久しぶりの、昨日の「アクセス解析による50番目に読まれた記事」の記事です。
読まれた人の数は少ないけれど、過去に書かれた記事を掘り起こしてくださるのも嬉しいし、その記事が読まれるには何か理由があっての事で、なぜかいつも私への見えない誰かからのメッセージのような気がしてしまうのです。
そして昨日のその記事は
比較的最近書いた舞台「ムサシ」の感想です。
そして49番目に読まれた記事は、「ふたたび「ムサシ」 !!」でした。
舞台の告知記事です。
たぶん「ムサシ」で検索していらしてくださったのだと思います。
それと言うのも、2018年は国内での「ムサシ」の公演は大阪で千穐楽を迎えたからです。大阪で206回を迎えたムサシ」
遺影を掲げつつのカーテンコールと挨拶。
そして上海へ。
※ ※ ※
真夜中に※上の文を書いて、あまりの眠さに何を書こうとしていたのか忘れ、きっとこのままでいいのだとアップしました。
でも朝になってみると、こういう事が言いたかったんだなと思いだしたので、追記させていただきます。
(追記の割には書いてみたら長かったです。気が向いたら、お読みください。)
ひとつ目は、「その経験はその人だけのもの。」と言う事かな。
舞台は映像に撮らなければ一期一会の出会いのようなものです。映像に撮っても、記録出来るのはある時の一部。もちろんその映像を見て作品に触れるのも、その人の一期一会だと思うのです。私もそう言う出会いもいっぱいあります。お芝居のお値段はお高いので、これからはますますそうなっていくかもしれません。
だけど同じ作品であっても、毎回同じではない。それが舞台だと思うのです。206回の同じであって違うものを生み出していくって素晴らしいと思うし、その中のいくつかに出会えたことを嬉しく思います。
そしてまた「その経験はその人だけのもの。」と言うのは、本当は舞台に限った事ではないと思うのですが、いまは話を広げない事にします。
ふたつ目はやはり「虎は死んでも皮を残す。」
いや、これは正確には「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」なんですよね。
ずっと昔に友人から、若くして亡くなった彼女のお母さんのレース糸が余っているからと頂いた事があります。その彼女のお母さんの作品を見て、思わず言った言葉。
「人は死んでもその作品は残る。」
ほとんどの人は家族や愛してくださった人以外からは、その名なんてすぐに忘れられてしまう存在だと思います。
もちろんその人が何かの作品を残しても、それらを大事にしてくれるのも名前を愛おしく覚えていてくれる人たちが居なくなるまでかと思います。と、また話が膨らんであらぬ方向に行きかけましたので、そこはぐっと我慢する事にします(笑)
「ムサシ」の舞台は、井上ひさしさんの遺影に守られ、そして今はまた蜷川さんの遺影に守られ上演回数を重ね、人々に感動を与え続けてきました。
それを思うと、やはり「名を残す」よりも「人は死んでも作品を残す」と言う言葉の方が私にはしっくり来て、そしてしみじみとしっかりと生きる事を伝えるこの舞台の事を思うのでした。