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酒元ノ上覆屋には、6基の地下式横穴墓が、そのまま見れるようになっていて、興味深い。
一部は、埋め戻されているが、当時の墓の様子がわかる。
”西都原古代文化を探る”によると、この形式は、日向に特徴的なものという。
7世紀前半のものとされ、西都原では、もっとも新しいものだ。
大和王朝との繋がりは、深いはずなのに、この違いは何故?
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一部のお墓は、発掘時の様子がそのままで、展示されている。
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100号墳は、4世紀後半のものと考えられており、葺石が、発掘したままの状態で見れる。
こちらも見事な、前方後円墳。
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西都原古墳群で、巨大なものは、男狭穂塚(おさほづか)、女狭穂塚(めさほづか)。前者は、全国で最大の帆立貝型古墳(前方後円墳の方墳部分が極端に短い)、後者は、九州最大の前方後円墳。全長174m、高さ15mの規模を有す。
陵墓となっていて、中には、入れない。
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柵の向こうに、巨大な古墳が見える。
邇邇喧スと、木花佐久夜毘売の墓という説もあるが、定かではない。
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昔からあったであろう石碑。
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レンタサイクルは、5時までだったので、一旦返却し、車に乗り換えて、6時まで開いている西都原考古博物館に向かった。
すばらしい展示で、驚いた。
日本の考古学を、学びたかったら、ここがベストではないか。
ただ、展示されているだけではなく、その展示方法、説明など、ひじょうにわかりやすくすばらしい。
そして、何より、この西都原古墳で発掘された鉄器の数々に、目を見張る。
これほどの鉄器を有した日向王権は、大和朝廷と密接な関係を有していただろう有力な勢力であったことが、実感できる。
西都原古墳群を訪れたら、是非、この博物館を訪れて欲しい。とてつもない、古墳群だ。
山之将軍(ヤマノイクサノキミ)と里之王(サトノミコ)は、地底の奥津城(おくつき)に眠るという特別展をやっていたが、見たこともなかった発掘物が並んでいた。
大陸の人たちが、日本古来の人たちと、混ざりながらも、同化していった歴史なのか。
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この博物館は高台にあり、古墳群を見渡すことができる。
この古墳群には、全部で、311基の古墳があり、内、前方後円墳は31基、円墳が279基、方墳が1基という。
とてつもない古墳群だった。
大満足。