加内バスターミナル着14時58分。ここで15分の待ち合わせである。今日は平日だから、交流プラザ2階の深名線資料室が開いているが、私は運転手さんに断り、1階の蕎麦屋に入った。ここ何年かは閉まっていたので、意外に久しぶりだ。
屋号は「雪月花」だったが、以前は「せい一」と名乗っていなかったか?
入店して、もりそば(800円)を頼む。テーブルには注意書きがあって、夏期間は大もりを提供していないらしい。少しでも多くの客に楽しんでもらうためだ。だが客もウワテで、もりを2枚頼む手合いがいるという。
「外国産でいいなら、この値段の3分の1で食べ放題をやっても、ウチは儲かります」と続く。それだけ国産の蕎麦粉は貴重(高い)らしい。
屋号が変わったから経営者も変わったのだろうが、なかなか面白い。だが、外国産を使っているであろう小諸そばだって、うまい蕎麦を食わせてくれる。要は値段に見合った蕎麦を提供してくれればいい。
もりそばが出された。私は蕎麦の上にねぎを乗せる。もりそばは香り高く、美味かった。
バス発車の時間である。運転手さんに以前のバス車両を聞くと、3台残っているとのことだった。だが、すべて中型車だろう。
深川近辺になり、じいさんがひとり乗ってきた。16時30分、終点深川着。
しかし、この過疎っぷりはどうすんだ。もう、バスが廃止されても知らんぞ。
次の列車は16時49分の特急ライラック34号である。その次は17時19分のライラック36号で、それだと新千歳空港着が19時12分となり、時間的にアウトだ。
ここまで冬の北海道旅行を堪能したが、ひとつ心残りがある。寿司だ。これを食べられなかった。
だが、たしか深川駅の近くにコープがあった。甚だ味気ないが、そこでパックの寿司を買おうと思う。
私は念のため近くの奥さんに場所を聞き、コープに向かった。もはや時間との戦いだから、雪道を駆け足である。だが、以前とは場所が微妙に違う気がする。
果たしてコープは場所が変わり?真新しくなっていた。寿司売り場にはにぎりが数種あり、最も高額なのは税込1,078円だったが、200円引きのシールが貼られていた。ありがたいことで、これを買うことにする。
レジで醤油を所望すると、お姉さんが寿司売り場に跳んでいき、醤油としょうがの袋を持って来てくれた。メガネをかけたお姉さん、素晴らしい!
私は最後の最後で、ほっこりといい思い出ができた。
駅に戻り、迷ったのだが、280mlの、ホット「伊右衛門」を買った(130円)。寿司にはお茶で、雰囲気を出したい。
ライラック34号には間に合った。車内は意外に混んでいたが、6号車の奥に空席を見つけた。ここが私の食事処となる。
ネタは、カズノコ、生北寄貝、イクラ、カニ、ブリ?、ヒラメ?、サーモン、カンパチ、エビの9貫。北海道最初で最後の寿司は、実に美味かった。
札幌で快速エアポート180号に乗り換え、新千歳空港には18時42分に着いた。
6日間の旅も最終ミッションとなる。私は各店舗を巡る。いつもはANA FESTAで購入し割引が利いたが、今回はANAカードを忘れてきたので、それがない。マイルも付かない。まったく、あれは罪の思い忘れ物だった。
私は「三方六」(680円)を買った。渡部愛女流三段もオススメのスイーツで、自分用のお土産である。
また来年もこの地に来られればうれしいが、その時私はどういう肩書になっているのだろう。想像するのも恐ろしい。
(おわり)

おまけ。羽田空港に着いたが、京急が品川まで300円だったので、こちらに乗った。だが品川から自宅最寄り駅までは、浜松町以遠なので料金が上がり、行きに金券ショップで買った回数券は使えなかった。
その回数券のことをすっかり忘れ、この4月5日に、その有効期限が切れてしまった。
私はこのパターンがよくあり、得するつもりで損をする。私の人生みたいである。
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2020年冬・哀切の北海道旅行(14)

2020-05-14 00:23:12 | 旅行記・北海道編
駅前の氷像を3日ぶりに拝見したあと、「コートホテル旭川」に旅装を解いた。そのチェックインの際、新型コロナウイルスに関する渡航状況などのアンケートを受けた。もはやコロナウイルスは、中国だけのものではないのだ。
我が615号室はもちろんそれなりの部屋で、2,150円をはるかに超える価値があった。

