ああなって、こうなって、そうなる。分かっていたさ~。
そういう展開になることは、まるっと、ぐるっと、すりっとお見通しじゃー。
最終回一回前は、そんなホームドラマの巻きでしたね。。。というわけで、おわり。。
おいおい、「おわり」はやっぱりないですね。
じゃあ、そのホームドラマがいけないのかというと、そうではなくて、なかなか面白かったのですよ。最初に一豊が倒れたシーンで、予告編にそういうシーンがあったことから、我が家のうちの人はすっかり騙されて「この女のせいで~」と、千代に怒りを向けていますので、私は、
「ケビョ、ケビョ、ケビョ」と鳴いてさしあげましたわ。
そうやって見ると、みんななにやら怪しさ全開でしたね。単純に笑ってみていましたよ。
千代が一豊の枕辺にやってきて、戻ってきた事を知った一豊がやおら起き上がり、居住まいを正して、政策の方向転換の決意表明をいたします。はたまた、黒田如水のことを出し、実はこうであったと先週の行動の詳しい解説なんかをしたりもします。なんだかんだと仲直り。。。。
まぁ、ホームドラマなので、いいんでないかー。
嘘も方便よ。私、さっさと戻ってきたかったし、良かったわという雰囲気も漂っていましたし~。
私、こんな書きかたしていますけれど、実はこのシーンちょっとウルッと来ていました。
ど、どこでって思われましたか。一豊のセリフですよ。
「千代がいなければ、何も感じることが出来ない。千代がいなければ。。。千代がいなければ。。。」―例によって長いセリフは覚えておられぬ。
別に、一生懸命生きてきたのに熟年になってぽいっと捨てられる、お父さんの悲哀を感じたのではないですよ。元祖濡れ落ち葉と感じたのでもないですよ。
一豊は、もちろん千代もそうだと思いますが、長い年月、何か見るときも、常に二人でそれを見てきたのではないでしょうか。。。。例えば戦場に真っ赤な夕日が美しかった時、それを自分の目を通して意識は二人で見ている感覚。。。
何かを考えなくてはならないとき、千代ならどう思うだろうと、二人で考えている感覚。。
恋のさなかなら、そういう感覚も強いかなとかも思いますが、加齢加えた夫婦がその感覚を保ち続けた事が、その夫婦の歴史を感じてしまうのでした。
ここに、この夫婦の本当の「あがり」があるのではないのかと思います。
私が、ウルッとジーンと来ている横で、だんなが嘆いています。
「何で、こいつはすぐばらすんだ。」
要するに仮病の事ですよ。私もそう思いますよ。三日ぐらい寝転がっていておもむろに起き上がればいいものを。。。
だけど、「なんで、すぐばらす?」って言っちゃったらさぁ、それを言われ続けて一年間、振り出しに戻るってもんでしょ。
高台院の所にも行かなくてはいけないし~。家康の所にも行かなくてはいけないし~。忙しいのよね。
ところで、千代さま急に老けてまいりました。一回前の法則でしょうか。高台院様、変な人になっていました。私の中の高台院のイメージが、カタカタと崩れていきます。聡明だった淀様は、見る影もありません。
そういえば、狸おやじの家康が、誰の顔も皆、狸に見えるなどと言っていましたね。あったりまえだーなんちゃって。
人は人の里に住み、狸は狸の住処に住む。家康が狸なら、周りのその住処に住むものは皆狸なのさ~。
なんでか、今回大幅に遅れてしまいました。後一回かと思うと、お名残惜しゅうございます。