7日目、ライからロンドンに向かっていた頃はもう夕方。でも、その日はまだイベントがありました。ホテルに戻ってからから、さらに地下鉄に乗ってロンドンに向かい、「オペラ座の怪人」を見ることです。もちろん、ツアーには含まれていないイベントです。これを見る為に、私は頑張ったんですよ。(いろいろな意味で)
とりあえずは感想です。
<パンフレットの背表紙>
ミュージカル「オペラ座の怪人」の概要は→コチラ
私は個人的には、この物語のストーリーは好きではないのですよ。なぜかは前に見た映画のせいだと思うのですが、この「オペラ座の怪人」は何度も映画化されていて、ストーリーもそれぞれに少しずつ違うのですよね。
でも、一番近い2004年の映画は、ミュージカル「オペラ座の怪人」を映画化したもので、それを見た人、または劇団四季のミュージカルを見た人は、みんな涙ながらに良かったと言うでしょう。リピーターも多いのですよね。 たぶん私が思っているようなものではないのかなと思って期待していました。
期待通りです。
素晴らしかったのは、全ての歌声です。
それからストーリーも、オペラ座の怪人の切ない気持ちが迫ってきて、最後は本当に泣けました。
私が最初に、この物語が少し苦手と言った部分なのですが、クリスティーヌが「音楽の天使」と憧れていたファントム(オペラ座の怪人)、エリックの本当の姿を知ったときの態度の豹変で、折りしもそこに幼馴染のラウル・シャニュイ伯が現れて、自分だけは日の当たるところへぐいぐいと伸びていくでしょ。また、このラウル伯は若く美しく「光」と言った所。醜く愛を知らずにオペラ座に潜んでいるファントムのような闇に潜むものは、ますます闇に落ちていくと言う感じがしてしまいまって、切なくなってしまうのですよ。姿ばかりでなく心の奥底まで歪んでいっても分かるような気もします。
(言葉が思い浮かばないので、そう書きましたが、本当は共鳴できるという分かるではありません。このストーリーは理解できるという意味の分かるです。)
つまらない事に拘ってしまいましたが、生まれながらに醜くて、母にさえ愛されなかった男の、愛の飢えを「分かる」と言っても本当は分かるわけがないと思ってしまうのです。きっと、魂を半分地獄の池につけてしまっている様な感じなのでしょうか。
暗い地下水路が出てくるのですが、それが彼の魂の半分の置き場所、そんな感じがしてしまうのです。
実際に彼は、恐ろしい殺人者なのです。事実を思うとクリスティーヌの彼を怖れるような態度も当たり前ですね。
意地悪な言い方をすると、ラストもファントムに捕らえられたラウルを救うための決死の作戦のような気が、微かにしてしまったりしたのです。去り際がすばやい。心の中は違うのかも知れませんが、女は切り替えが早く強いのかも知れません。
ただ、醜い顔に口付けされたエリックは、飢えた魂に一気に水が流れ込んでいくような感じです。その最後の歌声が染み渡ってきました。
劇団四季の、「オペラ座の怪人は凄いらしい。」と言うコピーが、頭の中で蘇ってきました。
本当に見ることが出来て幸せでした。
向こうのカーテンコールは、歌いませんね。スタンディング・オベーションを初めて経験しました。よく最後に立ち上がると言う事はあったかもしれませんが、最初から総立ちで拍手です。ファントム役の方が挨拶をしました。
彼の高揚した挨拶を聞いていると、もしかしたらスタンディング・オベーションは毎回と言うわけではないのかも知れません。それは分からない事ですが、もしそうならばさらに私は幸せだったと言う事ですね。
それは幸せな勘違いでも、そういうことにしておきましょうか、私の中では。
※余韻に浸りたくて、劇団四季のHPを開いてみました。歌も聞けるのですよ。でも、そこで聞いていましたら、姿などには囚われないクリスティーヌの愛の想いが伝わってくるような気がしました。→ココ