「大海の 磯もとどろに よする浪 われて砕けて 裂けて散るかも」
この歌が最初の方に画面に出た時、なんとなく実朝の和歌の紹介なのかと思っていました。
だけど素敵な歌だなと思ったのです。
このドラマを見るまでは、彼の歌に興味を持つこともまったくなかった私です。なぜなら、彼の歌は、「古今和歌集」や「新古今和歌集」の模倣の枠を出ていなくて、また技巧的な作品が多いとかなんとか、ガッコウの先生が言っていたからだと思います。でもこれは古文の先生が言った記憶もなく、たぶん日本史の先生、もしくは中学のやはり社会の先生のいずれかが言っていたと思います。
彼は飾りの将軍でやる事もなく、それで趣味に走ったちょっと情けない人・・・のようなイメージを、たぶん私は持っていたのだと思うのです。
でもこのドラマを見るようになって、少々興味が出てくると、芭蕉さんが、弟子から「中頃の歌人は誰なるや」と問われると西行の名と共に彼の名前をあげていたり、正岡子規や斉藤茂吉に絶賛されている事が分かって来て、見る目が変わって来ていたのです。
だから・・・ああ、ここで彼の歌の紹介が入るんだな・・・なんて、単純に思ったりしたと言うわけです。
波がバーンと来て、まるで北斎の絵のように水しぶきが見えるような歌ではありませんか。
こんな和歌をダイナミックに詠う人だったのね。
と思いつつ、物語が始まったのでしたが・・・・・・
この回の物語の終わりに・・・・
「うううっ(/_;)、誰も死なないのに、なんか泣ける~」と本当に涙ハラハラの私。
本当に迂闊な事ですが、いや、別にまったく迂闊でもぜんぜん問題も無い事ですが、それでもなんにも気がついていなかった自分にあきれました。
あの弓矢の大会(?)で、勝利を祝い合って泰時と鶴丸が抱き合って喜ぶ姿に、実朝の顔がこわばります。
「あっ、そうだったのか !?」と思わず頷いてしまいました!
この後、語気を強めて、思わず義時の鶴丸の御家人相応の案を退けたのも、感情的に分かるような気がしました。
ウキィペデアから引用させていただくと
《「然る如きの輩、子孫の時に及び定めて以往の由緒を忘れ、誤って幕府に参昇を企てんか。後難を招くべきの因縁なり。永く御免有るべからざる」と述べる》
だけどドラマの中では、義時の「じゃあ、俺、要らないみたいだから、伊豆に帰るわぁ」みたいな脅しにあい、認めざるを得なくなってたわけですが。
でも、それよりも私、過去の諸々のシーンが、頭の中でぐるぐるとしてしまいました。
畠山の乱の前、泰時が父親(義時)の傍に行ってしまったと知った時の、実朝の「そうなのか~」みたいながっかりした顔。泰時は頼家にも信頼されていたし、実朝とも相性がいいんだなと、単純に私は思っていたのです。
占いオババの所に行った時に
「お前の悩みは、過去にも未来にもあって、ひとりだけのものじゃない。」みたいな事を言われていたじゃないですか。あの時だって、まだ結婚なんかしたくないのに、しなくてはならない悩みなのかと、これまた単純に思っていたのです。
時政の所から解放されて、戻ってきた時に可愛らしく千世がやって来てハグするじゃないですか。だけど実朝はそのハグを返せず、手が宙に浮いていました。あれも単純にウブだからだと思っていました。
アーア、まったく分からなかった!!
だって、これにBL、ぶち込んでくると思わないものね~ !!!
時房に心を割って話せる相手がいるかと実朝は言われていました。
そのシーンで、その相手に千世が成ればいいのだと思いました。
だからあの二人のシーンは本当に良かったですよね。ここでも私はウルっとしちゃいましたよ。誰にも言えなかった事を実朝は千世に打ち明けます。
それを受け止める千世。
ふたりは子を成す事はないかも知れませんが、ここから良いパートナーになっていくことが出来るのではないかしら。
ちょっとシーンを前に戻して、歌を泰時に渡し、返歌を楽しみにしてると嬉しそうに言った実朝はどんな気持ちだったのかしら。
返歌に悩み、その和歌を源仲章に恋の歌ですと指摘されると、「間違えてお渡しになったのでは。」返しに行く泰時。
これが泰時の返歌ですよね。
気付かなかった振り・・・と言うやつですよね。
それに対して、実朝も
「そうだ、間違えて渡してしまった。」と言い、あの冒頭の歌を渡すのでした。
「失恋の歌だ。」と夫殿が呟きました。
「うん。」と私は言い、「なんか、泣ける~」と泣いていました。
夫殿に「アホか。」って言われなくて良かったです(^_^;)
※ ※ ※
恋の想いに胸が裂けそうになっていた日々なんて、後から考えてみれば穏やかな日々なのかも知れませんよね。
「死ぬこと以外かすり傷」って言葉があるじゃないですか。
そしてまた、
「ああ、もう今日でこの命は終わりだな。」と言う日以外は、みな穏やかな日と言ってもいいのかも知れませんね。
※ ※ ※
ダーク義時の強引なやり方に、御家人たちは微妙に不満を抱くようになり、和田殿は和田殿で実朝と仲良しな事を良い事に、上総の国司などをお願いして、結果的に拒否されて禍根を残し、公暁は京に旅立って行きました。彼が鎌倉に戻ってきた時には・・・・。
それでも今は何にもない嵐の前の穏やかな日と言ってもいいのかも知れませんね。
で、これからは長澤まさみさんは「こんばんは、家康です。」のように毎回出てくるのでしょうか。次回も気になりますね^^