翌12日(水)。2020年冬の北海道旅行も、今日が最終日である。帰りの飛行機は19時30分で、道内での活動時間は意外に短い。よって、便を翌日にズラしたり、あるいは今夜、さらに遅い便にしたりもできたのだが、面倒臭くなって何もしなかった。
さて、今日はJRバス深名線に乗りたいと思う。もはや毎年の恒例で、名寄の「なよろ雪質日本一フェスティバル」は終わってしまったが、バスは秘境地区をたっぷり走るし、せいわ温泉ルオントもある。何より、わがフリーきっぷは、JRバスにも乗れるのだ!!
対抗案としては、深川から留萌本線に乗り、旧増毛(ましけ)駅まで行き、駅の鑑賞と増毛(ぞうもう)祈願、さらに海鮮三昧という手はある。
しかし、留萌ー増毛間でバス料金がかかるのが気に入らない。しかも増毛からの帰りも、下手をすると高速バスを使う羽目になるかもしれない。
結局、やや保守的ではあるが、深名線探訪を選んだのだった。
早暁5時30分に起き、早々にチェックアウトする。稚内行きの普通列車は06時03分(一番列車)である。温泉に入るだけなら深川から乗って往復する手もあるが、深名線を全線走破するなら、朝に名寄から乗るしかないのだ。
列車には、ほとんど乗客がいなかった。始発で名寄に行く客はなかなかいまい。
適度にウトウトしながら車窓を愛で、07時45分、名寄に着いた。駅舎は風格のある佇まいである。宗谷本線の中で、音威子府駅に並ぶ名駅舎と思う。



深名線は08時53分である。JRからバスに転換された当初は、バスの本数が鉄道時代の倍になったたが、年とともに漸減され、現在名寄発のバスは4本である。しかもこの08時53分発は、土休日運休である。この便に乗れること自体、奇跡なのだ。
駅前には新設なった名寄バスターミナルの待合室があるのだが、そこで1時間も待つ気はしない。
食事処が欲しいが、頼みの「ブラジル」は9時開店だ。
スマホを繰ると、市内にすき家があるらしい。その場所が分からないが、旭川方面の国道沿いにありそうだ。時間に余裕はあるので、そこに行くことにした。
とはいえ、雪が舞う平日の朝に、牛丼屋に向かう無職男。私は何をやってるんだろう。
途中、ある建物を通った。このグラウンドで「なよろ雪質日本一フェスティバル」が行われたのだが、建物の正式名称は、「名寄市地域子育て支援センター・ひまわりらんど」といった。以前は違う名称だったが、いつ変わったのだろう。
しばらく歩くと、すき家が見えた。昨夜のセイコーマートではないが、殺風景な景色の中になじみの風景を見つけるとホッとする。
店内は意外にも、客が多かった。私は牛丼を頼む(350円)。3日ぶりの牛丼は美味かった。
バスには、名寄駅のひとつ先、西3条南6丁目から乗る。が、停留所に来たバスを見て驚いた。
バスが、変わっている!! その辺によくある、安っぽいバス(失礼)に変わっていたのだ。
私はあんぐりして乗車する。従来のJR深名線代替バスは、車体が高く、リクライニングが利き、トイレも付いている、観光用の大型バスだった。その高級感に、私は鉄道廃止による怒りを鎮めたのだ。
然るにこのバスはなんだ⁉ こんなふつうのバスじゃ、旅情などあったものではない。
JR深名線が廃止されたのは1995年。その時新品だったバスも、25年経てば廃車であろう。たぶん、代替わりしたのだ。そしてこのローカル路線に予算を振り分けられるはずもなく、グレードの低いバスがあてがわれた……。
乗客は私ひとりで、貸切である。車内は十勝バスに似ていて、深名線の感じがしない。
バスはシュルシュルと山道を走る。エンジン橋前を通った。このあたりは深い森が一望でき、バス深名線の車窓の中で、最も好きである。
10時29分、私は「ルオント前」のひとつ前の、「政和」で降りた。前の道路は国道275号で、札沼線に並行して走っていた道路の続きである。
今日は平日なので、旅行貯金ができるのだ。政和で貯金をした記憶が定かでないが、仮にダブっていても、旅行貯金規則第3項により、この場合は構わない。
近くには政和駅舎が残っているはずだが、気分的に探す気になれない。
また駅舎の手前には「幌加内町開基七十周年」の記念塔があったが、数年前に撤去された。これが健在なら、駅を探したと思う。
それより郵便局である。あたりに「〒」のマークがないので、民家のベルを鳴らし、在処を聞いてみた。4日前の「充電のお願い」もそうだが、私はかなり地元民にお世話になっている。
すると郵便局は、私が降りたバス停に隣接する、コミュニティーセンター内にあるとのことだった。
郵便局に行くと、誰もいない。ふだん、客など来ないのだろう。幸福簡易郵便局でも、最初は窓口に誰もいなかった。
やがて奥から慌て気味に、委託の女性が出てきた。
「政和簡易郵便局」212円。
「こちらへは……」
と、係の女性。
「はい、旅行です。この辺りはほぼ毎年来ています。私いま休職中で、旅行期間を延ばして、今日来ることができました」
「ああそれはそれは! じゃあこのあとは……」
「はい、その先のルオントに入って、今夜東京に帰ります」
「あら……。いま、ルオント温泉は工事で休みですよ」
「は!?」
聞くと、ルオントは昨年11月からリニューアル工事中で、この4月まで休みだという。私は久しぶりにひっくり返った。
それじゃあ、ここへ来た意味がほとんどない。こんなことなら、対抗の留萌本線に乗ってりゃよかった!!
だが今は、ルオント温泉に向かうしかない。ここからはゆっくり歩いても、30分で着く。
ルオント前停留所に着くと、ルオント温泉の建物へは、一般車両が進入禁止になっていた。まあ、そうであろう。
万事休すである。
(つづく)
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2020年冬・哀切の北海道旅行(13)

