森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

第47回「種崎浜の悲劇」-功名が辻

2006-11-27 09:39:34 | ドラマ (大河)

 とうとうこの日が来てしまいました。

   さらばさらば六平太、そして新一郎。全てはこれに尽きてしまった今回のお話でした。。。。

いやいや、そうではありません。中央の大きな歴史の流れが気にかかる頃(家康と淀のあれやこれや)、遠く離れた土佐の国、次の歴史を作るため一領具足を排除して、土佐平定に男達は頑張っていたんだよ、と言うお話でした。

 一領具足の一掃を誓ってしまう一豊でしたが、六平太がその案を出します。相撲大会を開き一領具足の頭を一網打尽にしてしまおうと言う考えです。

 このシーンは、いくらでも見せ方がある場面であり、見る者は、その見せられ方によっていろいろ感じ方が違ってしまう場面だと感じてしまいました。

 う~ん。。。
私は、このシーンのことを書こうとすると、キーを叩く手が止まってしまいます。昨日の夜も、今日の朝も。

 それで、我が家の「ちょっと垣間見ラッタ」の言葉を使ってしまいます。

「おお、ナイスな考え。ところで、なんで一豊は悩んでいるんだ。」
「騙まし討ちだから。。。」
「なんだぁ、そりゃ。だって、いくさだろ。あの手この手の策を駆使して生き残っていこうとする戦国時代だろ。」 
「今までのイメージとかけ離れているからね。」
「それで、六平太が泥をかぶるわけ。」
「卑怯な、、、、泥は自分でかぶれよ。」

 

ちょっと垣間見なら、ラッタの意見は最もだと思います。またもし、一領具足の乱に苦戦し兵を出すたびに死者が出ているシーンが映っていれば、もっとラッタの言う事に頷いてしまうかも知れません。
 ただ、この「功名が辻」では、一領具足の生活が映し出されていました。種崎浜の悲劇を感じさせるためかも知れません。確かに「悲劇」だと思います。ただ、本当の悲劇はそこにあったのではないと思うのです。

「戦国」であった―それ自体が悲劇だった。。。。

あああああ、もうだめですね。やっぱり書ききれませんよ。じゃあ、消せばって言わないでくださいね。たったこれだけ書くのに2時間以上かかってしまったのですよ。要するに思考の重さに押しつぶされてしまったのですね。

これも、思い出かな。後、二回だし。

 

さて仕切りなおし。

六平太は一人大活躍で、土佐を救って逝きました。愚か者はは陰に生き陰に死んでいくと言っていた六平太、
「死ぬ時はお前の腕の中で死ぬと決めていた」と切ない最後でした。

ずっとずっと愛していた女性を守っていた六平太でしたが、最後のその刹那だけ報われる事を願っていたのでしょうね。かっこ良過ぎ~♪

「いいえ、徳川様はそういうお方でございます。」
「勇気あって、知恵なき者。」
六平太語録もびんびんにきましたね。

新一郎の死も悲しかったです。その父の
「良くやった、よくやった。。。」と言う言葉は、「なぜ死んだ、なぜ死んだ。。。」と言う言葉に還元されて聞こえてきてしまいました。

 

戦国時代。夫はあまたの戦場を泥にまみれて走りぬいてきた。戦場に累々と死体の山を築くのが夫の仕事だった。幾重に重なり合った死体を蹴散らして、やっとここまで命落とさず生きてきた。賢き妻は知っている。命落とさず夫がここまで来たから、ここに私はいるのだと。。。。と、思っていた。が、どうも違うみたい。

夫の崖っぷちの苦悩を無視して一番辛い時に「お暇を」って言っちゃうし、ひとり寂しげに佇んでいる六平太に「私を守るってこういうこと?」って責めちゃうし。なんでもはきはき言ってはいけないなぁと学んだ私でした。

六平太のシーン以外はなんとなく馴染めないで、ドーもすっきりしない。お陰で感想もぐちゃっぐちゃ。。。。 

 

 それでも、ちょっと思い出したので追記です。
 一領具足の人たちの結束力を思うと、たとえ長宗我部が徳川についていたとしても、その先徳川によってろくな目に遭わなかったのではないだろうかと、ふと考えてしまいました。
 また、一豊が「人は言の葉を持っている。」といった時、ピカーっと何かを期待した私。何だぁ、うわさかよって、数秒の命だった「期待」でした。

コメント (15)
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