数日前に<「オペラ座の怪人」をロンドンで観る>と言うタイトルの文を書きました。最初、そのタイトルは簡単に<オペラ座の怪人>と打っていましたが、分かりやすいので打ち直しました。
でも、そのタイトルをじぃっと見ていたら、言ってみたくたくなりました 。
「なんかこれ、かっこよくなぃ?!」←ラーメンズ風に・・・・ラーメンズ知っている?
ところがこの記事、書いた直後に読まれたという「数」だけで見ると、稀に見る少なさ・・・・。
「おや、まあ。」
それで思い出したようなものですが、以前の友人との会話です。
その友人は仕事で日々忙しく生活している人で、私に大きな影響を与えてくれた人なんですが、マイペース度が半端ではない。歩いて5分の所に住んではいますが、4年に一度くらいしか会えません。
たまに会うと楽しくて時間も忘れてしまうほど、おしゃべりしてしまうのですが、そんな時は近況もそうですが、最近あったトピックスなんかも話したりするでしょう。
「そういえば、この前『印象派展』に行ったわ。」
最近のことではないですよ。友人相手では私はではありません。本当は気に入っているので、ブタさんでもいいんですが、友人相手ブタさんはちょっと悔しいので可愛くウサギさんでいこうかな。
と、変なこだわりを見せたところで本題です。
私は印象派の中ではマネが好きなんです。これはモネの打ち間違いではないですよ。マネは印象派としては微妙な立場なんですよね。女性からの人気度で言ったら、やっぱりモネの睡蓮なんかの方が高いですよね。
ちなみにマネは、こんな絵などを教科書などで見たことがあるのではないでしょうか。
でも、モネの絵も好きなんですよ。光の巨匠、モネ。印象派は馴染みの深い絵画も多くて人気が高いですよね。
「とっても良かったよ~。感激したなぁ。まだ数週間●●でやっているみたいよ。」
「いいわ、それ、みんなルーヴルで見たわ。」
思わず私は
「すみませ~ん。」
と謝ってしまいましたよ。別に何も勝負していたわけではありませんが、なんかもう勝てませんという気持ちになるでしょう。
でも、これは「かます」と会話の手法ですよ。冷静になって考えれば、ルーヴル美術館で印象派の絵を見るなんて、いったい何の絵を見たというのだろうと、絵画に詳しい方も思うところだと思います。
「ルーヴルって何でもありなのね。」
「ああ、ルーヴルじゃなかったかも。でも、モネは彼が住んだ家の庭を見たのよね。」
それも素敵ですよね。モネの愛した庭を歩く・・・・いいなぁ。
でも、庭を見ることと、絵画を見ることは別の事ですよね。
ちなみにですね、印象派の多くの絵画は、同じパリでも「オルセー美術館」で見ることが出来るんですよ。
そのオルセー美術館のなかなか面白い映像を見つけました。
興味のある方は→コチラ
<モネをパリのオルセーで見たわ。>
と、もし私が言ったら、ちょっとかっこいい感じですが、そりゃあ、自慢ですよね。だって、パリで見ようが上野の西洋美術館で見ようが、モネはモネ。そうは言いながら、なんかそれもいいなぁなんて思ってしまいます。宝くじがあたったら行く事にしましょう。
だけど、遠い夢より近くの現実と言う事で、3月22日の土曜日に
「ルーヴル美術館展―フランス宮廷の美」を上野公園にある東京都美術館にて見てまいりました。
東京開花宣言のその日、上野の山もちらほらと桜が咲き始めていて、気の早い人たちは花見をしていました。
人の波は多くても、人気のあるものそうでないものがはっきりしていて、可笑しく感じました。キラキラ光る宝石などが付いている煙草入れなどの前や、マリー・アントワネットの旅行セットの前などはかなりの人だかりで、ガラスの前にへばりついて動こうとしない人もいたので、よほど魅せられたのだと思います。
銀製品の前は、どの時代のも比較的すいていました。女性はやはりダイヤと金の煌きに弱いものなのでしょうか。
その煌く美しさには確かに魅せられましたが、その時私が感じた感想は、家に帰ったら掃除しようかなと言う思いでした(超現実的)。なんと言うか、自分のいる空間を快適にする、暮らしを楽しいものにするための道具を得る。そういうことの大切さを感じたのです。
例えばキャンディを袋から出して食べないで、気に入った入れ物に入れて食べる。素晴らしいテリーヌ入れはなくても、気に入ったお皿で出すみたいな余裕が、例え自己満足であっても 大切なんだよなぁ、と近頃暮らしに余裕もなく暮らしているので、少し反省などしたりしたわけです。
お土産にミニファイルを買ってきました。事前にリサーチして欲しいと思っていましたので、衝動買いではありませんよ。
チケットとチケットファイルと、一筆箋 。
4月6日(日)までです。