今もですが、このブログを始めたばかりの頃も好きな人や事がたくさんありました。それらに対して愛をこめて書いていきたいなと思っていました。
いつの間にか書けなくなってしまいましたが、記憶の中の愛すべき映画たちと言うのも一つのテーマでした。
それで2007年に「怪獣映画はSF-『ゴジラ』」と言う記事を書いたのです。ゴジラは子供の頃のある意味私のヒーローだったかもしれません。頭の中にだけある「ゴジラ」の記憶、それだけで書いたものだけでしたが、ヒーローのみとは言えない深い意味がある事も実は知っていたのです。「ゴジラ」の1作目は昭和29年、私が生まれる前に誕生したのです。それは子供のヒーローなどにはなりえないモンスターが描かれていたのです。7月7日にBSプムレミアでデジタルりマスター版でその「ゴジラ」が放映されました。
このデジタルリマスターって本当に素晴らしいですね。
OPで左右でbeforeとafterで比較されながら流れました。beforeは本当に雨降り状態です。
この雨降りフィルムと言うのは、私のように二番館育ちのものにとっては、ちょっと懐かしいような気もします。だけれどそれは懐かしいだけで、綺麗なものを見られることは最高です。
そしてこの「ゴジラ」と言う映画を今見ると、本当にレベルが高くてびっくりしました。
感想の大まかな部分は、以前書いたものと同じです。〈「怪獣映画はSF・・・」
だけれども、新たに思ったこともたくさんありました。
なんたって中学生の時にテレビで見た時は、子供のヒーロー、いわば現在で言うポケモンみたいな存在だった怪獣映画を先に知っていたものですから、怪獣映画なのに暗くて大真面目な映画にしかとらえることが出来ていなく、あの時担任の先生が熱く語ってくれたから、そのテーマに気が付いたようなものなんです。
新たにと言うことではシナリオの完璧さに驚かされました。なんて言うか漏れがないんです。
そしてゴジラは冒頭から30分ぐらい気配のみで姿を見せません。
よくハリウッド映画でも姿の全貌を見せないという手法の事を、凄いような感じで取り上げられることがありますが、「ゴジラ」は1作目からそれをやっていたんですね。
そしてあの時、このゴジラは地味だと感じた理由もわかったような気がしたのです。何故なら彼は自分の意志を表すような表情も見せず、やって来ては去って行くのみです。それも破壊神などのように破壊を好み攻撃的で人を探し出して襲ってくると言うものではないんですね。ただ通り道に人間の街があるだけ。通り過ぎる事によって放射能をまき散らしビルを破壊し人々の命を奪ってしまうのです。
それは水爆実験によって住処を追われた故に迷い出てきてしまっているようなものなのです。
まるで人間の身勝手な伐採で山を追われた野生動物の様じゃないですか。
だから古生物学者の山根博士の言葉に、頷けるものを感じるのかもしれません。
「ただ殺すことを考えるばかりではなく、捕獲してその命の秘密を探ろうと、なぜ思わないのか。」
「水爆にも耐えたゴジラを倒せる武器などない。」
自分たちで生み出し、そして自分たちを脅かす者を攻撃する人間の身勝手さが、そこにはあったように思いました。
だからこそ彼の最後、断末魔の叫びをあげて海の底に沈んでいくその姿に哀れさを感じざるを得なかったのかもしれません。
復興の街を破壊し人々の命を奪っていく破壊神でありながら、邪悪なるものに描かなかった。ゆえにこの先のゴジラ映画の人気に繋がっていったのかもしれません。
私がこのシナリオに漏れがないなと感じた一つ目はここの部分です。
ゴジラが何かを暗示するものであっても、対峙する者は生物なんですね。人類の存亡に危機を与える存在であっても、そのものに罪はない生き物を殺さなければならない苦悩は存在し山根博士を存在させてそこの部分もしっかり描いていると思いました。
以前書いたものとは被らないように書きたいと思っていますが、ツイッターで「ゴジラが上陸した品川~芝浦~新橋~銀座~霞ヶ関~上野~浅草というルートはB29の日本爆撃コースだったと。製作当時、戦後と言えども、まだまだ戦争の影がそこかしこに色濃く残されていたんだな”」と言うツイートを見つけました。〈☆〉
横道に逸れますが、戦争は台風や地震などの自然災害とは違って、民衆は巻き込まれたと言っても、まったくの被害者意識のみでは過去の歴史を語るわけにはいかないと思います。始まる前はともかくも、子供や夫を差出し、そして広報で敵を壊滅と言う言葉に喜んだかもしれないじゃないですか。だからこそさらに言うと、声をあげるのは物事の前なんだと思います。
広島原爆犠牲者慰霊碑には「過ちは繰り返しません」と刻まれています。核保有国に対して「過ちを繰りかえさせない」と言う風には書かれていないんですよね。
私たちは過ちを繰り返さない。私たち人類はー。
子供の頃には大好きだった「ゴジラ」の映画を、大人になってからはもちろん見ませんが、その後平成版として作られた作品もちゃんとは見てはいません。実はビデオで借りて来て姉妹で一緒に楽しもうと見たのです。ところがワタクシ、見ていて怒りが沸々とゴジラに対して湧き起ってきてしまったのです。
いつの間にか、私は大人になってしまったのです。
私たちみんなが作り上げてきた日本と言う国。そこに理不尽にやって来て破壊していってしまうのですよ。
そしてもう大人なので計算してしまうのです。
大都会東京の復興の資金を。
壊滅です。日本の経済は!
なんかまともに見ていられなかったのです。
そこに人間のドラマを感じる事が出来なかったからもしれません。いや、きっとそんなストーリーも盛り込まれていたと思います。だけどその前に寝ちゃった・・・・。
野戦病院と化してしまう街の中のビル。母を殺されて孤児になってしまう少女。祈るしか道がなくなってしまう人々。以前にも書きましたが仕事に殉じてしまう報道マンたち。こういう部分なくして心に食い込むような名作にはならないのですね。
だからヒロインが敬愛する芹沢博士との約束を破り武器になる研究の事を告白してしまう流れにも説得力がありました。
実は途中で夫が、
「どうやってこのゴジラを海に帰すんだろう。」と言いました。
「いや、このゴジラは海に帰さず、ちゃんとやっつけちゃうよ。」と私。
この1作目を知らないゴジラ世代の私たちは、思えばゴジラはいつも海に帰っていくものでした。
国民のアイドル寅さんもルパン3世も去って行くシーンで終わることが多くないですか。何気に共通点があるような気がします。
でも1作目のゴジラは海の中で溶解していって絶命してしまいます。
だけど、じゃあなんで続編があるんだと突っ込む事は出来ません。何故ならちゃんと山根博士が言っているのです。
「あのゴジラが最後の1匹とは思えない。またいつか世界のどこかに現れるかもしれない。」と。
まあ噂ではアメリカあたりとかに・・・・。
世界に誇れる名作「ゴジラ」。
そして人はいつかこの地上から消え去ってしまうけれど、作品の中にはいきいきとその人たちが輝いているなあとそれもまた思ったのでした。