森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

草原のみなしご≪その2≫

2009-01-20 01:39:31 | 思いつくまま

 草原のみなしご≪その1≫の続きです。

今の私には、解決していかなければならない生活の変化の準備と言う悩みの他は、子供たちの将来の心配と、如何にこの悲劇的な体重から逃れられるかと言う悩みぐらいで、どちらかと言えばお気楽な主婦なのかと思います。

そんな私でいられるのは、私の両親と近所に住んでいる独居老人の義母が元気でいてくれているお陰です。

私は子供たちの母。
だけれど彼らの存在が確かなうちは、心を草原に放り出されることのない彼らの子供でいられるのです。

 

 私の母の母、すなわち祖母は私が高校二年のとき亡くなりました。自宅介護の末家族にみんなに見守られる中、昏睡から目覚め、集まる一堂を見回し
「ありがとうよ、・・・」と言って、息を引き取ったと言う伝説の人です。

その頃の彼女の長男は、社会的にも多くの人と繋がっている人で、葬儀はこの上なく派手なものでした。祭りのようなその儀式が終わって、数日たったある日の昼下がり、私はなぜか家で母と二人でコタツに入っていました。葬儀の後、風邪をひいて学校を休んでいたのだと思います。そこに母の弟がやって来ました。

その叔父は「待ち人は愛しき人に姿を変えて」に書いた人ですが、母は5人兄弟の真ん中に位置する人で、一つ下のこの弟とはとっても仲が良いのです。

私は大好きな叔父が来たので、母と共にお茶などを頂くことにしました。二人の会話は葬儀の後なのでその話題だったと思いますが、いつもと違って会話も弾みませんでした。

叔父が呟くように言いました。

「良い葬式だったよな・・。なんだかんだと言って、あの人はみんなに信頼されていたよ。人から嫌われていた方が長生きできるんだと言って、憎まれ口ばかり言っていたけれど、みんな好きだったんだよな・・。」

そう言うと、叔父はハラハラ泣き出しました。

母も耐えられずにハラハラ泣き出しました。

今の私だったら、「私もハラハラ泣きました。」と書くところですが、若い私は泣きません。「あらま!」と思いながら、二人の真ん中でどうして良いのやらとお茶を飲んでいました。

母がそんな私を見て、
「まったくこの子は~! 少しは気を利かせなよ。」と言いました。

叱られて、ああ、本当に私は気が利かなくて申し訳なかったなと思いました。私は急いで立ち上がり・・・・

「はい。」と、叔父と母にそれぞれ涙拭くハンカチを渡したのでした。

そしてまたさっきと同じように炬燵に入った私を見て、母は絶句。少しの間を置いて、プハハと泣きながら笑いました。叔父もへへへと笑いながら泣いていました。

二人が泣きながらも笑ったので、私もホッとしましたが、私が自分が間違えたことに気が付いたのは、もっとずっと後からの事だったのです。
母の言った「気を利かせろ」は席を外せと言うことだったのですね。

そんなことに気が付かなかった私は、まるで傍観者のように二人を見ていて、そして
「なんか不思議ね。もうお母さん達は大人なんだから孤児になってしまったとは言わないんでしょ。でも叔父さんもお母さんも草原のみなしごになってしまったみたいな気がする。」と、言いました。

それに対して彼らは
「もう大人なんだから、そうは言わないよ。」みたいなまともな事を言っていたと思います。

でもそれは、私の素直な感想でした。
なんだか二人は広い草原に放り出された子供のようでした。

彼らの父は戦争からは生きて帰っては来たものの、既に心は廃人と化していました。ひとりで北の果てまで流れていき、たった一人で死んだのです。残された妻も、また一人。彼女は5人の子供を育てるために行商などをやって朝から晩まで働きました。

家も下宿屋をやっていました。私の父はその下宿屋にやってきた下宿人だったのです。下宿屋の美代ちゃんと(美代ちゃんじゃないですが)とふらりとやって来たハンサムな(こっちはちょっと自信あり)下宿人は、16歳と20歳。少女マンガのような恋の始まりだったのかなと、勝手にいい感じに想像しています。

でもひとりで5人を育て上げ、上の二人の男子を大学まで行かせていた祖母には、それなりの秘密もいっぱいあったようで、母はいつか誰かに小説に書いて貰いたいといっていました。波乱に満ちた一生だったのです。

 

 はっと気が付くと二人は風の吹く草原に投げ出さたように、ポツンと立っていました。姉と弟はしっかりと手を結び、それでも風に歌う草原の葦の揺れるさまになぜか切なくなっていました。
「お姉ちゃん、僕たち何処から来たんだっけ。」と弟は言いました。
「さぁ。私たちは何処から来たのだっけ。」と姉は首を傾げました。
「お姉ちゃん、僕たちは何処に行くんだっけ。」
姉は、やっぱり首をかしげて風の音を聴いていました。でもやがて姉は思い出したように、弟に言いました。
「さあ、もう帰ろうか。」
「えっ、何処に。」
「私たちそれぞれの家族の元に。」

「じゃ、俺帰るわ。またな。」と言って叔父は帰っていきました。
「元気出すんだよ。」母は、叔父の背中に向って言いました。

 

 私は子供が出来た時、自分もせめて我が子たちが結婚してその子たちに子供が出来るまでは見守りたいなと思いました。新しい守るべき家族が出来れば、愛する人間の別れにも強く立ち向かえることが出来るはずだからです。

でもふとあの時の母と叔父の涙を思い出す時、親を失う寂しさと切なさはいくつになっても変わらないものなんだと思います。あの時母は40歳ぐらい、叔父は36か7でした。

最近私は老いた父母、義母を見ていると、出来るだけ長く生きていて欲しいと念じています。何かして欲しいわけではないのです。ただ存在していて欲しいと思うのです。それと同時に私自身も細々でいいから出来るだけ長く地上に留まって、愛するものたちを見守っていたいと願ったりするときもあります。

それは介護と言うものを経験したことのない私の甘い理想かも知れません。甘すぎる理想と言った方がいいのかもしれません。

いつか何がしかの状況が激しく変わったとき、私は思うことが変わってしまう日が来るのでしょうか。

だけど、ただそこに存在する、その大切さを、私は決して忘れたくないと思うのです。 

 

  

 

 

 

 

 

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