J OKAYAMA ~岡山スポーツの桃源郷へ

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日本代表のこと・・・615

2025-02-12 00:01:34 | サッカー(日本代表、W杯等)

 リスペクトコラムです。
 今日は祝日で時間があったので、前からとりまとめたかった留守録番組を記事にしました。NHKの新プロジェクトXで、なでしこジャパンが取り上げられました。これはすごいなと。放送日は何と去年の7月。パリ五輪の直前の時期でした。この記事を書くために、何度も何度も観て、時にはウルっときたりしました(加齢のためかな)。本当にいいVでした。
   
【なでしこの花咲く日まで~サッカー女子 不屈のバトンリレー~】
 今からわずか40年前、女性がサッカーがする事は当たり前ではなかった。道なき道を切り開き、サッカー女子を誰もが楽しめるスポーツとして根付かせようとしたプロジェクト。
     
〔清水第八〕
 男子サッカーの盛んな静岡市清水の小学校で一風変わったチームが産声を上げる。「私たちもサッカーをやってみたい」という本田美登里(小3)がきっかけで、静岡の小学校のサッカー少年団の練習に女子が加わる。やがて、中学でもやりたいという彼女達の希望で、清水第八スポーツクラブ結成され、真っ先に本田が加入。その2年後8チームで女子の全国大会が始まると清水第八は大会7連覇したが、サッカー女子に向く視線は冷たかった。
 1986年に香港で開催されるアジア選手権に向けて、1981年初代日本代表チームが選抜され、主力は清水第八メンバー(うち7選手)。彼女達を驚かせたのは海外の女性選手達の堂々とした姿。勇気と失望を得た。
   
〔第1回女子W杯出場に向けて〕
 1989年に日本女子サッカーリーグ開幕。W杯に出場すれば風景が変わるかもしれないという人生を賭けた挑戦が始まった。1991年のW杯開催が実現し、同年に代表合宿。すでに支えてきたメンバー20代半ばで、みんな満身創痍。本田は怪我でスピードを失っていた。山口小百合は練習のために勤務していた工場を辞めた。中学教師の加治は学校行事を休むために厳しい視線に晒され、みんな最初で覚悟という覚悟をしていた。同じチームで当時13歳の澤穂希も本田の姿を間近で見ていた。
 運命の第1回W杯予選、1991年5月。アジア9チームのうち出場できるのは上位3チーム。初戦1-0北朝鮮に勝利。本田は骨折したが出場。準決勝のチャイニーズタイペイ戦(0-0(PK5-4))。この大会でサッカーを辞めると決めていた加治が、PK戦で決勝ゴールを決めてW杯出場決定。
    
〔第1回女子W杯を経て〕
 本戦は3戦全敗(0-1:ブラジル。0-8:スウェーデン、0-3:アメリカ)。本田と加地は現役引退。W杯後にわかに女子サッカーブームが到来。バブル景気を追い風に発足した女子サッカーリーグ(Lリーグ)にスポンサー企業が続々と名乗りを上げたが、わずか数年でブーム終了。
 そんな中、本田に指導者にならないかとW杯監督から声がかかる。始めたのは女子サッカーの普及活動。日本協会に就職し、日当は要らないからと全国で教室を開いた。サッカー好きの女の子を増やす種をまき続けた。女子サッカーへの逆風は続く。澤も経営難になったサッカーチームを去る事になる。大学1年で中退してアメリカへ。
     
〔元祖なでしこ達の普及活動〕
 日本代表の強化よりもサッカーが好きな女の子を増やす事が、長い目で必要という気持ちで続けた草の根のサッカー教室の中で、本田は1人の少女と出会った。宮間あや(小5)で、一目でわかるサッカー好きのセンスが伝わってきた。本田の呼びかけで、草の根サッカー教室の先生役は元祖なでしこ達、加治は関西地区、山口など清水第八のメンバー達は東海地区を担当。
 本田は2001年に、競技人口の少ない岡山にできた女子サッカーチーム(湯郷ベル)の監督に就任。女子選手が安心してサッカーに取り組めるように、地元で選手達の就職先の確保に奔走。そのチームに宮間が加わり、チームを磨いた。
 本田が普及活動で15年過ぎた2011年のW杯出場。この時の代表選手は元祖なでしこの教えを受けた後輩達。近賀、岩清水、川澄は大学時代に加地の指導を受けている。岩渕は野田の教え子。皆黎明期の苦労を聞いてきた。

〔ドイツW杯優勝、その後〕
 W杯で快進撃。決勝のアメリカ戦。試合前(キックオフ3時間前)の儀式でメッセージを込めたVTRを見せる。内容は清水第八から始まる日本女子サッカー30年の歩み。周囲に認められなくてもプレーする先輩達の姿。試合は延長戦、試合終了前のCK、キッカーは宮間。澤が決めて同点。その後のPK戦に勝って優勝。
 本田が「さぁ、この後どうなるんだろという心配の方が多かった。文化になればいいけど、なれなくて一過性になるかも。誰か気づいているかなぁ」と。2021年に日本初のプロリーグWEリーグが開幕。女子サッカーを文化にする取り組みが続く。

 

サッカー女子W杯優勝:元祖なでしこたちがまいた「種」――試し読み『新プロジェクトX 挑戦者たち』 | NHK出版デジタルマガジン

『新プロジェクトX 挑戦者たち3 トットちゃんの学校 男子バスケ 五輪への道 サッカー女子W杯優勝 薬師寺東塔 大修理 フリマアプリ世界へ』。何のために「壁」に挑むのか?

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ワールドカップの事19 - J OKAYAMA ~岡山スポーツの桃源郷へ

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 元祖なでしこの方々がいかに苦労されたかがよくわかりました。その筆頭が本田さん。今回登場された元祖なでしこの皆さんの今の立ち位置を調べてみました。皆さん、女子サッカーの第一線で今も頑張っておられますね。やはり監督業が多いのかな。湯郷ベルが来季からなでしこ1部で戦いますが、本田さんのチームと戦いますね。野田さんの群馬さんは昨季までは1部で、今季は2部ですね。対戦してみたかったなぁ。
・本田美登里さん:静岡SSUボニータ(なでしこリーグ1部)監督
・山口小百合さん:JFAコーチ女子担当・東海チーフ、清水フットボールクラブ女子中高生チームコーチ。
・加治 真弓さん:六甲アイランド高校監督
・野田 朱美さん:バニーズ群馬(なでしこリーグ2部)監督。
・半田 悦子さん:静岡県サッカー協会女子ユースダイレクター


 いかに本田さんが女子サッカー界に貢献されてきたかよくわかりました。その本田さんが2001年に監督に就任した、競技人口の少ない岡山にできた女子サッカーチームが地元の湯郷ベル。チームに教え子として呼んだのが宮間さんという事で、湯郷ベルの存在感が引き立ちました。読者の皆さん、ベルはそういう存在なんですよ。当ブログも改めて再認識できて良かったです。
 そして、本田さんのいい言葉もありました。「さぁ、この後どうなるんだろという心配の方が多かった。文化になればいいけど、なれなくて一過性になるかも。誰か気づいているかなぁ」というものですが、これってJ1に昇格した岡山にもそのまま当てはまるじゃないのか。本当に誰か気づいているんだろかって。また、なでしこジャパンについてはニールセン新監督に託したいと思います。この新プロジェクトXでは、もう1つ他のスポーツが登場しています。またの機会に。
清水第八プレアデス公式HP:https://sdh-1978.com/
#がんばろう石川 #がんばろう能登

コメント
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