2020-05-13 00:12:07 | 旅行記・北海道編
上川は「かみかわ」と読む。私は上川(うえかわ)香織女流二段のファンなので、この駅も好きである。
道北バスの停留所名は「上川森のテラスバスタッチ」に変わっていた。次の層雲峡行きは16時00分になっている。だが時刻表には「15時55分」とあったから、不安になってしまう。
スマホでコートホテル旭川を見ると、空き部屋の料金が上がっていた。私はよせばいいのに、ホテルに電話を掛ける。すると女性スタッフが出た。
「さっき予約をした者なんですが、料金が2,150円とずいぶん安くなってて……。いまは料金が普通に戻ってたんで、あの、もしさっきのがそちらの手違いだったら、予約を取りやめましょうか?」
このバカ正直さが私の世渡り下手なところである。しかしスタッフは、
「ありがとうございます。たまたま料金が安くなったタイミングで、お客様が予約をされたのだと思います。もちろんそのお値段で結構ですので、ぜひお越しください」
と言った。私はこれで心置きなく、ホテルに行ける。
結局バスは16時ちょうどに発車し、タイム30分で、終点層雲峡に着いた。
ここから2、3分下ったところが「氷瀑まつり」会場だが、その前に温泉に浸かりたい。
私は隣接の観光案内所に行くと、「黒岳の湯」を勧めてくれた。しかも100円の割引券付きで、500円で入れる。ああそういえば、以前もそこに入った気がする。たしかそのあと、食事をする時間がなかったのだ。
地図を確認しながら、黒岳の湯に着いた。お湯は、大浴場が2つあり、快適だった。
ただ、階上の露店風呂は、雪が舞う氷点下ということもあり、ぬるかった。でもこれなら長時間浸かれる、ということでもある。
体があったまって、私はいい気分で氷瀑まつり会場に行く。ここは入場料を取るが、500円だった。以前は300円だったから、随分な値上げだ。でも、そもそも前回ここに来たのは何年前だったか。2013年ごろに来ているが、その後1回くらいは来ているだろう。だがその事実がなければ、前回の記憶は2013年ごろのみのものになる。それにしては記憶が鮮明だ。
今回は甘酒の無料券が付いていた。入場すると、無料で記念写真を撮ってくれた。「極寒証明書」の隅に、我が姿プリントされている。これの大判になると、有料だという。
ためしに値段を聞いてみると、1,200円、というので購入はやめた。
改めて氷爆まつりの作品だが、あたりに放水すると、夜中の極寒で水が凍る。その行為を繰り返すことで、芸術的な造形ができるのだ。細かい細工は必要ないので、開催期間も長い。
あたりはとっくに夜の帳が下り、氷爆は綺麗にライトアップされ、見応え十分である。ただこれらは大人数でワイワイしながら巡るのがいいのであって、野郎ひとりで巡ったって楽しくはない。
巨大なドームに入ると、壁面に、人型に抜かれた箇所があった。そこに人間がピッタリ嵌まり、宇宙遊泳もどきになるということだ。これも2人以上で楽しむもので、私がひとりで窮屈そうに嵌まったって、面白くもなんともない。
「氷爆神社」があり、奥には「神玉」が鎮座していた。お賽銭が投げられ、神玉様にピッタリ張り付いている。
広場に出ると、その一角をプロジェクターが照らしていた。5メートル四方の大きさで、いまは紅葉が映っている。その中に入ってはいけない雰囲気だが、試しに踏み込んでみると、落ち葉が私の足に反応し、無言?でサーッと動いた。
私は大発見をした気がして誰かに教えたいのだが、あたりには誰もいない。ひとり旅の虚しさである。









