聖徳寺にての会見は、面白かったですね。
当たり前のように見ていましたが、ふとさりげないこの場面の説得力にすこぶる感心したのです。何に感心したのかと言いますと、光秀がこの場に居て、歴史の目撃者に当たり前のようになっていた事にです。
大河ドラマは、そこにいもしない主人公を歴史の重要な場面に如何に絡ましていく事が出来るかは、重要な課題ですよね。
私は関係のない人はナレーションで終わらせるか、主人公には伝聞と言う形のみを取って、そしてその場面は別に丁寧に見せてくれると言うのが一番説得力があって好きです。
信長が本能寺でまさに落ちようとしている時に、襖を開けたらそこに江の幻がいる・・・・・・・なんて言うのは恐ろしいトラウマです。
ところがこのドラマの中の光秀は、あの場所のあそこに座っていて当然であると言う説得力があるのです。
史実の中の青年期の光秀は、道三には仕えていたらしくも不明な点の多い人なので、どのくらいの重用されていたかも分からない事だと思います。フィクションでありながら、現実であったかのようにさえ感じさせるこのシナリオは、本当にうまいなと感心せざるを得ません。
二人の息子の対比も見事でしたね。
織田信秀の息子の信長は
「我が父は、織田は大した出ではない。元は何処どの神主で成り上がりものであると、常々申しておりました。」と、むしろそれを誇らしげに言い、「ゆえに」とこうで有らねばならないと言う未来の展望を語ります。
300の寄せ集めの鉄砲隊、舅好みの着物は皆、帰蝶の作戦だとバラシ、なにげに夫婦間は良好であると仄めかす信長。
この対面は生きるか死ぬかと言う、恐ろしい一騎打ちであったことを信長も帰蝶も承知でやって来ていて、それゆえの策がことごとく生きていましたね。次男・三男の失うもののない男たちを重用し、それを護衛に伴うと言うアイデアも素晴らしく、道三は信長に自分の若い時を重ね、信長が帰る時には、門まで見送ったと光秀が語っていましたが、そこまでのお気に入りになったのです。
「帰って帰蝶に伝えよ。」のようなセリフがあったと思いますが、(ことごとくセリフは不正確です。)このまま無事に帰すと別の言葉で道三が言ったわけで、この時代はボーっと人の話を聞いていてはダメなんだなとレベルの低い事を思ってしまったのですが、良いセリフだなと思いました。(の、割には不正確にしか書けないってどういうわけ(^_^;)
この新しく息子になった信長との会見は上手くいっても、もうひとりの道三の息子の高政はー。
以前の感想にも書いたことですが、彼は父が成り上がりである事を受け入られない男だったのだと思います。
彼は凡庸な男。会った事もない信長の事を噂のみでウツケと断言します。そして自分の考えに囚われて「こうであらねばならない。」を曲げる事も出来ず、豪快な父に着いて行く事が出来ないと言う事実には気が付かず、相手ばかりを責めるのです。
そこだけ見ちゃうと、やっぱり彼は道三の息子じゃないんじゃないのとか思ってしまったり・・・・・。
だけど道三は、分かりやすく高政を良い子良い子と可愛がることはなかったかもしれませんが、側室の子でありながら長子である高政に家督を譲ると深芳野に伝えていたのです。
なぜ深芳野は死んだのでしょう。
高政の父に逆らう行動に、まだ家督は譲れないなどと不安になるような発言を道三がしたからでしょうか。
それとも高政が言ったように、タダ何もせず飲んだくれて道三を待つだけの生活に耐えられなくなったからでしょうか。
(もしそうであっても、あまり同情できないなぁ。なんだかやっぱりみな人のせいってな感じ。ヤなやつだ。)
しかし深芳野が自分の死と引き換えに勝ち取ったものがありましたね。
それは次回と言うところ。
ええと、後は・・・・。
駒と藤吉郎との関わり。それから菊丸はあそこで何を・・・(まあ、分かってますが。)
しかし東庵と言う人は、あちらこちらの重要人物に医師として会える人で、狂言回しとして便利な人なんだなと感じました。
雪斎は後二年生かして欲しいと言いました。
フムフム。
何かがだんだんと近づいてくるような気がしましたね。
と言うわけで、また来週~☆