かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

九州神話探訪の旅その9 西都原②

2013年06月15日 | Other Western Japan
今日は、意外とまぁまぁの天気。梅雨の合間を縫ってのラウンドだった。やや復調の兆しもあるが、いまいちかな?



酒元ノ上覆屋には、6基の地下式横穴墓が、そのまま見れるようになっていて、興味深い。
一部は、埋め戻されているが、当時の墓の様子がわかる。
”西都原古代文化を探る”によると、この形式は、日向に特徴的なものという。
7世紀前半のものとされ、西都原では、もっとも新しいものだ。
大和王朝との繋がりは、深いはずなのに、この違いは何故?



一部のお墓は、発掘時の様子がそのままで、展示されている。



100号墳は、4世紀後半のものと考えられており、葺石が、発掘したままの状態で見れる。
こちらも見事な、前方後円墳。



西都原古墳群で、巨大なものは、男狭穂塚(おさほづか)、女狭穂塚(めさほづか)。前者は、全国で最大の帆立貝型古墳(前方後円墳の方墳部分が極端に短い)、後者は、九州最大の前方後円墳。全長174m、高さ15mの規模を有す。
陵墓となっていて、中には、入れない。



柵の向こうに、巨大な古墳が見える。
邇邇喧スと、木花佐久夜毘売の墓という説もあるが、定かではない。



昔からあったであろう石碑。



レンタサイクルは、5時までだったので、一旦返却し、車に乗り換えて、6時まで開いている西都原考古博物館に向かった。
すばらしい展示で、驚いた。
日本の考古学を、学びたかったら、ここがベストではないか。
ただ、展示されているだけではなく、その展示方法、説明など、ひじょうにわかりやすくすばらしい。
そして、何より、この西都原古墳で発掘された鉄器の数々に、目を見張る。
これほどの鉄器を有した日向王権は、大和朝廷と密接な関係を有していただろう有力な勢力であったことが、実感できる。
西都原古墳群を訪れたら、是非、この博物館を訪れて欲しい。とてつもない、古墳群だ。
山之将軍(ヤマノイクサノキミ)と里之王(サトノミコ)は、地底の奥津城(おくつき)に眠るという特別展をやっていたが、見たこともなかった発掘物が並んでいた。
大陸の人たちが、日本古来の人たちと、混ざりながらも、同化していった歴史なのか。



この博物館は高台にあり、古墳群を見渡すことができる。
この古墳群には、全部で、311基の古墳があり、内、前方後円墳は31基、円墳が279基、方墳が1基という。
とてつもない古墳群だった。
大満足。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州神話探訪の旅その8 西都原①

2013年06月14日 | Other Western Japan



西都原古墳群は、素晴らしい公園になっていた。
子供の日が近く、こいのぼりも。
このはな館が総合案内施設になっている。



思ったより、広い公園。
無料のレンタサイクルで回ったのだが、結果的には、ポイントポイントに駐車場があり、車で、来ている場合は、車で、回った方が効率がいい。
自転車もいいが、広くてちょっとたいへん。



最初の訪れたのが、鬼の窟(おにのいわや)古墳。206号墳。
6世紀後半から7世紀初頭のものと考えられている。
ここから見ると不思議な形だが、円墳の回りを囲うように、土堤が設けられている。
ボランティアの人が、このように土堤を持つ古墳は、日本に4つしかないと説明してくれたが、後でゲットした”西都原古代文化を探る”によると、あの石舞台古墳、近くにある常心塚古墳と用明天皇陵のみということで、いずれも飛鳥時代のもの。
日向と飛鳥の結びつきの強さを示すものだという。



この古墳には、中に入れる。
木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤニメ)を嫁にとろうと思った鬼が一晩で築いたという言い伝えがあり、この名がある。



綺麗に石が積まれていた。



見事な前方後円墳が、一帯を取り囲むように、築かれている。



13号墳。中を見学できる。4世紀後半のものと考えられている。



中には、このように石が敷き詰められている。
前述の、”西都原古代文化を探る”によると、単なる棺ではなく、船を表しているのではないかという。

週末は、梅雨の晴れ間にならないかな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州神話探訪の旅その7 槵触(くしふる)神社