体が冷えたので、売店(休憩所)に入る。外気と内気の差が激しく、メガネが一瞬にして曇る。メガネ小僧の宿命である。
無料の甘酒は、美味かった。
私は表に出て、また氷像を巡る。そろそろバスの時間になり、私はバス停に戻った。





背後の観光案内所は、もう営業を終了して真っ暗である。あたりは暗く、遠くに氷爆まつりの灯りが見えるのみ。次のバスは最終で、18時40分である。時刻表に何やら注意書きがあるが、「3月31日まで運行」だった。このバスが運休だとエライことだ。
しかしこうしてバスを待っていると、ロクなことを考えない。世間のビジネスマンはバリバリに働いているのに、私は何をやっているのか。
今年に入ってから、職安で申し込んでも電話口で断られることが多くなった。履歴書を送る運びになっても不採用ばかりで、面接までも行けやしない。
どこからどう見ても私の将来は真っ暗で、一見楽しそうな北海道旅行でも、内実は哀切漂う現実逃避に過ぎない。



18時40分のバスの乗客は、私ひとりだった。行きと同じタイム30分で、上川に着いた。
次の上りは20時36分発の特急オホーツク4号で、上りはこれが最終である。
さて、晩飯である。上川駅前は意外にひっそりしていて、食事処もない。それでも一本向こうの道に行くと、いくつか食事処があった。
しかし事前に調べていたラーメン屋は休みだった。あたりには「上川町ラーメン日本一」のペナントがたなびいており、町をあげてラーメンを押しているのが分かる。
しかし、ほかにラーメン専門店がない。ほかの食堂も、いまひとつ主張がない。上川一帯はもう、閉店時刻なのではあるまいか。
「きよし食堂」なるところがあったので、入ってみた。ちょうど家族連れが出ていくところで、タイミング的には、もう閉店の雰囲気だ。
私は確認したが、食事は可能だったので、お邪魔する。ただ、食堂でラーメンを食べる気は起きず、カツ丼(900円)を注文した。
カツ丼は量も多く、美味かった。いやこれなら、ラーメンも美味いものを食べさせてくれたのではないか?
私は店を出ると、セイコーマートに寄った。あたりが真っ暗な中でのコンビニはオアシスの存在だと思う。私は缶コーヒーを買った。
上川駅に入ると、「石北線(線区の現状について)」のリーフレットがあった。中を見ると、1日1kmあたりの平均輸送人員が、1975年には4,357人だったのに、2018年には844人と、5分の1になっていた。赤字額は2018年で44億2千万円。もはや個人の協力ではどうしようもなくなっている。
私は20時36分の特急に乗った。今日の最終ランナーである。足元を見るとコンセントがあり、ありがたく使わせていただいた。
21時14分、旭川着。この地に3日ぶりに帰ってきた。
(つづく)
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2020年冬・哀切の北海道旅行(12)

2020-05-12 00:10:01 | 旅行記・北海道編


北浜駅はオホーツク海にいちばん近い駅として知られる。また駅舎内には「停車場」というレストランがあり、鉄道利用者以外の利用も多い。
ここ北浜で降りてしまうと次の列車は17時00分。網走行きの路線バスも適当なものがなく途中下車は不可のようだが、時刻表の臨時列車のページに、「流氷物語号」があった。この「2号」が北浜12時16分発、網走12時30分着なのだ。途中下車を考えていた私にはうってつけの列車で、ありがたく下車したというわけだった。
私はまず、停車場に入る。ここはチョビ髭のマスターが美味い洋食を食べさせてくれる。オホーツク海を眺めながらコーヒーを味わうのもよく、私も何度かお邪魔している。
しかし今回は「12時30分から貸切です」の張り紙があった。まだ入店はセーフだろうか。
店に入ると、カウンターに促された。何となく慌ただしい雰囲気だったので、すぐ用意できそうなチキンカレー(800円)にした。
マスターのほかには、女性店員が2人。3人ともキビキビと動いて小気味いい。やはりヒトは働かねばならぬ。
その女性が、食べ終わった客のお皿をすぐ下げる。私はすごくイヤな予感がした。
出されたチキンカレーは美味い。ただ、例の女性が私の皿を下げようと窺っている気配がする。
私の左ではコーヒーを飲んでいる男性客がいたが、カップが空になると同時に下げられ、男性客は必然的にお会計となった。
「私、ここに来るのは数年ぶりなんです。久しぶりに来られて感激しました」
男性客は、逆に女性店員に話し掛ける。よくできた人物で、私なら気分を害し、黙って出ていくだろう。
私はカレーを食べ終えたが、別の女性店員が、お新香をサービスでくれた。それを食べ終えるや否や、さっきの女性が皿を下げた。
これを「残心がない」という。私が高校生の時、将棋の大会の帰りに、将棋部のみなでラーメン屋に入った。私が麺を食べ終わってスープを飲もうかという時、店の女性がもうドンブリを下げてしまった。私(たち)は大いに気分を害し、もうこの店には入ってやるものかと思ったものだ。
「停車場」はどうしようか。
店を出ると、線路のすぐ向こうにあるオホーツク海が綺麗だった。細かい流氷が接岸していて、真っ白な光景が美しい。
目障りなのが波打ち際に設置されているフェンスだが、あれは昔はなかった。ただあれがないと線路を越えて海に入るバカが出て、やむを得ないのだろう。現在はホームに警備員も据えて、一層の強化を図っている。JR北海道もお金はないが、かけるところにはかけているのだ。
ホーム脇の展望台に登って観ると、なお景色がよい。私は何枚か写真を撮り、モニターで確認する。絞り優先にしているからか、画面が白っちゃけているので、びっくりした。
あまりここに佇んでいると、カップルのカメラマン役にされかねないので、適当なところでホームに降りる。





