花のように生きるなどと言うと、何とはなしに儚げなような気もしますが、私のベランダの花たちを見ていると決してそうは思えないのです。
トップの花は、カランコエ・・・なんかちょっと違うような気もするのですが、たぶんあっていると思います。(アップした後に見たら、画像が綺麗じゃなかったので、小さく載せました。そのうち差し替えると思います。)
先日からこの花の盛りの時の画像を時々探しているのですが、なかなか見つかりません。
この花は一番盛りの時には凄く綺麗で、ベランダを華やかにしてくれました。私はそれを当たり前の風景のように感じていたのです。
あまりにも大きくなって伸び、伸びた先が花の重みでポキリと折れました。それを私が拾って無造作に他の大きなプランタの脇にただ指しておいたのです。
二年目の春、この花はまたもいっぱい花芽を付けていました。
同じ風景が同じように見られるのだと、私は信じて疑っていませんでした。
ところがその年、春の大雪が降りました。
ベランダにも雪は降り積もり花たちの上にも雪は覆ってしまいました。
この花は多肉種で、あまり水をやり過ぎると枯れるのです。せっかく多くの花芽を付けていたのに、私の気の利かなさで、花は茶色に変色し咲かないまま枯れてしまいました。そして大株になっていたその花自体も・・・・。
降る雪にはしゃいで、花の事を想う事もなかった自分に落ち込みました。
ベランダに咲く花たちは、野に咲く花たちや庭に咲く花とは違う弱さがあるのですが、どうも私はそれに鈍感すぎるのです。
だけど無造作にさしておいた枝から、今年も花が咲きました。
確かにこの花は指すのが簡単で増やせるらしいのですが、折れた枝をその辺のプランタに差し込んだだけの枝だったのに、頑張って生き延びたのでした。
もちろん根が定着したと思った頃に植え替えたわけですが、それでもやっぱり私はこの花に「ありがとう」と言う気持ちになってしまうのです。
花が頑張っている姿に励まされるのです。
確かに私がちゃんとしたアマチュアガーデナーだったら、こんな問題は起きないわけで、視点を変えれば自分勝手なささやかな感動とも言えるかもしれません。
でももっとちゃんとすれば良かった、もっと器用に生きられたら良かった、もっとよく考えて決めたら良かったんだと、生きていく道はそんな事の繰り返しではありませんか。
花を咲かせる前に枯れる、そんなことだってあるでしょう。
大切な事は、シブトク生きる。
生きて、小さくても季節が来たら花を咲かせるんだと言う、そんな気持ちなんだと思うのです。
頑張れ、私。
負けるな、私。
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