本来の姿ではない。封土が総て取られたか、流出したのか石室がむき出しになっていたとのことだ。その石室に装飾などが施されていたのでそれを保護するべく封土を盛ったのである。普通なら覆い屋さえ作ればと言ったところかもしれないのだが・・やはりこの状態で復元保護してもらったほうが判り易くて良い。
綺麗に造っているのは有難い。酷い復元を何箇所も見たことがあるからな。
開口部を造っている。当然の様に墓道や羨道などは造ることが出来なかっただろうからな、しかし、全体は良い形である。
本来の姿ではない。封土が総て取られたか、流出したのか石室がむき出しになっていたとのことだ。その石室に装飾などが施されていたのでそれを保護するべく封土を盛ったのである。普通なら覆い屋さえ作ればと言ったところかもしれないのだが・・やはりこの状態で復元保護してもらったほうが判り易くて良い。
綺麗に造っているのは有難い。酷い復元を何箇所も見たことがあるからな。
開口部を造っている。当然の様に墓道や羨道などは造ることが出来なかっただろうからな、しかし、全体は良い形である。
八代平野を二分するかのように流れゆく水無川である。滔々と水をたたえて流れる球磨川のようではないが、清流が心地良い。陵墓前の川は綺麗に整備されている。
そう言えば吾平山上陵を思い出すな。うーん、気持ちが良いな。
良いところである。憩いの場所でもあり身体を思いきり動かすことが出来る場所でもあるし、松橋町の戦没者慰霊塔もある。ある方々にとっては心の拠り所かもしれない。眺めもいい・・だからかもしれないが一番高いところに宇賀岳古墳がある。
番号8番がふられているのが宇賀岳古墳である。
なだらかな坂道を歩いて行くと・・正面に看板と墳丘が見えている。
船場石橋(熊本県)
令和2年11月4日 古墳探訪で宇土を宿泊場所と決めたのはこの石橋を訪れるためであった。熊本地震で崩壊したが見事に復活している。上記の如く石橋だけでなく心に刻んでいる方の顔が浮かぶからである。石の階段に腰を下ろして記憶を辿ったところである。離れ難く後ろ髪を引かれる思いではあったが・・・その方が橋の上に立ち、我々夫婦を見送ってくれた姿が目に浮かぶ。榎がさやさやとその方の代わりに声を掛けてくれた。
当該ブログの記事は令和2年(2020)12月5日から19日までである。
良い佇まいである。画面左に貸自転車を止めて参拝する。
八代神社から狭い道を走って6分ほどで鬼の岩屋第1号墳に着く。この様な方法で石室を築造するのがこの地方の特徴である。まあ造りやすいと言えばそれまでだけどね。
自転車だから小回りが利くので良いのだが・・だんだん足が、腰が痛くなってきたぞ。
晩免古墳(花園陵墓参考地)(熊本県)
車一台しか通ることが出来ないのだが、ちゃんと案内はある。ただ、花園御陵とは書かれてはいないので、その名で探しても行くことは出来ない。 本来は30~35mの円墳で、組合せ式石棺が直葬されていた。 5世紀後半の築造であろうと説明にある。 ただ、石棺身内部に菊花紋があるというのである。5世紀ごろに菊の御紋があるとは思えぬが・・この発見がこの地に伝わる安徳天皇御陵墓の説となったということである。今では御陵墓参考地の一つとされている。賢明なる読者諸氏もご存知であろうが、安徳天皇御陵墓となる地は数か所ある。宮内庁が治定しているのは下関阿弥陀寺御陵である。
当該ブログの記事は令和2年(2020)12月9日から18日までである。