何にもない特別な夏の今日この頃、ドーンと落ち込んだ気持ちになり、その気持ちが少し軽くなればと思ってお気楽なお喋りを続けています。
お気楽なお喋りを続けていたら、徐々に寂しさの王国から抜け出してきたように感じています。
7. 夏の夜は星を見上げて。
8月12日にペルセウス座流星群がよく見えると知っていたのに、ドアを開けて階段の踊り場に出て空を見上げる事もしませんでした。それは私的には珍しい事で、空関係のイベントは、たいがいは上手くいかない事の方が多いのですが、それでも参加してみると言うのが私流です。
ラッタさんとルート君が、まだ子供と呼ばれていた頃、深夜にまたは冬の真夜中に厚着をして、三人とワンコのココちゃんとで流星群を見に行ったことは、星のように輝く想い出です。
でも今年のペルセウス座流星群はパスしてしまいました。ヤル気が無いと言うのは、そう言う事なんだと思います。
だけどこの夏がずっとそうだったわけではないのです。
7月19日、ネオワイズ彗星がよく見えると夫殿が教えてくれたので(ネット情報で彼が見たわけではありません。)、ルート君を誘って見に行きました。ところが彼、外に出て少し歩くと鼻血が出てしまい、ひとりで帰ってしまったのです。それでもせっかくだからとひとりで公園に行き、「この方角」と聞いた方角をじっと見つめていましたが、さっぱり分からず、おばさんが公園の真ん中で一人空を見上げてるのも馬鹿らしくなり、帰ろうかなと思った時に星が動いたのです。
「ワッ、ヤッター !!」と機嫌よく家に帰ったのです。
でも、この「星が動いた」と言う文章で、それは違うのではないかと思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
私、夫からの情報だけで、どのように見えるものなのかの事前情報を持っていなかったのです。家に帰って、ツイッターに上がっている画像などを見たら、どうも違うのではないかと思いました。
家に帰った時に
「見つけた。」と夫殿に報告したら
「良かったね。次に見られるのは5000年後らしいから。」と言っていたので、
「どうも違うような気がする。」と訂正すると
「良いじゃん。別に見たと信じていれば。」と彼は言いました。
そうだな。その過ちも5000年に一度と思えば大したことはないかと、私は思いました。
(まっ、流れ星を一個見たのは確か。)
8月2日、国際宇宙ステーションが日本の上空を通過すると言うので、8時半ごろベランダに出てみました。背後で夫が「もう遅いだろう。」と時間の事を言いましたが、後でニュースを見たら、ベランダに出た時間はどんぴしゃりだったのです。
ところが目の前に、圧倒的に美しい月が輝いていて、私はじっとその月を惚れ惚れとした気持ちで眺め、「こんなに月が明るいので見えないに違いないわ。」と思い込み家の中に入ってしまいました。
でも後で考えると、見るべき方向が違っていたように思いました。
なんだこの人はこんな事ばかりしているのかと言われそうですが、「こんな事ばかり」をしています。
それでも夏の夜、ひとりとぼとぼ歩く帰り道、夜空に瞬いている星々にはいつも励まされた気持ちになるのでした。
14日の夜、自分の過去のブログの記事を読んでいたら、虚しくなり寂しくもあり逃げ出したいような気持ちになってきました。
こんな時はお散歩です。
だけど今はワンコのココちゃんも居ないので、夜の散歩はどうかなと思いましたが、夫が・・・・・・って、なにげに彼の言動に左右されているみたい ?
まぁ、それはともかく、「夜ひとりで散歩に行くのもどうかな~。」と私が言うと、「ルートを連れていけ。」と夫が言ったのです。
ワンコじゃないのだから「連れていけ」もないと思いますが、誘うと二つ返事で行ってくれると言いました。彼も最近、運動不足を気にしていたので、ちょうど良かったかもしれません。
一つ目の公園に行き、その後、「この道を通って、(別の)××公園に行く。」と私が言うと、ルート君は
「もう近所の道を『歩く』と言う事がほとんどないので、道がどこに繋がっていたのか忘れた。」と言ったのです。
星は遠くで変わらずに瞬いていて、地上ではすでに住んでいる場所さえ遠く、そして常に変わっていくのですね。
夜の散歩でしたので、4000歩ほど歩いて帰ってきました。
だけどこの日から、私は本当に気持ちが落ち込んでいたので、それで元気になったとは言い難いものがありました。
それでも寂しさは何かの行動の原動力になる事は、間違いのない事だと思います。
トップ画像は17日の空です。
8. 妹よ、妹
恋の歌でも詠うのかって ?
いや、本当は「芋よ、芋」。
サツマイモから葉が茂っちゃうことって経験ありませんか ?
あれって意外とディスプレイすると、綺麗なんですよね。前に喫茶店で窓辺にお芋ごと飾ってあって綺麗だなと思ったのです。
お野菜籠の中で葉が茂ってしまったのですが、これって土に植えたら、お芋が出来るのかしらと思いました。でも種イモは清潔ではないとダメとかどこかに書いてあったような気がして、土に植えるのは止めたのですが、よく見たらまだお芋は食べられるような気がしました。それで茎から引きちぎって、数日持てばいいやと部屋の中のグリーン代わりに活けておきました。
ところがあっと言う間に根がカップの中に茂り、葉もぐんぐんと伸びたのです。
この力強い生命力に、なんだか私は励まされているのです。