この10月の母と姉妹、そしてその子供たちとの11名の山梨旅行は、ある意味、母の終活の一つだったと思います。
その終活と言うのは、確かに「こんなに大勢で行くのは、これで最後だと思う。」と母も言っていましたが、みんなを誘って最後に旅行に行くと言うものではなく、父の名前で来続けていたあるホテルからのダイレクトメールを止めてもらう事にあったのです。
「?」と、思われた方も多いと思います。
電話で良いじゃん。
別に放っておけばいいじゃん。
そう思うでしょう。
確かにまったくその通りなのです。
だけど母は、自分の口から、もう夫は亡くなっていないので、そのお手紙は止めてくださいと言いたかったのだと思いました。
老いた人の拘りは、経験のない人には良く分からないものがあるのではないでしょうか。
昨年、私たちはやはり母と姉妹たちで四万温泉に行きました。
その時、母が私にその事を言ったのです。
その時私は、上に書いたような事を言いました。
「そんなの放っておいても良いし、気になるのなら、私、電話してあげようか ? 」
「ううん。お母さん、自分の口から断りたいの。」
「じゃあ、来年は下部に行こうか、またみんなで。(シメシメ♪)」と言う流れになったのです。
そしてその行く日がたまたま、日曜日と翌日の祭日になったものですから、孫まで参加の大人数になってしまったのでした。
その話を聞いた時、私には母の気持ちが凄く理解できました。
父と何回も訪れた下部温泉は母にとって父との楽しい想い出の場所でした。父の名前で来るダイレクトメールを、今度は母ひとりで行って断って来る。つまり、一つの思い出の場所に区切りをつけたかったのだと思いました。
ちょっとだけ、そこにささやかなドラマがあるじゃない、と私は思いました。
だけど私、ちょっとホテルの素敵なエピソードのテレビドラマを見過ぎ。
それはあまり現実的なプランではなかったのです。
私自身、この下部温泉には楽しい想い出があるのです。ずっと昔に姉が病気になってしまった時に、その快気祝いに父と母が招待してくれました。私にとっても、初めて子供たちを置いての1泊旅行で、帰ってきた時に、夫殿が「もう子供たちに留守番させて一人で出かけるのも大丈夫だね。」と言ってくれた旅行だったのです。
私は、その時のホテルに行くのだと思い込んでいました。いや、私のみでなく姉妹全員が。
ー ああ、あの静かで親切なホテルなら、そう言う会話も成り立つな。
と思っていたのですが・・・・・・。
予約してあったホテルに行ってみて、私は吃驚しました。思っていた所と違っていたからです。
姉妹たちも皆、「?」「?」「?」となっていました。
だけど母が思っていたホテルはそこだったので、もう深く考えない事にしました。そして私が強引に言ったいい加減な説が皆の気持ちを落ち着かせるために採用になったみたいです。
つまり
ー もっと立地の良い所に新館を立てて移転したのよ(きっと)
でも家に帰ってから、「そんなわけないよなぁ」と思って、ゆっくり調べましたら、やっぱり違っていました。
だからこのホテルは、みんなの思い出のホテルだったのではなくて、本当に父と母との思い出のホテルだったのです。
それはともかく、思っていたより大きなこのホテルだとフロントに言うしかないし、母のわけの分からないような事を聞いてもらうのは、ちょっとそのタイミングを計るのが難しいなと感じました。
私の当初の計画では、中居さんなどにあらかじめ頼んでおいて、母の話を聞いてもらい、
「分かりました。そのようにしておきます。」と言ってもらうと言うものだったのです。
だけど実は、電話予約の時、その事を打診してみたのです。最初の電話で、もうこの話を若い人にするのは諦めました。理解できないのです、と言うか、何を言っているのかさっぱり分からないみたいです。で、私は思ったわけですよ。私がテレビドラマの「お客様のために」的なホテルドラマを見過ぎていたのだと。
(しかし若者よ、もっと本を読みたまえ、映画を見るのだ。算数よりも数学的発想で物事を考えたまえ。凡ミスはするな。君は私に金額も一人1000円以上高く知らせていたぞ。)
それに妹が、それはもうここには来ないよと言っているみたいで感じが悪いと言った事も、確かな事だと気になっていたのです。いえ、本当はダイレクトメールは要らないと言う事は、そんなに嫌な感じにはならないはずです。言い方さえ間違えなければ。
ー なーんか、お母さん、頓珍漢な事を言いそうだなあ・・・・・。
必要以上に謝ったりとかしそうだし・・・。自分の心情を事細かく語りそうだし・・・・。
もし話す人があの電話の若者に当たってしまったら・・・・。
母は顔だけ見てると、皴もなくて70代半ばにも見えなくもないのです。だけど歩き方とか耳も遠いので話す内容も・・・・、もうこの一年の変貌が悲しすぎます。
それで私、母に言ったのです。
「私からちゃんと言うから、それで良いかな。」って。
「それでお願い。」と言うので、これに関しては何のドラマもなく終了しました。
普通に会計の時に、あて名が故人宛になっているので、止めて欲しいと言ったのです。だけどその時、ふと見えない未来の事をチラリと思い、今度は私自身が会員になりダイレクトメールは、私が受け取ることにしました。にこやかな普通の事務手続きです。
母は私が何を話しているか分からなかったと思うのですが、その話している様子を後ろから見ていてホッとしたようです。
だけど本当は、私、母に
「毎年送っていただいて、申し訳ないのですが、夫は既に亡くなっていないので、もうお手紙は要りません・」みたいなことを言わせてあげたかったのです。きっと母は話だしたら止まらずに「ここには夫ともう何回も来たんですよ。」とか「受け取る人はとっくにもう居ないから」とか「本当に悪いねっ」とか・・・・・
思いつくことが、あまり突飛な事が思い浮かばないのだけれども、なんだか何を言い出すのかという危うさを母は感じさせるものがって、でもそれさえも含めてみーんな語らせてあげたかったのです。
だってそれが、この楽しかった旅行の一番の目的だったのですから。
でも姉が言いました。
「最初の目的はそうでも、後から最後にみんなで旅行に来たと言う目的に代わっていたと思うよ。」と。
確かにそうだなと思いました。一応区切りもついたわけですし、良かったのかも知れません。
だけど私、夕食時の乾杯の時に言いました。
「これで最後とかお母さんは思っているようだけれど、今日みんな楽しい一日を過ごして味を占めて、だからまたみんなで行きたいと思ってしまったのですよ。だから最後なんて言わないで、まだまだ元気でいて欲しいし、そしてみんなに脛を齧らせてくださいね。よろしくお願いしまーす。」ってね。
長くなってしまったので、お食事の画像だけ入れておきます。
次回はこの旅行記のラスト。写真日記です。