2月1日、また歳を一つ重ねました。
下の囲みは昨年の2月2日に投稿したものです。
昨年2023年の誕生日は病院で迎えました。
最悪だと思いましたが、いつも通り姉妹からのラインが来て友達からもラインが来て、私はそれなりに満足していました。
きっと退院したら、別の友達も誕生日ランチに誘ってくれると分かっていたし・・・。
下の囲みの記事には、その時、私は前の年2022年の誕生日が入院以外はみなその2023年の誕生日と同じだと言うのに、とっても寂しくて誕生日の事をブログに記事に出来なかったと書いてありました。
妹のスノウさんは、まだ生きていました。ただ彼女からのラインは来ません。もうゆっくりと意識は川を渡る準備をしていたのだと思います。認知症の母からもとうとう電話は来なくなってしまいました。ラインや電話での「おめでとう」がそんなにも私のとっては大事なものだったのかなどと、思ってもみなかった事だったのです。
だけど昨年は、姉が「今日は花ちゃんの誕生日だよ。」と言ったら「大変、電話しなくちゃ。」と母が言ったと姉が言いました。
「入院中だからこちらからは自由に電話できないのよ。」と説得されて諦めたのだそうです。
それを聞いて、私の心はポッと温かくなりました。
電話しようと思ってくれただけでも、私には嬉しかったのでした。
2月1日 誕生日の贈り物は「ああ、誕生日の日に病院で入院してるなんて。こんな誕生日、ある ?」と、なんとなく私は少々嘆きたい気分でいました。 そして私はまた、昨年の事を思い出すのです。......
2月1日、私の誕生日。
姉の蝶子さんと妹の名都さんから、朝一でおめでとうのラインが入りました。
午後、星子さんからやはりラインが入りました。
私は微笑みながらバスを待っていました。
映画を見に行こうと思っていたからでした。
「遅くなるから、帰りはお弁当を買ってくるわ。」と夫に言うと
「o.k」と軽い返事。
何も言わないけれど(いや、「おめでとう。」くらいは言いましたよ^^)、その日の私の行動の趣旨が分かっているのだと思いました。
母の認知症は、たぶん昨年よりも進んでしまっていると感じていました。
その時の会話は成り立っていても、5分経ったら忘れてしまいます。
それでも私は姉に頼みました。昨年と同じように「今日は花ちゃんの誕生日だよ。」と伝えてと。
もう出かけようと言う5分前、スマホが鳴りました。見ると母からでした。
出ても「もうお母さんは耳が聞こえないから、花ちゃんが何か言っても分からないのよ。だから『おめでとう』、それだけ言うね。『おめでとう~。』」と言って姉に代わってしまいました。聞こえるも何もありません。私は一声も発する事は出来ませんでしたから。
やはり母は、姉から私の誕生日のことを聞くと、電話すると言ってくれたそうです。
でもたぶん5分経ったら、電話したことも忘れてしまうのだと思います。
それでも私はとっても嬉しく思いました。
人はずっと遣ってきたことは忘れないんだなと思いました。
私も良いことをたくさん習慣化してやっていきたいものだなと思いました。
大事な人たちから「おめでとう」と言われ、自分の好きなことばかりやり、やりたくないことをやらなかった1日は幸せな時間でした。
そしてあんな滅茶苦茶な電話でも彼女の「おめでとう~。」はとっても嬉しかったのです。
お母さん、2月1日はあなたの2人目の子供の出産記念日なのですよ。
「おめでとう、お母さん。」
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