12時16分、流氷物語号が到着した。車体はブルー主体の2両編成だ。乗車すると、デッキのところにグッズが販売されており、地域の人が法被を着て、接客していた。
JR北海道は、人間でいえば瀕死の重体というところである。一部の路線以外はどこが廃線になってもおかしくなく、ここ釧網本線も例外ではない。それだけに、臨時列車を設けて路線を盛り上げようとする地元の方の熱意には、頭が下がるのである。



私はこの列車に助けられたので、お礼の意味も込めて、流氷物語号記念乗車カード(100円)と、釧網本線缶バッジセット(500円)を購入した。
網走着12時30分。次に乗るべきは石北本線12時35分の特急大雪4号である。こんなドンピシャな乗り換えが出来ては、悪いが、網走は素通りである。
列車は1番ホームで待機しており、4号車の自由席はガラガラだったが、私は改札を抜けた。シートがグレードアップされているであろう指定席を発券してもらうためだ。
だが窓口氏は、指定席の窓際の席はないという。それで通路側の席にしてもらったが、それは横に客がいるということか?
私は指定席の1号車に入る。意外に乗客が多いのにびっくりした。これなら自由席に行って伸び伸びしたほうがはるかによい。
とりあえず「12C」に座る。幸い隣に客はおらず、大雪4号は発車した。
この石北本線も過疎地帯を通り、大赤字である。一応本線の名は冠しているが、ローカル線の趣が漂う。
留辺蘂を過ぎ、常紋トンネルに入った。1912年着工、1914年に開通した全長507mのトンネルだが、掘削はおもに本州の囚人が行い、その過酷な労働から100人以上の死者を出したといわれる。付近のトンネルには亡くなった囚人の人柱もあったとされ、いろいろと謂れのあるトンネルなのだ。
私たちがこの山深き道を苦もなく通り過ぎることができるのは、これら労働の方々のお蔭である。私はしみじみと感謝した。
列車は遠軽に着いた。ここで進行方向が逆になる。1989年まで名寄本線(旧湧別軽便線)が通じており、そちらが路線の先輩格だったため、あとからできた石北本線は、ここでスイッチバックを余儀なくされる羽目になった。
まだ隣に客は来ていないが、もうこの席はいい。私はホームに出ると、反対側の自由席車両に移った。もちろん乗客はいたが、パラパラだった。まあそうであろう。
私は任意の席に座り、一安心である。
列車は進行方向を変え、15時01分、白滝着。この前後の数駅はいわゆる秘境駅で、数年ごとに廃駅となり、現在、白滝の次の駅はもう上川である。所要時間は39分、営業キロは実に37.8キロに達する。
私は今宵の宿を探すべく、スマホを繰る。明日はJRバス深名線に乗りたいが、始発の名寄周辺にはヒットするホテルがない。いやそもそも、これから石北本線上でもう1ヶ所観光してしまうと、今日中に名寄まで着けないのだった。
それで旭川の宿を探すと、「コートホテル旭川」が、1,950円(税別)という理解不能な料金だった。私はすぐ予約をし、無事完了した。無職の私にはありがたいが、あまりにも安すぎて不安を覚える。何かの間違いじゃないのか??
15時40分、上川着。ここで私は下車する。いまさらだが、氷瀑まつりに行こうと思う。
(つづく)
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