5月4日、wowowで「ろくでなし啄木」を観ました。
劇場には足を何回も運べません。故に演劇とは一期一会のような感覚がありますが、だからと言って見切ることなど出来ません。受け取れたものだけを心の財産として、大切に心の小箱にしまうのです。でも、映画なども見るたびに、観るところが違ったり感じ方が違ったりと新たな発見があるので、本当はお芝居も複数回で観たいなと思っているのです。
だからテレビで、演劇を放送してくれるのは大歓迎です。
その為にwowowに入っているようなものですが、放送時間が深夜だったり夕方だったりと、主婦的にはちょっと辛いです。
(ああ、なんとなくdvdを買えば良いじゃないとか録画したらとか、お声が聞こえてきそうですが、まあちょっとそれは置いておいてね。)
今回は祭日の夕方、カレーを作って気合を入れてみようと思ったら、姑さんからワードのお仕事の依頼が来ました。ノーなどと言うわけもなく言えるわけも無く、キィボードパチパチは別に嫌いじゃないから良いのだけど、たけのこのお寿司のおまけ付き。ご飯を作ってもらって、なんか不満げな口ぶり、之はどういうことかって言うと、それだけじゃ夕食は成り立たないわけで、勝手に食べてねも通用しない。主婦が集中して長時間テレビを見るというのは難しいものなのですよね。
途中で立って、ダッシュで味噌汁とかを作り、お刺身を出したりお皿を並べたりのテーブルセッテングの早い事。だけど、子供が
「この味噌汁はまずくも無いが美味しくもない。何故こんな不思議な味噌汁になったんだ。」と発言。夫が「油げが不味いんだ。」と言いました。顔も心も耳もテレビの方を向いていた私ですが、油げの油抜きがいい加減だったんだなとふと思いました。味噌汁如くでも心が無ければ、てき面にその結果は出てしまうのだなとチラリとそんな考えが浮かびました。
まあ、上に書いたことはささやかな脱線です。
心がある、無いと言う事はとても大切な事だと思います。心、それは願いだったり望みであったりもするでしょう。
そんな風になりたい、それをやりたい、その仕事をやりたい。
「ろくでなし啄木」は、藤原竜也君の三谷さんの仕事をしたいという心から生まれてきた舞台なのかもしれませんね。
基本は前に舞台を見て書いた感想と同じです。その感想はこちらです→こちら
だけど舞台で見ていたときには、あまり良い席では見ていないことなど書き込んではいないわけですよ。それでも結構ちゃんと見ているつもりになっていたわけです。でも、それは間違いだなあと思ってしまいました。
なぜなら舞台で見ていた時には、正直な事を言うと動きの大きい勘太郎さんに結構食われてしまっているのではと、ちょっと思ってしまっていたのです。そして二幕目までがコメディ色が強く啄木が幽霊で登場する場面から、シリアスになってくる感じがしたのですね。
しかしそのイメージは、彼らを近くで見ていて覆されました。
啄木は最初から三幕と言うか、啄木メインのネタ晴らしの時の啄木となんら変わっていないのですね。まったく持って食われてなんか無いじゃない。藤原竜也君の思っていた以上の素晴らしさよ。
と言うか、この舞台で彼、結構評論家の人たちなどに褒められていたように思います。分かるな、それってって遅いよね、まったく。
だけどそれは、私にとっては今まであまりなかった事の様にも思うのです。ちょっと自分自身の課題です。良い舞台を見たいです。良い舞台であって欲しいです。でも私自身も良い観客でありたいなと思うのです。
啄木は人たらしで屈折していて才能豊かで、自分の仕事には真面目。そして向き合っては苦悩している。自分は人をからかって振り回すのに、自分がからかわれ振り回されるのは嫌い。
おやっ、・・・・。
屈折してるかどうかは知りませんが(どう見てもそうは見えませんが、)、これって竜也君のことじゃない?
インタビューで勘太郎さんが、「このろくでなし啄木は、アテガキだからね。」と、ある意味凄いねと言う感じで、でもある意味「ろくでなし」の部分がアテガキだとからかう様に言いました。あっ、「ろくでなし」の部分と言うのは、この啄木がと言う意味ですよ。でも、確かに鋭い線をいってるのかなあと思ってしまいました。
三谷さんインタビューでは、最初は竜也君で「坊ちゃん」をやろうかと思ったと言っていました。それも見たくないですか。凄く見たい。ぜひぜひお願いいたしますと祈ってしまいますよ。
それから三谷さん自体が、あんなに真面目な顔をしているのに、恐ろしいくらいお茶目なんですね。袖から笑わせてみたり写メを撮ってみたり・・・・。でも三谷氏の理屈で言えば、「決して彼らは舞台で笑って舞台を台無しにすることは無いと言う信頼関係があるから。」と言うわけだけど、それを舞台に出る5分前に竜也君に話しかけて、「うるさい、静かにして。」と叱られたと言うエピソードには笑わさせていただきました。
三谷さんはちょっと傷ついて落ち込んで「何もあんな言い方しなくてもって思ったんだけど、この人はそれだけ真面目に取り組んで、それだけ集中しているんだなと思った。」と。
長い間のラブコールが叶って、実現した舞台だって言うのに、いざ舞台の前に立ったらその作者に媚びない彼。と言うか、誰に何を言ったのかきっと意識していないのじゃないかと思います。舞台前、5分は既に戦いが始まっているんですよね。
汗まみれでも汗も拭けず、鼻水が垂れていても平然としている。舞台はいつも真剣勝負ですね。
三谷先生、是非「坊ちゃん」もよろしくですと、世界の片隅でささやく私・・・・