岡江久美子さんは、元気印のような明るい人でしたね。とてもこのような厄災で死を迎えるなど想像が出来ないような方でした。それゆえ、スマホを開けた時に、そこに反映されていたニュースで彼女の訃報を知った時は、本当にショックでした。
「私の人生これからよ。」と言っていた人のこれからを奪ったコロナは、本当に恐ろしいと思いました。志村けんさんだって、これから映画の主演を務め、それから来週からの朝ドラ「エール」にも出ていらして、初老と言えども、まだまだ「これから」だったと思うのです。
確かに無念。
だけど今まで歩いてきた道で、彼らが残したものは多くの人の心の中にあると思います。
記憶の中に一輪の花のように刻まれたそれを大切にしたいと思うのです。
「天まで上がれ」と言う昼ドラで、13人もの子供のお母さんを演じた岡江さん。
子育て真っ最中の頃、このドラマは私たちの仲間うちでも人気がありました。でも私たちがじっと見ていたのは、そのストーリーにではなく、その食卓と家事のやり方、そしてお母さんの身なりだったのではないかと思います。だから物語は、せいぜい長女の結婚話くらいしか覚えていないのです。
ドラマでありながら、大家族の食卓には何が並んでいるのだろうかとか、子供たちが手伝ってくれるからと言っても洗濯機は何回回して何時くらいに終わるのだろうかとか。後は家計はどうなっているのだとか。そして私と友だちで一番話題になったのは、この大家族のお母さんが、いつだって身綺麗にしているということだったのです。
その時だって「ドラマだよ !!」と突っ込んではいましたよ。それでもどんなに家事や育児に追われていても、化粧するくらいの余裕を持とうと、このドラマには励まされていたような気がします。
この視点、岡江さんは知っていたかしら・・・・・・・。
そして彼女のお仕事の代表的な物と言ったら、やはり17年も続いた「はなまるマーケット」だったと思います。ここ数日始まった時と終わりの時の映像が、何回もテレビで流されましたね。でも私が思い出すのは、ちょっと違った場面です。
いつも自分の近況を言うコーナーがちょっとだけあったと思います。
その時岡江さんが
「昨日思い立って気になっていた映画を見に行ったんです。」
そしてちょっとだけ映画の内容に触れたかもしれません。
「これ、後からジワジワ来て、その後帰りに買い物して帰ったのだけれど、そのお買い物の時にもウルウルときちゃったんですよね。あっ、今思い出しても涙がでそう。」
もちろん言葉は正確ではありません。
ただその映画は、私もちょっと気になっていた映画でした。それを聞いて、行きたいなと言う想いが強まったのでしたが、なかなか行けず、結局はレンタルビデオで借りて観たのです。
その映画のタイトルが「ライフ・イズ・ビューティフル」。
この映画の初めの方で、あまりにも思っていたものと違う展開だったので、ちょっと驚きました。要するに日本人と外人さんとのユーモアの許容範囲が違うのではないかと、その違いによるものなのかと思います。なんで今、そこまでこの映画の事を書かなくてもと思うと思います。でもこの記事で、ふとこの映画を初めて見てみようと思われる方もいらっしゃるかと思うので、ちょっとだけ予防線を張りました。
驚かされるのは最初だけです。その後の展開には、印象深いシーンも多く、本当に心に残る名作だと思います。
下の方にネタバレを含むあらすじを貼っておきます。
私は今でも、この映画のあるシーンを思い出し、そのたびに涙がこぼれるのです。
「あっ、今思い出しても、ちょっとまずいかも。」と言って目頭に手を当てた彼女の脳裏には、
私が想うシーンと同じところが浮かんでいたかも知れません・・・・・。
そしてまた、この映画のタイトル「ライフ・イズ・ビューティフル」は、まさに彼女に相応しいものだったかもしれませんね。
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《あらすじ》ネタバレしています。「映画.COM」さんより
1937年、イタリアはトスカーナ地方の小さな町アレッツォ。本屋を開く志を抱いてやってきたユダヤ系イタリア人のグイド(ロベルト・ベニーニ)は美しい小学校教師ドーラ(ニコレッタ・ブラスキ)と運命的な出会いをする。当座の生活のため叔父ジオ(ジュスティーノ・ドゥラーノ)の紹介でホテルのボーイになり、なぞなぞに取り憑かれたドイツ人医師レッシング(ホルスト・ブッフホルツ)らと交流したりしながら、ドーラの前に常に何度も思いもかけないやり方で登場。ドーラは町の役人と婚約していたが、抜群の機転とおかしさ一杯のグイドにたちまち心を奪われてしまった。ホテルで行われた婚約パーティで、グイドはドーラを大胆にも連れ去り、ふたりは晴れて結ばれた。息子ジョズエ(ジョルジオ・カンタリーニ)にも恵まれ、幸せな日々だったが、時はムッソリーニによるファシズム政権下。ユダヤ人迫害の嵐は小さなこの町にも吹き荒れ、ある日、ドーラが自分の母親(マリザ・パレデス)を食事に呼ぶため外に出たすきに、グイドとジョズエは叔父ジオと共に強制収容所に連行された。ドーラも迷わず後を追い、自分から収容所行きの列車に乗り込んだ。さて、絶望と死の恐怖たちこめる収容所で、グイドは幼いジョズエをおびえさせまいと必死の嘘をつく。収容所生活はジョズエがお気に入りの戦車を得るためまでのゲームなのだと。とにかく生き抜いて“得点”を稼げば、戦車がもらえるのだとグイドはことあるごとに吹き込み続けた。強制労働の合間を縫って、女性の収容所に押し込められたドーラを励まそうと、放送室にしのびこんで妻に呼びかけたりと、グイドの涙ぐましい努力は続く。そんなある日、グイドは軍医として収容所にやってきたあのなぞなぞ好きの医師レッシングと偶然再会。レッシングから「重要な話がある」と耳打ちされたグイド。ドイツ軍の士官たちのパーティの給仕を命じられた彼は、監視の目を盗んでレッシングに話しかけるが、なんとレッシングは新たななぞなぞの答えをグイドに聞いただけだった。戦況は進み、収容所は撤退準備をはじめる。この機を逃さじとグイドはジョズエをひそかに隠して、ドーラを捜すうちに兵士につかまった。グイドはジョズエの隠れ場所を通るとき、おどけて行進ポーズをとる。それが彼の最後の姿だった。ドイツ兵が去った後、外へ出たジョズエは進駐してきたアメリカ軍の戦車を見て歓声をあげる。戦車に乗せられたジョズエは生きていたドーラを見つけ、母子は抱き合った。これが幼い息子を生きながらえさせようとした父親の命がけの嘘がもたらした奇跡の物語だ。