2013年06月13日 | Other Western Japan


天岩戸神社から、高千穂の中心部に向かったのだが、車が渋滞で、途中から動かない。
しょうがないので、ちょと戻って、途中にあった槵触(くしふる)神社に行ってみた。



古事記に、邇邇喧スが降臨した地を、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるたけ)としており、この槵触(くしふる)神社が、その候補地になっている。
結構不便なところにあり、訪れる人も少ない。
槵触(くしふる)峯の中腹にある。



土俵があった。



社殿。



この社殿は、江戸時代のものというから、それ以前は、山にお祈りしていたのだろう。
元禄時代に、延岡城主や、高千穂神社神官により建てられたという。



彫り物は、なかなかしっかりしている。



ということで、高千穂の中心は、パスして、2日目の最終目的地である西都原古墳群に向かった。
途中日本一というアーチ橋があった。天翔大橋と名付けられていた。
高千穂から、延岡への道は、国道なのだが、深い渓谷の上空にかかる橋、右に左に、すばらしいドライブコースだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州神話探訪の旅その6 天安河原(あめのやすのかわら)

2013年06月12日 | Other Western Japan

今日は、本格的な梅雨空。うっとうしいけど、空梅雨よりは.....



天の岩戸神社から、奥の岩戸川の方に降りて、ちょっと10分ぐらい上流に行くと、天安河原(あまやすがわら)がある。
遊歩道が、整備されている。



神秘的というよりは、美しい自然が残された渓谷という趣だ。



天安河原の前。川で遊んでいる人もいる。
小石が、多数積み上げられている。
石を積み上げて祈願すると叶うという言い伝えがあるという。願掛けのケルン(積石)だ。



ここで、本来お参りするのだが、大渋滞だったので、ちょっと遠くから、お参りした。
ここに、神々が集まって、天の岩戸にこもった天照大御神をいかに出すかを相談したという。
この社は、思兼神(おもいかねのかみ)と八百万神(やおおろずのかみ)を祀っている。
天照大御神と、その弟の須佐之男が誓約(うけい)を結んだとされるのもこの地だ。
仰慕ヶ窟(ぎょうぼがいわや)と呼ばれている。



渓谷としても、素晴らしいところだ。



ちょうど昼になったので、近くで、高千穂牛のラーメンをいただいた。
牛の味のせいか、スープのだしのせいか、甘いラーメンだった。



お店は、ちょうど、岩戸川を見下ろす場所にあって、川を見下ろすと、数十メートル下に、流れが見える。
新緑がきれいだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州神話探訪の旅その5 天岩戸神社

2013年06月11日 | Other Western Japan
やっと梅雨らしくなってきたと思ったら、台風?



大分側から、高千穂に入ると、最初に出会うのが、天の岩戸神社。
高千穂の中心とは、ちょっと離れたところ(山側=大分との県境に近い方)にある。
当然、近いところからということで行ったのだが、実は、大正解だった。
宮崎側から、高千穂に入るのが、渋滞でまず困難。
そこから、天の岩戸神社に入るのは、さらに困難(大渋滞)になっていたのだ。



この天照大御神がこもったと言われる洞窟(天の岩屋戸)があるのだが、立ち入り禁止で、見ることはできない。岩戸川という川の反対側にある。



今回は、早回りで、東本宮をパスして、西本宮へ参拝(この時は、まだ、高千穂の中心部にも行くつもりだった)。



この拝殿の奥に、岩戸川があり、その奥に、洞窟(天の岩屋戸)があるようだ。



西本宮。ちょうど結婚式が行われていた。



この銀杏の葉は、かわいらしい形をしているが、この葉っぱの形の銀杏は、諏訪神社とここしかないと言う。古代銀杏と呼ばれている。



こちらは、神楽殿。ここで、有名な高千穂のお神楽が催されるのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする