別にキリスト教徒でもないのに、このバベルの物語って、結構みんな好きなお話なんじゃないのかなと思うのです。比喩としても使いやすいと言うところがね。
バベルの塔と言うと、この16世紀の画家、ピーテル・プリューゲルの絵が有名じゃないですか。この絵は凄く雰囲気を醸し出していて、尚且つ寓話的な何かを訴えてくるところがたまりませんよね。
ちなみにバベルの塔のお話は、詳しくは→こちら
ところで「バベルの塔」と言うと、このブログにきて下さっている方は、あのドラマを連想する方もいらっしゃるのではないですか。
そう、「相棒」の「元日スペシャル・バベルの塔」ですよ。
そこで言った右京さんの解説が分かりやすいですね。
寄り添う親子の姿を見て、最後の右京さんの呟き
「昔、世界の言語は一つだったそうです。人々は高い塔を作って住もうとしましたが、神の怒りに触 れ、言葉を通じなくされました。お互いを理解できなかった人々は散り散りになったという話です。ところが今日、言葉をしゃべらない少女によって、バラバラ だった人々の心があのように…」
ちなみにこの作品は2007年のもので、またも繰り返してしまいますが、つい最近やったドラマのような気がしますよ。
でも分かりやすくドラマを見た後では非常に説得力があったのに、今読み直すと、たぶん私は何かを抜いていますよね。
だって上の文では、なぜ神の怒りをかったのか分からないと思います。人々は神の為にではなく、自分自身の功名心と名誉欲のためにこの塔を建てようと思ったのです。また、ノアの箱舟で助かった子孫たちをあちらこちらに住まわせようとしたのに、彼らはちりじりになることを恐れ、この塔でひとつにまとまろうとしました。それを神が、同じ言語だからいけないんだと、人々の言語を分けてしまい、言葉が通じなくなった人々は混乱して方々に散っていったのです。
私、ちょっと思うのですが、もしかしたら多くの人々はこの物語を勝手に妄想し、もっと度派手なスペクタル神話に頭の中で変換していないですか。
例えば、私の場合「人々はいつしか傲慢になり、神をも恐れぬ心を持った。天の神に挑戦すべく、途方もなき天にそびえる塔を建てようと思った。人々が建てた塔が雲をつきぬける頃、そんな人々の傲慢に神は怒り、落雷が起き、バベルの塔は崩壊した。」と言うような。
そして多くの日本人が例え話として好きな物語は、この妄想の物語なんじゃないかなと思うのです。(同じ妄想かは知りませんが。)
実際には、バベルの塔は神によって破壊されたなんて、映像的クライマックスはないのですよね。
プリューゲルの絵にしたって、一見ぱっと見、崩壊した塔のようにも見えますが、そうではなくて建設中みたいですよね。しかも、まだ8階程度のこの高さで神の怒りをかうはずなどないと勝手に思ってしまうのでした。
バベルの塔のお話はテーマは言語。だけれど、この物語はなんとなく一人歩きをしているような気がします。人々がギリシャの神々に信仰心を持っていなくても、その神々の物語を愛するように。
プリューゲルの絵の塔の高さに怒りをかうわけがないとかいい加減な事を言っていますが、勝手な妄想解釈で、この物語を連想させるものって一杯あると思います。それは何も雲の上行くビルの建築ばかりではなくて。
と言うわけで、しばらく「バベル」で連想したお話です。
ああ、原発の話かって・・・。
いや~、さあ~、どうかな。