横浜のプチ観光の後、3人で実家に向かいました。
実家に行くと、ナボナと言うお菓子が出てきました。箱に入っていたので、どこからか頂いたものかと思ったら、母が午前中にわざわざ買いに行ってくれていたのです。
ふんわりとしたカステラの美味しさで、かなり有名なお菓子だと思います。
ふんふんふん ♪
と思いながら、久しぶりだなと思いながらパクついていましたら、母が嘆きながら
「私ではなく、店員さんが間違えたのよね。」と言いました。
我が家はありあけのハーバーと言うお菓子のファンなのです。
ありあけ横濱ハーバー ダブルマロン 8個入(マロンケーキ) | |
株式会社ありあけ | |
株式会社ありあけ |
母はそれを買いに行ったのです。
「ハーバーをくださいと言ったのに、ナボナをよこしたのよ。家に帰るまで気が付かないで・・・・。」
すると姉が、
「良いじゃないの。ナボナだって有名なお菓子なのよ。王選手だってCMをやっていたじゃない。」
私は
「いや、これはこれで前から好きだったから。」と言いながら、
「だけど、お姉ちゃん、それ古すぎて、かえって子供たちには分からないよ~。」と笑ってしまいました。
特にラッタさんもルート君も野球にほとんど興味がないし、興味があっても
「ナボナはお菓子のホームラン王だ。」なんてCMを知っているわけはないじゃん。^^
更に私は容赦なく
「それに店員さんは間違えてないと思うな。お母さんが初めてのお使いのように『ハーバー・ハーバー・ハーバー』と思いながらお店に行って、パッと『ナボナ』と言うお菓子の文字が目に入って、口から出た言葉が『ナボナ、くださーい。』だったのではないかしら。」
と推理した事を言いました。
だってそう言う事ってあるじゃないですか。
何かをふと見てしまったりすると、まったく違う事を口に出してしまうとか。
だけど母の言う通り、「ハーバー下さい。」と聞いて、はいはい、これねとナボナを渡すことだってないとは言えないのですよね。なんたって、働く側も皆若い人ばかりではないからですよ。
チョピッと悲しいのは、それにすぐに気が付くことが出来なかった事なのですよね。
と言うわけで、我が家はナボナひとつでかなりの盛り上がったのでした。
※ ※ ※
これっていつも言っている事だけれど、脳は肉体の一部で、決して「気持ち」と言う分類の中には入ってくれていないのですよね。
気持ちはいつまでも若くいられるけれど、肉体だけは老いていくでしょ。その中に脳も含まれてしまっているものだから、年を重ねると言うのは、経験を積むと言う点では多大な良い点もあるのだけれど、人間関係的にはカオスの中に落ちて行くようなものですよ。
言葉が出ない(特に名前)なんていうのは序の口で、勘違い、思い込み、更に記憶の上書き。
単語の出ない会話って「あれよアレ。」とか「え~と、あの人…」「あっ、なんとなくわかる、あの人よね。」って、もう漫才みたいなんだけれど、気心が知れた人だと、それはそれで楽しいじゃないですか。
だけど最近、昔話などに花が咲いた時の都合のいい記憶すり替えや、または意外と近い過去の発言の内容が全く違うものになっていたり(意見を変えたわけではなくて、前の発言がなかったことになっている)と言う場面に遭遇することが多々あって、戸惑います。
きっとこの年代にはこの年代の上手い付き合い方と言うものがあるのでしょう。
だけど自分の中の大事な想い出などは汚して欲しくないものがあるなと思っています。また事件なども同じです。どこかでちゃんと語っておかなければ、いけない事もあると、最近の私は思っているのです。
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