森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

信頼にこたえられる報道ツール、そしてリーダーであって欲しい。

2019-09-14 02:02:55 | 梢は歌う(日記)

朝のテレビの情報番組が、千葉の被災地に取材に行ったとかでチョロッと困っている人々のインタビューが流れました。

なんだかコミケに行って大汗を掻いている人に、インタビューしているのと変わらないような姿勢だなと感じました。これは個人の感想ですよ、もちろん。

インタビューを受けていた人が言いました。

「電気が来ないので、テレビが見られなくて何の情報も分からないので困っている。」と。

思わず私、テレビと会話をしてしまいました。

「いやいや、テレビなんか映っても何にも分かりませんから、あなた。」ってね。

 

それでも人々はね、テレビを信頼しているのですよ。

「テレビが映らないと困る。」って思っているのですよ。

見ていたって何にも分からない、いや、何にもとは言わないけれどね、知りたい事がさっぱり分からないテレビがパッとついたところで、もうその時は通電しているってっ事だから、その人たちは良いんでしょって事にでもと思っているのでしょうか。

でも知りたいのは、困っている人たちばかりではなくて、周りにいる人たちでもあるのですよね。

もしもわずかの間でも通電するのなら、点けるのはテレビじゃなくてネットが繋がるものなのですよね。

でも千葉の過疎っている地域の方々が、それに詳しいとは、私の乏しい想像力では思えないのですよね・・・・・。

 

まあ、とりあえず、被災中の千葉に友人知人、親戚などがいらっしゃる方々は、ネットなどで情報を拾っていると思います。

私も・・・。

 

今日、私も八街の友人にお水を送ったのですが、送る時に、その水が着いた時にはもう復旧していて笑い話になっちゃうかしらと、ちょっと思ってしまったのです。でもお水はいつでも飲める物なので「陣中見舞い」とでも思っていただければと送りました。だけどやっぱり、まだまだ必要みたいで、ちょっと笑い話にはならないみたいです。

こんな所も役に立ちますよね。→千葉県災害情報

 

たまたまなのか、今、私のツイッターでも何か有益な情報とか、あまり流れてこないのです。はっきり言ってごく稀にです。ただ、森田氏が、言葉の使い方を間違えて叩かれているのだけは分かりました。

言葉には、人に向かって言う言葉、自分が使うべき言葉があって、「不眠不休」は自分サイドが言う言葉なんですよね。もしくは誰かがその仕事ぶりを評価して、事実として表現する場合。

「誰々の不眠不休の頑張りによって助かりました。」のような。

それを、「不眠不休でやれ。」と言うのは、やはり間違えていると感じてしまうのです。

だけど、おっさんは、そのぐらいの言い間違いはするのですよ。ただ公人は、「ああ、おっさんはダメよね。」では許してもらえないのですよね。だからね、森田氏、それを逆手に取るのですよ。

もう、椅子を温めるな。

たった1週間で良いのだから、あっちに行きこっちに行き人々を天皇のように激励に回り、千葉のどこに不備があるのか、側近の若手の頭脳明晰な者に記録させ、とにかく水や冷たいものなどを持って動き回るのです。

元役者なんだから、車の中で爆睡していても、不眠不休の雰囲気を醸し出せばいいのですよ。

そうすると、テレビ局が追いかけるでしょ。

そしてまたそれが、細かくあそこはどうなったここはどうなのと、テレビを見ている私たちも、知りたい情報が分かるのではないかしら。

 

一石二鳥じゃんねぇ。

 

明日は朝からお仕事で、その後、家のご用を済ませたら実家に行く予定です。

また、こんな真夜中にブログを書いている場合ではなかったですね。

 

いつもなら残暑が厳しい9月の今頃、この二日ばかりエアコンなしで過ごせるのは、天が助けてくれているのだと、私は信じたいです。

 

と、いうわけで、おやすみなさい。

 

 

 

 

 


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