平気でうそをつく人たち 著:M・スコット・ペック
原著の刊行は1980年代という話だそうで、
30年以上前の著作でありました
いわゆる心理学を取り扱った内容でありまして、
年月を考えると、書かれている内容はすでに陳腐化しているかもしれない
あるいは、何か間違った内容が記されているかもしれないと
そんな不安にもかられたものの、
非常に面白く読み終えたのであります
個人的には、この本は前半と後半、
もっというと、最後の一章とそのほかに分かれていると
感じたのであります
心理学的に、本人が認識しない悪というのを喝破した部分と、
ベトナム戦争というアメリカが行った事件について断罪した部分と、
両者はリンクしているんだけども、
主題はその二つに分断されているような
そういう本でありました
非常に面白いんだが、疲れた
前半の心理学的な話は、
実際に著者が接してきた患者から、
意図しない悪意といっていいのか、他人を思いやることがないため、
その人と触れ合う人が不幸になる、
その存在の中心にいる人物が、悪意という精神の病を患っていると
まぁ、そういうお話なのでありました
このあたりは、やっぱり現代だと、この察しの悪さとかを
ADHDだとか、発達障害だとかいう名前で、
うまいこと分類しているようにも思うのでありますが
こういう人たちをそうだと
はじめに分類した、そういう人なのかもしれないと読んだのでありました
実際はどうだかわからないので調べましょう
この心理学というか、精神療法の手法ともいえる、
患者との対話のシーンが非常に面白くて興味深い内容でありまして、
この語り口はなんというか、そのまま、
実際会話にも使えそうだなと、会話が成立しづらい相手との何かに
役に立たないだろうかと、不穏なことを考えたのでありました
で、ここで最後に出てきた患者が、
かまってほしいために退行のような、我儘のような、
ともかくどうにもならないそれを抱えているとなっていたんだが
この患者の所作、思考が、恐ろしく自分にも当てはまると
読んでいて驚愕というか、この病は俺の症例かと
慄いたわけであります
まぁ、誰にでもあるよなという話といえばそうなんだけども
なかなか、これを悪とするのが本著なんだが、
さすがにこれを悪とするのは、どうなんだ、いや、実際そうなのかと
あれこれ考えさせられたのであります
あとは、この未必というか、意識していない悪意というものが
集団となった際に、無責任と、怠惰と無知によって、
巨大な国家による悪が働かされて、
ベトナム戦争が行われたという論法で終わっていたのであります
これもなかなか面白いところでありますが、
ひとつ気になったのは、ベトナムで虐殺をアメリカ兵が行っていた事件について、
白人はそれ以外の人種に対して殺戮を行うことに躊躇がない、減少するという
今でこそ、ありそうな話だということが載っていたわけなんだが、
この返す刀というか、ひとつの提案として
アジア人もまた、白人を殺すことに躊躇がないのじゃなかろうかと
推論をあてていたのでありますけども、
そこはなんだろう、現代人だからというのは関係なく
アジア人は殺すということは、人種というもので酌量されないんじゃないかと
感じたんだけども、これはまた、個人の感想であろうかなんて
あれこれ思ったりしたりの読書で
いらぬ哲学にはまったようでもあったのであります
原著の刊行は1980年代という話だそうで、
30年以上前の著作でありました
いわゆる心理学を取り扱った内容でありまして、
年月を考えると、書かれている内容はすでに陳腐化しているかもしれない
あるいは、何か間違った内容が記されているかもしれないと
そんな不安にもかられたものの、
非常に面白く読み終えたのであります
個人的には、この本は前半と後半、
もっというと、最後の一章とそのほかに分かれていると
感じたのであります
心理学的に、本人が認識しない悪というのを喝破した部分と、
ベトナム戦争というアメリカが行った事件について断罪した部分と、
両者はリンクしているんだけども、
主題はその二つに分断されているような
そういう本でありました
非常に面白いんだが、疲れた
前半の心理学的な話は、
実際に著者が接してきた患者から、
意図しない悪意といっていいのか、他人を思いやることがないため、
その人と触れ合う人が不幸になる、
その存在の中心にいる人物が、悪意という精神の病を患っていると
まぁ、そういうお話なのでありました
このあたりは、やっぱり現代だと、この察しの悪さとかを
ADHDだとか、発達障害だとかいう名前で、
うまいこと分類しているようにも思うのでありますが
こういう人たちをそうだと
はじめに分類した、そういう人なのかもしれないと読んだのでありました
実際はどうだかわからないので調べましょう
この心理学というか、精神療法の手法ともいえる、
患者との対話のシーンが非常に面白くて興味深い内容でありまして、
この語り口はなんというか、そのまま、
実際会話にも使えそうだなと、会話が成立しづらい相手との何かに
役に立たないだろうかと、不穏なことを考えたのでありました
で、ここで最後に出てきた患者が、
かまってほしいために退行のような、我儘のような、
ともかくどうにもならないそれを抱えているとなっていたんだが
この患者の所作、思考が、恐ろしく自分にも当てはまると
読んでいて驚愕というか、この病は俺の症例かと
慄いたわけであります
まぁ、誰にでもあるよなという話といえばそうなんだけども
なかなか、これを悪とするのが本著なんだが、
さすがにこれを悪とするのは、どうなんだ、いや、実際そうなのかと
あれこれ考えさせられたのであります
あとは、この未必というか、意識していない悪意というものが
集団となった際に、無責任と、怠惰と無知によって、
巨大な国家による悪が働かされて、
ベトナム戦争が行われたという論法で終わっていたのであります
これもなかなか面白いところでありますが、
ひとつ気になったのは、ベトナムで虐殺をアメリカ兵が行っていた事件について、
白人はそれ以外の人種に対して殺戮を行うことに躊躇がない、減少するという
今でこそ、ありそうな話だということが載っていたわけなんだが、
この返す刀というか、ひとつの提案として
アジア人もまた、白人を殺すことに躊躇がないのじゃなかろうかと
推論をあてていたのでありますけども、
そこはなんだろう、現代人だからというのは関係なく
アジア人は殺すということは、人種というもので酌量されないんじゃないかと
感じたんだけども、これはまた、個人の感想であろうかなんて
あれこれ思ったりしたりの読書で
いらぬ哲学にはまったようでもあったのであります