やっぱり、この50番目に読まれた記事と言うのは、見えない誰かからの私へのメッセージのような気がしてしまいます。
いったい何の言葉の繋がりでいらしてくださったと言うのでしょうか。この記事をお読みくださってありがとうございます。
※ ※ ※
3月22日に読まれた、このブログの50番目の記事は、2008年9月20日に書いた
でした。
私、たぶんこの夢の中に出てきた青年に、ほんのちょっぴり恋心を抱いていたのだと思います。
だけどその青年は、本当は自分自身でもあったと思うのです。
夢と言うものは不思議です。
自分の経験をもとに自分が作り上げた世界で、私は私が作り上げた人たちと旅をするー。
結局はたった一人だけの世界。
つまりそれは一番の自分と向き合っている世界と言えるでしょう。
迷路のような人生を行き当たりばったりで過ごすしかない毎日で、夢はその生きるヒントや行き詰った先の出口を教えてくれるものなのかも知れません。
昨日、さりげなく地域のあるボランティアに誘われました。
「お手伝いには行くけれど、正式にはちょっとね。だってそれも引き受けたら、あの人はボランティアばかりやっている変な人とか思われてしまいそうだから。」と即答でノーと言う私。
いくつかボランティアを引き受けたら、そればっかりやっている変な人って思われると言うのも変な話ですが、あながち間違っているとは言えないと思います。
「変な人」と言われなくても「好きなのね。」と言われておしまいです。
アレですよアレ。
『たたかう君を戦わないやつらが笑う』ってやつ。
ノーと言ったそれは、やっぱり引き受けないと思いますが、もう一つ新しい事を始めようと思っている私です。
それがあるから、誘われたやつはノーと言ったのだと思います。
(なんでそれをやらなくちゃと思ってしまったのか、いまだに分からないのですが。)
だけど・・・・・。
今はここにいる私。だけどその先は分からないー。
だって
「僕らは陽気なジプシーだからさ。」
※ ここまで書いて、ふと思い出しました。(ここまで書いてから思いだすなよ。)←心の声
もしかしたら今は「ジプシー」って差別用語扱いなんじゃなかったっけ?
で、検索したら確かにね、らしいね。
今は「ロマ」と言うらしいです。
だけど朗読して放送するわけではないし、夢の中の大事なセリフなのでこのままでいかせていただく事にします。
カズオ・イシグロの「日の名残り」にもしっかりと「ジプシー」で出てくることでもありますし。