「鎌倉殿の13人」には、本当に感謝しています。
私は横浜生まれの横浜育ちだったと言うのに、今まで畠山重忠の存在を知らず、彼の事を知ったのは、このドラマのお蔭に他なりません。しかもゆかりの地がこんなに近くにあった事も、先月、実家に帰った時に姉に聞くまで知らなかったのでした。
その時、帰りがてらそのゆかりの地を歩いてみたいと思ったものの、時折降る大雨に負けて諦めたのでした。それでタイミング良く、大雨、小雨、止むの繰り返しの中、まったく雨にも濡れず傘もささずに帰る事が出来たのでしたが、未練が残りました。
だいたい、その帰った日の夜に見た「鎌倉殿の13人」は、その畠山氏の最後が描かれたもので、「神回」と呼んでも差し支えなかったと思いますし、そして紀行も、天気が良ければ私が行こうと思っていた所が多く紹介されていたわけで、なんとなく未練倍増!
というわけで、今月の月一実家帰りの時、ようやく帰りがてらの23日「ゆかりの地散歩」を実行してまいりました。
横浜市旭区も彼のキャンペーンなどをして行たみたいなのですが、気も早く9月いっぱいだったみたいです。年内やれよ~って思いませんか ?
お蔭で(怒)またも余分に歩いてしまいましたが、実は普通の人には(どこでも真っすぐに行ける人)には、「畠山重忠公碑」は鶴ヶ峰駅北口から真っすぐに歩いて15分も掛からないと思います。
この「碑」がある場所は狭いのですが、その両側に行くと、トップの画像も含めて、このような風景が広がっているのです。
ここは合戦の地ですから、古のその昔、家々など無くドラマにあったような、ただの広っぱだったのだと思います。
きっと重忠公も、キラキラした帷子川の川面を見た事でしょう。
その「重忠公碑」の所に、「さかさ矢竹」がありました。
ちょっと胸がジーンとなるエピソードですよね。
だけど一度はすべて消滅してしまったさかさ矢竹。
それでも人々は、忘れても思い出し、思いを込めて植え直したのですね。
(しかし、だったらもう少しお手入れを・・・・(^_^;)いや、竹だけじゃなくてね。)
だけど季節外れの紫陽花の色が綺麗だなと思いました。
「じゃあ、次に行ってみよう。」と思いました。
ところが方向を示す矢印のような(道標)などが無いために、かなり遠く感じました。
でも当たり前ですよね。
馬で走ってまたは走って、弓を射たり剣で戦ったりするのですから、距離は近いと言っても、私のヨロヨロする足では、簡単にはつかないのでした。だいたい、山道のようにすれ違う人が居たら、どちらかが待たなくてはならない細い歩道を歩いていくのも、ある種の驚きがあり、そして疲れました。
「もういいや。どうせ単なる跡地。どうせ単なる伝説よ !! あそこまで行ったら、もう引き返す。」と思った「あそこまで」の「あそこ」にありました。
いくら私でも、ちょっとだけ思ってしまいました。
これを見る必要があったのかと・・・・(笑)
だからしばし目を瞑って、その壮絶な戦いの様を想像してみた・・・・・・なんちゃって。
そんな事まではしませんでしたが、戦場の広さと言うのは、ちょっとだけ感じる事は出来たような気がしたのです。
戻って、「重忠公碑」の斜め前にこれがありました。
今は面影のない賑やかな厚木街道ですが、なんかちょっとしみじみとしました。
この奥に静かな公園があったので、少し座って地図をじっと眺め、それから首塚を目指して歩きました。
首塚は、本当に住宅の真ん中にあると言う感じでした。
ここではしっかりと手を合わせてきました。
そこからすぐ近くに、首洗い井戸、鎧渡しの跡地がありました。
区役所の敷地内に・・・。
「帷子川親水緑道公園」の中に、このような看板がありました。
私ちょっと思ったな。
なんでこれを通りの方に設置できなかったのかって。
確かにこれはありました。でもなんか分かり辛い。
それで、私が思ったルート。
鶴ヶ峰駅→帷子川親水緑道(左側を降りていく)→この案内図→首洗いの井戸跡地→首塚→「畠山重忠公碑」→「矢畑の碑」(行くなら)→駅に向かう道で行ったら、また左側のひっそりとした公園の下の道→(たぶん)緑道の反対側に出てくる
↓ ここに。
何となく「へぇ」と思うポイントがいっぱいの街でした。
でも駅は、こんな感じ。
そして真っすぐには「辿り着けない女」である私が、余分に見た風景。
色付き始めた街。
待ってれば東海道線の列車が来るのですが、そんな事言ってる場合じゃないなと思って振り向いて歩きだしたら、背後に通り過ぎていく音が・・・
ほんのちょっと悔しかったけれど、気分的にはそれどころではなくて・・・。
確かに籠塚とか行かなかったし、二俣川駅近くの烈士たちの碑も行かなかったです。
それでも「行ったんだ!!」という自己満足という満足感で満たされつつ、私は夫殿にメールをしました。
「6時には間に合いそうもないので、『鎌倉殿の13人』、録画しておいてください。」でした。
余分に歩いた分、遅れました。(^_^;)