テレビでも取り上げられていたので、その映像を目にした人多いかと思います。
一応一番下に貼っておきます。(いつまで見られるかの保証はありませんが。)
ウクライナの女性がロシア兵に詰め寄るシーンです。
彼女は言いました。
「私たちの土地に何しに来たの ?
分かっているの ?
占領軍なのよ。」と。
そして
「この種をポケットに入れていきなよ。
あんたがここで死んだ時、
そこからヒマワリが生えるように。」と。
私がその話を夫に言うと、彼は「怖いね。」と言いました。
ちょっとその反応に驚いた私・・・。
「怖い?」
なぜなら私はちょっと感動したからです。
だってこの人は本当に強い人だと思いませんか ?
そして言葉が詩人のようではありませんか。
例えば、ちょっと女性の比率が多いような、いわゆる女の職場と言う所にパート体験などをした人などは経験も多いかと思うのですが、強い言葉で話す女性に傷つけられたり驚かされたことなどないですか。
ところがそういう方に限って、本当に意味のある大事な時には、何も語らない事もあったりするのですね。
日頃の強い口調に騙されてしまうけれど、本当は強くもなんともないのですよ。
だけどこの女性は、たった一人でも武器を持った男に怯まないんですよ。
若い時には怖いもの知らずで、少々の武勇伝もありの私ですが(そんな事を言っていても、私レベルの全く大したことはない話です。)、歳を取るに比例して、臆病者になって来てしまいました。
言うべき時には言える人でありたいなと、私は彼女を見て本当にそう思いました。
また、この対峙したロシア兵の青年も、いっけん彼女の勢いにタジタジとなっているかのようですが、そうとばかりは言えないと思いました。
たった一人で抵抗してきた年配の女性に、彼は配慮して暴言や暴力の行使をしなかったのではないでしょうか。
こういう時、私の知っている世界では、相手がだれであっても拳を振り上げて「このババア!」と言うような場面を容易に想像できてしまうからです。
そうはならなかったのは、その青年が普通の家で躾け良く育てられたちゃんとした人であることが窺えたのです。
女や子供が逃げまどい泣かなければならない状況を作り出すものに、どんなに言葉を取り繕っても、そこに正義などないのです。
ある朝目が覚めたら、空の向こう側からミサイルが飛んでくる、そんな空の風景を作ってはならないのです。
それにロシア側だって、
何の大義があって、自国の若者の命を奪っているんですかと問いたくなりますよね。
戦争は国の他殺と自殺を同時に行っている行為だと思います。
自分の中でその戦いを肯定できぬまま、他者を殺したりまたは自分が死んでいかなくてはならなかったロシア兵士だって、同じような被害者ではないのですか。
ロシアの国内で反戦デモが起きるのは当然でしょう。
ロシアの人々に真実が隠蔽される事なく、正しく伝わり、自分の国の父親や息子たちを守って欲しいと思います。
もしも戦争に駆り出され、命を失っても、それは安全な所に居てしゃべりまくっているだけの男たちに利用されただけの無駄死にだと思います。
かつて日本の祖父たちもそうでした。
お国の為とか家族を守るためとかと言う大義を背負わされて、南の地でただ飢えと闘って無駄に死んだのです。
もしもポケットにヒマワリの種を持っていたら、帰る事のなかったその肉体は朽ち果てても、きっと深い森の奥で咲いては種を零し咲いては種を零し、いつかその子供たちが、その森の奥の向日葵畑を見つけた事でしょう。
こんな言葉が浮かんできました。
― お母さん、僕はいまウクライナに居ます。
訓練だと思っていたのに、本当の戦争だった。市民は撃たないと言ったのに、今は子供さえ殺してる。
ファシストだとののしられて、僕は辛いです。今日、僕は女の人にヒマワリの種を貰いました。それは抗議の言葉と行為だったけれど、僕には返す言葉も持っていなくて、手を出してその種を貰いました。ちょっと笑えるのは、その人が入れろと言ったのに、僕がその種をポケットに入れたら、驚いた顔をしたのだよ。早く出て行けと大きな声で言った後、その人は小さな声で「あんたも死ぬんじゃないよ。」と言ったんだ。
だけどお母さん、もしも僕が家に帰る事がなかったら、いつかこの国に来て僕の花を探してください。
僕はその花の下で眠っています。
朝、あなたが入れた珈琲を飲みながら、今日は何をしようかななんて事をぼんやり考えていた、いつかの朝の夢を見ながら。ー
ーこの種をポケットに入れていきなよ。
— 霧島花子 (@kiriy2009) February 26, 2022
あんたがここで死んだ時、
そこからヒマワリが生えるようにー https://t.co/z6BxSDvEmo