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薔薇の季節2018のその2
ついでながら、お喋りなどを。
大人になってから始めたピアノは、ちっとも上達はしません。
そんなのは当たり前。
練習をしない時はまったくしないし、お稽古に行くのも気まぐれだからです。
近頃は、教えてくださっていた方がすっかり多忙になってしまって、
お稽古の予約がなかなか決まらなかった事もあって、ますます離れ気味になっていました。
だけどまったく止める気はないのです。
アレですよ、あれ。
アレッて何かというと、
つまり私は、音楽の調べを愛しているのですね。
調べまでも行かなくても、美しい音に触れた時に、
幸せを感じる人なのです。
まあ、ダラダラ行こうと思っています。
だけど今日、ソファミレと弾いた時に、
ああ、綺麗な音だなあと嬉しく思いました。
「えっ、ソファミレの何が?」って思う方もいるのかしら。
でも、綺麗なソファミレと、そうじゃないソファミレがあるのだよ。
と、
さも何か極めた人の言い方をしているけれど、実は低レベルなだけなのですよ。
ワハハ。
だけど、その時私、ある事を思い出してしまったのです。
この薔薇を見に行った時、どこかのお教室の合同の発表会が近くでやっていたので、ちょっとだけ顔を出してみる事にしたのです。
本当は、その発表会に行くのがメインで薔薇はオマケだったのですが、
ご一緒したお友達が、
子供の時にピアノをやっていた事があったからか、またはお友達のまたお友達の影響なのか、
子供の上達途中のピアノの音は聴けないと言いました。
私などはその子供たち以下の実力なので、どちらかと言うと全部感心しながら聴けてしまうのですが、
お友達の話に「なるほどなあ。」と思ったのでした。
思い入れのない子供たちしか出演しないならば、
我慢して聴く必要はないのですものね。
だいたいこういう発表会は家族や知人が観客が多いので、知っている方が出る時間を狙って聞くことにしたのです。
適当な時間に行くと、ピアノの音が聞こえてきました。友人が
「まだ子供の時間ね。」と言いました。
でもすぐに歌声が聞こえてきて、それが歌の伴奏だったことが分かったのです。
吃驚するぐらいタイミングよく会場に来ることが出来たと知って凄いと思いました。
だけど私は友達が言った
「まだ子供の時間ね。」の意味が、なんとなく分かってしまって心に残りました。
音響がすこぶる悪い会場だったのです。
だけど、それだけかしら・・・・・。
音楽を愛する人がいて、世界に音の調べが溢れています。
その中で心を貫くような音、または調べに出会えることは本当に幸せな事だと思います。
溢れる音の中の澄み渡る一音は、咲き乱れる花の中で本当に美しい一輪の花を探すようなものなのかも知れません。
または使い古された表現ですが、砂浜の中の一粒の砂とも言えるのでしょうか。
それはまた、音楽の事のみとは言えない事なのかも知れませんね。