八代市では高取上の山古墳に次いで2番目の大きさを誇る前方後円墳だが、高取上の山古墳自体何が何だか判らないので原形を留めている大塚を保存しているのである。
石室の後ろに廻っている・・開口部の真後ろだな。おっ、登り道があるじゃないか。
もう少し回り込んで見ると・・おやまあ、削られているな。というより崖側になるからこれ以上土を盛らなかったのだろうな。下手すりゃ土砂の流出にもなるからな。ここにも桜の木が植えられているぞ。時季になると賑やかになるだろう。
真後ろに廻って見ている
真横に廻った。道路側である。太い楠、その前には杉か檜か。楠と言えば後醍醐天皇が夢枕に現れた南にある木に・・そうこれが楠木正成であった。
きわめて簡素である。晩免古墳(花園陵墓参考地)よりは少しだけ大きい円墳(と言っていいかな)。八角墳ではないのか。下関市安徳天皇阿弥陀寺陵は八角墳だからついその様に思っていたのだが。
筑後矢部で薨去されたのは判っているようだが、何処に埋葬されたのかは記されてはいないようだが・・
茶臼山古墳の全景である。封土を失って版築がさらけ出されているようだ。墳丘上部には墓石がごろごろと倒れている。これでは傍に寄れない。この写真は目と鼻の先に所在する八代大塚から写している。大型の円墳である。
ミカンが植えられている。私有地だろうか。
やはり掃除をしていた。「ご苦労様です お疲れです 少しお邪魔します」と声を掛けてからだな。
門が開けられているぞ。おー、開けられているところは初めて見た。晩免古墳(花園陵墓参考地)でも同じように扉は鍵がかかったままだったからな(まあそれが当たり前なのだが)
簡素ではある。懐良親王については各自で調べて頂ければと思う。
立札にもあったように第96代後醍醐天皇皇子である。少しぐるりを見てみよう。
開口部 いきなり堅固な扉が・・・
注目されると書いたからにはビフォーアフターの写真くらい載せればいいのにな。そうすれば誰でもが理解し、感心すると思うのだがな。「論より証拠」だぜ。そう言えばこの周辺地域にはこの様なレリーフが施された石室を持つものがあるな。
小さな砂利を踏みしめている。その音しか聞こえない。空気が違う。なんだか緊張している自分が面白い。
一歩一歩ゆっくりと歩いている。先の方で小さなエンジン音が聞こえる。恐らく草刈りか、ブロアーで落ちた葉を飛ばしてまとめているのかな。そう言えば入り口に軽が止められていたからな。我輩はそれとは反対の場所に自転車を置いたけれどね。