本当の事を言うと、心は春の霞の空のようにずっと晴れないでいる。
夫は入院していた理由の病気は治ったものの、次の苦しみが彼を待っていた。
家族の誰かが苦しんでいると言うのに、家の中が平常であるとは言いがたい。
今日、友人に電話した。
1月に電話を貰って、その時に落ち着いたら電話をすると言っておいたのだが、ようやくすることが出来たのだ。
でも彼女は私の夫が入院していた事すら忘れていたような気がする。
時々人は自分以外の人の老いに直面して、それが理解できずに戸惑う時がある。
今日の私のように。
その時に、彼女が夫の事を聞いたので、
「彼の老後はどうなってしまうのだろう。」と呟くと、
「私はもうすぐ近づいていて憂鬱になるからその話題は止めて。」と彼女は言った。
ふと、私は思ってしまった。
老後っていったいいつからの事を指すのだろう。
たぶん彼女が言った老後とは、65歳過ぎの事を言っているのではないだろうか。
そうか?
そう言うものなのか ?
ふとそう言うことを疑問に思う人も多いようで
「老後とはいつからを指すのか。」を検索するといろいろと出てくる。
やっぱり年金とかそう言うことが線引きなのか。
でも「老いた後」と書く老後は、本当はそれだけではないような気がしてしまうのだ。
自分の内面に心を向け続ける事は凄く大切な事だと思う。
だけれど、それと同じように他者に意識を向けていくと言う事も、凄く大切な事だと思う。
常に世界の中に自分はいる。世界は大いなる他者である。
いろいろ考えなくてはいけないような気もするが、すでに深く思考する能力に欠けている。
老いた人の話では、感動する能力も衰えていくらしい。
だけど難しくなんか考える必要なんかないんだ。
何を思うか?
何を感じるのか?
まずはベランダに、庭に、道端に、そして公園に咲いた花を見よ。
種がこぼれて、勝手に咲いてくれた花たち。