森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

3月11日、黙祷しました。

2024-03-27 08:16:16 | 梢は歌う(日記)

その日、家に帰ってきた夫殿に
「黙祷した?」と聞いたら、
「仕事中だったからしなかったよ。」と、彼は言いました。


確かに。

 

そうやって、だんだんと少しずつ2011年は遠くなっていってしまうのかも知れません。

2011年の前にも大きな災害はあり、そして今年の初めからまた大きな地震のために被害にあわれた方々がいらっしゃるわけですから。

3月11日2時46分だけに毎年黙祷をすると言うのもどうなんだろうかと思うこともあるのです。

 

だけどやっぱり、私の人生においても2011年のあの日は、大きな一つの境目であったように思います。

原発の事も含めて、日本の歴史に大きな傷跡を残したあの日・・・・・。

・「3月10日「萩尾望都先生特別講演会」」の記事の中にも書きましたが、

>声高には叫ばなくても、忘れない日でいようと思っています。

それは大事なことだと思います。

心を込めて、2時46分に黙祷しました。

 

そのあと私は、ちゃんと生きなくちゃみたいな気持ちになって、もう夕方近くだったのに畑に行ってじゃがいもを植えてきました。

 畑に詳しい方から見たら、「何じゃ、この畝は。」と言う感じだと思いますが、けっこうヨロヨロです。今の私には限界~(;^_^A

生きてさえいれば、

 

知らない花に出会えたり(ルッコラらしいです。)、

古木が竜に見えたり・・・・・と、毎日が楽しいと感じることも出来るでしょう。

上手く撮れなかったのですが、その竜の木の花が咲いている時は、

 

下の囲みは昨年の3月11日に投稿したものです。

その中に

>『下の囲みは昨年の3月11日に投稿したものです。(またツリーになっているので)

その記事を辿っていくと、私は「2011年を生きた猫たちへ」

を読んで、毎年泣くことになっているらしいので、また読み直して・・・・やっぱり泣きました。』

とあり、昨日改めて読み直し、そしてやっぱり泣いたのでした。

 

 
「それを知りたいんです。」と少女は言いました。
「3.11」から12年。すると、今、中学1年生だった少女が、2011年だった頃は乳飲み子だったのです。もちろん何の記憶もありません。その子の父と母が、「あの時はね。」......
 





・・・・


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