なんだか思わせぶりなタイトルですが、要するに、9月16,17日「月一実家帰り」の時のお昼ご飯、晩ごはん、やった事の記録です。
ちょうどお昼ぐらいの時間に関内駅に着き、星子さんのリクエストの喫茶店に着きました。
そこは横浜スタジアム前の「大学院」と言うお店でした。
ちょっと名前に吃驚しました。
名前だけだと、ちょっとお洒落と言う感じがしなかったからです。
だけど中はレトロな感じの落ち着いた、いい感じのお店でした。かなり有名なお店らしいのです。
ランチのエビフライも
珈琲も美味しかったです。ただここの珈琲はモカベースらしく、けっこう酸味が効いた味だったんです。実は私、珈琲は酸味より苦味の方が好きなので、ここの珈琲と相性抜群だったかと言うと、そうでもないと答えると思います(心の中で^^)
だけど星子さんは酸味派なので、かなり気に入ったようです。
だけどいいお店だったので(ランチが美味しかったので、他のメニューもチャレンジしたいかな。)、また来たいと思いました。
それにこのお店、奥の部屋に見どころポイントがあったようなのです。「特別室」と言うものが合って、凄くゴージャスみたいなんです。でもそこを見なくてもかなり満足したので、「いつかまた行く」の「いつか」はすぐじゃないいつかだと思います。
このお店を後にして、バスで「三渓園」に向かいました。
そして「三渓園」を後にして、今度もバスで横浜駅に戻ってきました。
夜は五番街をウロウロ。
夕食のお店を探しました。
横浜の夜は、ここはと思うお店は、たいがい予約なしでは入れない事が多いのです。
前にラッタ君と行ったお店・・・・・入れませんでした。
前にみんなで(姉妹とラッタ君とで)入れなかったお店、今回、入れました。
「俺のフレンチ」
前は立食フレンチだったと思いましたが、今はコロナ禍のせいなのか、ちゃんと椅子席になっていました。
音楽演奏もあって、かなりゴージャスな夕食になりました。
最後のチーズリゾットの写真を撮り忘れました。みんな二人でシェアしたのですが、それでもお腹がいっぱいになってしまいました。
最後のリゾットは要らなかったかも・・・。
モヒート1杯で顔が赤くなり、その後はウーロン茶。本当にお酒に弱くて悲しいです^^
9時半ぐらいに解散し、私は実家に帰ったわけですが、星子さんは家に帰ったわけで、凄いなぁと感心してしまいました。
10時くらいに家に(実家)帰り着いたら、全員寝てました。
いつもは起きて待っていてくれる姉の蝶子さんも、昼間足に打ったステロイドが全く効かずに、それもショックだったのか逆に体調が悪くなり、早々に寝てしまったのでした。
私も来るからと、痛みを軽減してルンルンで私を迎えてくれようとしたに違いありません。
起きていたら、一緒にアイスなんかを食べながらお喋りしようと、途中でシロクマを買っていったのですが、それを冷凍庫に放り込んで一人で寝る準備です。
だけどテレビ前に置いてあるリモコンは、そのテレビのリモコンではないし、エアコンはコンセントから入れなくてはならないし、それでもシャワーを浴びてのんびりしようと思ったところに、母が起きて来て
「いつ来たの ?なんでこんな遅くになったの ?」と聞くので
応えようと話し始めたら、
「なーんにも聞こえない。」と手を振って去って行く母。
あっ、補聴器外してるんだから聞こえないよね。と思いつつ、じゃ、聞くなよ~!!
って、思った私(^_^;)
16日と言う1日が、いろいろあって楽しくて寝付かれませんでした。
だけど・・・・。
姉妹(スノウさんと名都さん)とラッタさんの時、入れなかった『俺のフレンチ』。その時、5番街の外れに行き、イタリアンのお店の2階だかにみんなで入り、2階は私たちの貸し切り状態で、みんなではしゃいでいっぱい食べて飲んで楽しかったね。あれはラッタさんの誕生日祝いも兼ねていたような気がするの。
だけど翌年、ラッタさんと二人でそのお店に行ってみたら、もうそこはなかったんだよ。
あの時に入れなかったお店に、今日、行ったよ・・・・。
なんだか私は、ちょっとだけセンチメンタルな気分になって、いつものように深夜族、やっていました。
家事をするのも大変な状態になっていた蝶子さん。
私にも何もしなくていいよと言ったけれど、それじゃ来た甲斐がないなと、予定通り段ボールに入っている写真の整理をし始めました。
お昼は、
食べたかったので、嬉しい~。
夜はラッタさんの街で、一緒に夕食を。
最初からカシスウーロンです。
ウーロン茶って、本当に酔いを抑えてると思われるので、凄いなって思います。
ふたりでシェア。3つも食べてしまってから写真を撮る私。この後にちょっとだけ追加しました。
そしていつも通り、最後に珈琲タイムを持ってから帰りました。
またも家に帰っても、静まり返った家。
私はまたやる事をやって、写真の整理の続きをひとりでしました。
そのために来ているからね。
でも大量にあり過ぎて、取っておく写真と捨てる写真に振り分けて終わり。それでもビニールのゴミ袋1杯のゴミを出し、段ボール二箱分は片付けました。どうもあと10箱分ぐらいあるらしい・・・・
父はまったく少しは処分してから死のうなんて、露ほども思ってなかったなと思います。
私には私たちみたいな娘もいないので、今からボチボチやらなくちゃなって、本当に思います。
またも深夜の3時に就寝。
翌朝は豪雨。
だけどスキマを狙ってびゅっと帰りました。
なんだか上手くいって、タイミングよく傘もささずに帰れたのですが、電車に乗っている間に激しい雨になり、またバスに乗っている間に振っていた雨が、降りる頃に止み、家に着いたらまた土砂降りと言う、稀なる運の良さでした。
横浜の実家で出前館に頼んで届けてもらったガストのお食事。
昔はそのようなお天気だと、お店はガラガラだったと思います。ところが今は、頼んだお店から直接、「混んでいるので少々遅れます。」と電話が入るほどです。天気が悪いほど、忙しくなるのかも知れません。時代は変わったのですね。
雨の中配達してくれた人に、
「こんな雨の中、本当にありがとうございます。」と言うと、その若い人はにっこりと笑い頭を下げました。
楽しい3日間でした。