今の私の悩みは、図書館で借りた580ページもある本が、返却期限が1週間後と迫っているのに、まだ100ページしか読んでいなくて読み切れるのかという事なのです。
もっと深刻な悩みがあるとしたら、止めちゃったダイエットのツケで、飛び出したお腹をどうしようかという事。
私個人の事ではもっと気が重い事も確かにあるけれど、とりあえずテレビを消してしまうと、敢えて狙われて子供たちが爆撃の犠牲になっていることも視界から消えてしまうのです。
そして努力すれば解決するような、そんなちっぽけな悩みに終始して一日を終えるのでした。
だけど出来るならば、そんなちっぽけな悩みそしてささやかな幸せで成り立つ毎日が、これからも続きますように。
これからの人類の進歩というものを望むとしたらは、それはもう同じ人間同士で殺し合わない。戦争はしない。そんな精神的進歩しかないと思うのです。
また歴史を学ぶ意義は、そこから「過ちは繰り返さない。」と学ぶところにあると思うのです。
かの貧しい大国は、何をしているのでしょうか。
時代の流れに逆流してるとしか思えません。
また自分の意を介さないクラスメートを体育館裏に呼び出して、内臓が破裂するほど殴りつける様なバカと同じにしか見えないんだけれど、なんとかならないのでしょうか。みんながおかしいと思っているのに。
下の囲みは、昨年の3月11日に投稿したもので、3月10日の事が書いてあります。
3月10日は「東京大空襲の日」。77年目ですね。
昨日、小学生の少女に、「今日は何の日か知ってる ?」と聞きました。
これ確か前もやってます。家に来ていた中学生に、同じ事を聞いて、その後にいろいろと会話をしました。
少女が知るわけもありません。
少女の若いお母さんはもちろんですが、私だって戦争を知りません。私の母は疎開組で、ギリギリ。
だからこそ伝えて行かなくてはならない事があると思いました。
3月10日の日記ひとつ前の「相棒」の感想と、あまり間が空いていません。よろしかったら、そちらの記事もよろしくお願いいたします。→相棒19 第19話「暗殺者への招待」一番下にある囲みは、昨年......
最近の私の仕方がないなと思いながらも、少し気が重い事の一つに母の認知症の事があります。
それまでも老人だからその程度はあるだろうと思えるような、すっとぼけた事はありました。だけどちゃんと買い物に行って自分の食事を作り、自分の生活をしていた母。
それでも先日、認知症テスト受けに行きました。
姉から聞いた話では、
「あら、なんだかテストみたいね。やだわ、テストみたいなんだもの。」とはしゃいでいたそうです。
話だけ聞いていると、可愛らしくも感じてしまう離れて暮らす娘←私の事です。
私が、母もちょっと危なくなってきたなと思ったのは昨年でした。
私がラッタさんとルート君を連れて実家に行くと、母は決まって彼らに言っていた言葉があるんです。
「戦争は絶対にダメだから。」「戦争は絶対に二度としちゃいけないよ。」「いいかい。これがおばあちゃんの遺言だからね。」と。
ところが母は、そのいつも言う言葉をすっかり忘れて言わなかったのです。
同じ言葉を繰り返して言うと、人はボケて来たと思うのかもしれません。だけれど、ずっと強い気持ちを持って言い続けてきた事を言わない事こそ、老いが進んだと言えるのではないでしょうか。
私は母のいつも言う遺言の言葉を、聞けなかった事を寂しく感じました。
こうして、身をもってその苦しさを感じて、心から語ってきた人も沈黙する時代が来てしまいました。
だからこそその気持ちを引き継いでいかなくてはならないと、私は思うのでした。
2022・03・11・19:21