森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

薔薇と秋の日

2021-10-28 17:12:49 | 思いつくまま

薔薇と雑文と日記。

「相棒」の感想が先かなと思っていましたが、最初の15分で寝落ち。見直してから感想を書くので遅れます。

花と花の間に、いつものように文を差し込もうと思いましたが、すでに多くを語る花たちに負けて、一番下から書き始める事にしました。

「文、要らないじゃん。」とも思いましたが、ひとつ前の『「横浜イングリッシュガーデン」の薔薇たちと。』の中に

『薔薇の花を背景に、また最近のつれづれを好きに語らせていただきたい』と書いたので、またも自分の言葉に縛られて、やっぱり書いていく事にします。

ただ、一言入れさせていただくと、すぐ下の写真は私自身の自撮り。もちろん顔の部分は編集で切ったわけですが、自撮り棒などは使わない自撮りだと、私は目があらぬ方向を見ていていつも微妙な顔をしています。めったに撮らないのですが、そういうのも上手になりたいものです。

だけど薔薇の花の方は、なにげに綺麗に撮れていました(これも、自画自賛かしら^^)

 

 

 

ちょっと前の話ですが、先月の月一の吉田拓郎「オールナイトニッポンGOLD」は神回と言われただけあって、本当に素晴らしかったのですよ。

もう一回聴きなおして、ブログにも保存しようと思ったのですが、うっかり二回目を聞き逃して、ブログアップも諦めたのでした。だからこの記事は、そのラジオの記事ではないです。検索で引っかかった人が居たら申し訳ないので、一番下にウキィ様を貼っておきますね。

 

主につま恋コンサートの話だったわけですが、1975年の様子が拓郎さんの口から細かく語られて、大変興味深かったです。

私のツイッターのタイムラインでも「懐かしい。」と言う言葉が並びました。

斯くいう私も・・・・・・って、本音を言えば、全く懐かしくなんかなかったのです。

行ってないですから。

新しい事実を知っていろいろと面白く感じたのですね。

 

ずっと後になって、姉が言いました。

「何で私たちはあの時、行かなかったのだろうか。」と。

私は即答です。

「だって、私、未成年だし。行かないし、行けないよ。」

またしばらくして、姉は言いました。

「あの時、中学生だった人も家を抜け出して行ったとか、他にも花ちゃんぐらいの人はたくさんいたらしいよ。」

うーむ・・・・

そこで少し過去の自分を思い出す・・・・・

「家を抜け出して行くなんて論外だけど、そうでなくても、やっぱり私たちの家では、そのコンサートに参加する事は、あの時代ではありえない事だったよ。」と、私は姉に言いました。

 

人はその成長や環境によって、行動範囲が決まってくると思います。

意外と好き勝手な事をやっていたような気がするのですが、それも時代と共にゆっくりだったと思います。

あの時の私は、深夜に大勢の人に紛れて、野外に立ってテンション高く盛り上がる自分を想像もできない事だったし、そこに出掛けていくエネルギーさえなかったのでした。(40日間、休み一日でバイトし続けるエネルギーは有ったけれど)

だけど、その時に行けなかったそれを、心の中ではずっと意識していたのかもしれません。本当は行きたかったのだと思います。だから2006年、また「つま恋コンサート」が決定し、姉が「行く?」と聞いて来た時、「行くとも !!」と気合を込めてお返事しました。

2006年の会場でも、いっそ朝までやってくれないかなぐらいの事を思っていました。

 

もちろんそれは夢の夢。

だけれど、そんな朝までやらないコンサートでしたが、感激で胸がいっぱいになり、その頃始めたばかりの拙いブログでしたが、記事を四つ書きました。

「聖なる場所に祝福を―つま恋」

「朱夏の群れ、晩夏をいく  〈つま恋〉」

「朱夏の群れ、晩夏をいく  〈つま恋〉後編」

「ありがとう」

私はこの記事の中に、

人は若さを何かの特権のように誇る時があるけれど、〈かって私もそうだったかも〉生き続けていくことが出来るならば、「人生の時」は残酷なほど平等だ。

「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」・・・・

なかには遅い青春の終わりにしがみついている方もいるかもしれないが、私たちは「朱夏」の時代を生きている。大きな荷物を背中に背負って、大汗かいて、だけど生き生きと。

一寸先の未来さえ見ることも出来なくて、いつも何かが不安だった、いつも何かにイラついていた。そんな青の時代に、懐かしさはあったとしても、何の未練があるのだろう。

 

15年前の私は、間違いなく「朱夏」の人。

でも今は、違うと思います。確かに仕事もしています。だけど働き盛りではないのです。昔と違って、ある意味恐ろしい時代です。反面違う視点で見たら素晴らしい時代です。

昔はご隠居さんにしかなれなかった年齢に、まだお仕事があるのです。まだ働かなければならない事情もあるのです。光と影とがそこにも存在しているのです。

働きつつも、この白い秋を迎えると言うのは、私にとっては大事な考えるべき視点だと思います。「朱夏」の時代とは、気持ちは変わらなくても肉体が違うからです。

また、年齢問わずに次の冬を、時にはじっと見て考えなくてはいけない時代でもあるかなと思うのですね。

人はみな、訪れる季節によって、自分の環境や生活スタイルを考えていくことは、本当に大切な事だと思います。

そして今、私は、自分の人生の秋に戸惑いながら、毎日の時間を時には無駄に過ごしているような気がするのですが、無駄になんか過ごす時間など、人生の砂時計には残ってないかもですね。

 

→「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」

→「吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006」

 

 

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (ふぃー)
2021-10-28 22:57:29
ずっと以前、kiriyさん、人生の中で今何時?という話されてませんでした?今日のブログ、そのこと思い出しながら読んでいました。

最後の「人生の砂時計」という言葉にざわっとしました。
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ふぃー様 (kiriy)
2021-10-29 00:26:56
こんばんは~☆
>人生の中で今何時?
はい、懐かしい話題ですね。
あれで自分の年齢を告白しちゃったようなものでしたね(笑)
たった10年とちょっとで、その時計がぐんぐんと進んでしまったように思います。

本当なら人生100年時代で、その分針は巻き戻っても良いようなものですが、この5年ぐらいで、友人との別れも多くて、その100年と言うのは、私たちの母たちの時代の話で、私たちは実はその中から外れているのではないかと、時々思ったりもするのです。
・・・などと、ちょっと暗くなる事を言ってしまいましたね(^_^;)

ところで、ブログ、書かれていたのですね。嬉しく思い、早速訪問しました。「庭じまい」の記事、しみじみとしました。また潔さにも感心しました。
またゆっくりと訪問させていただきますね。
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