エビ(notカニ)ゾウさんにも困ったもんだ。日本文化の代表格である歌舞伎界を背負っていく重圧は、たいへんだとは思うのだけど。
面白そうな本を見るとつい買ってしまう。山の辺の道を歩いて、元祖的な古墳を巡ってから、その辺の本は、ずいぶん読んだ。本書は、そのずっと前から、古墳時代に入ったかその寸前までの物語を描いた、6巻シリーズの第1巻。
最近、新発見が相次いでいるため、結構エキセントリックな本が多くでている中、流石岩波新書。オーソドックスな感じの本だ。
オーソドックスと言っても、我々が、習った古代史とはずいぶん考えが変わってきている。
考古学といえば、いわゆるねつ造事件で、信用が失墜した時期があった。しかしその前から、石器時代の研究はあったわけで、本書で、相沢忠洋氏の名を数十年ぶりに見た。
日本列島で、旧石器時代の遺跡を初めて見つけた人だ。小学校時代、何かの本で読んだ。
それまでは、日本に旧石器時代は、なかったと考えられてきてきた。本書によると、そもそも旧石器vs新石器と区分もする意味もわからなくなってきているようだが。
縄文時代は、日本固有の人によるもので、弥生時代は、韓国から人々が入ってきて始まったと教わってきたような気がしたが、今は、まったく様相が変わってきている。
本書では、弥生時代の定義として①灌漑稲作、②環濠集落③集団間の争い④金属器⑤社会的階層の顕在化⑥政治的社会への傾斜とするが、この特徴は、日本全国ばらばらに、だんだんに表れてきたものという。
当時、日本列島は、南と北で、大陸とつながっていて、人の往き来があったが、それは一方的なものではなく、また一気に進んだものでもなかったらしい。ただ、弥生時代に、地域的なものから、日本共通の状況が生まれてきたことは言える。日本海を通じたネットワークができてきたらしい。
以前、金印は偽造ではないかという本を読んだが、本書は偽造ではありえないとする。その形状は、当時まだ見つかっていなかった中国の金印とそっくりだし、その寸法も中国の当時のサイズにぴったりだという。
本書は、ヤマト王権の誕生が、奈良で訪れた纒向遺跡のころであったと結論付けている。
もちろん、文献からの考察と、考古学上からの発見とでは、まだまだ隔たりがあり、議論は続くであろうと思われているのだが。
弥生時代というとそいういう時代があったと思いがちだが、実際、それを定義づけるのは難しいし、地域差も激しい。そもそも弥生時代とは東京都の弥生からみつかった土器から命名されたのだが、その土器の分類ですら、線引きをするのは難しいという。
考古学が面白い時代に入ったことは間違いないが、文献はもう新しいものはほとんど出ないだろうし、発掘も進まなければ、その真実に近付くにはまだまだ時間がかかるだろう。
ポイントになるのが、宮内庁管理化にある古墳群なのだが。