「3.11」から12年。
すると、今、中学1年生だった少女が、2011年だった頃は乳飲み子だったのです。
もちろん何の記憶もありません。その子の父と母が、「あの時はね。」とその時の体験を語らない限り、既に「3.11」は遠い出来事になってしまうのだと思います。
ある少女が語った「あの時」。
「みんなで出掛けようとしたその時、私がですね、アレをしちゃったんですよ。
『なんだよぅ、今かよぅ。』とオシメを変え終わった時に、地震が来て、もちろんその日のお出掛けは無しで、出掛ける前で良かったとなったんです。みんなを救ったのが、私のアレです。」
面白おかしく話してくれたけれど、それはその家族のある種の歴史ですよね。
みんなあの日は、それぞれの歴史を紡いだのではないでしょうか。
「でも私、」と少女は続けて言いました。
「津波の映像を見たいんです。」
「えっ!?」
ちょっと驚きました。そんな言葉が出てくるとは思ってもみなかったからです。
その時、私は別の事が、頭に浮かびました。
あの時に、小学1年生だった子供。しばらくはちょっとしたスマホの音にも過敏に反応して、3.11のトラウマに震えていました。あの経験は、被災地でなくても大きな心の負担を、子供たちに与えたと思います。
「かなり恐ろしいよ、それ。」と私は言いました。
「でもそれを私は知りたいんです。」と少女は言いました。
確かに、あの時に傷ついた人たちへの配慮で、その映像はあまり流されることはなくなってしまったかも知れません。
ドラマなどでも、そのシーンは省かれて作られたりすることも多いと思います。
実は私も、そういう作り方にホッとする方です。
少女の「知りたい」は、単なる津波への好奇心かもしれません。
だけどその好奇心は、そんなには軽いものではないような気もしたのです。
風化させずに伝えていかなければと言っても、どのようにかと言うのは、これからの課題にもなっていくことなのではと思いました。
下の囲みは昨年の3月11日に投稿したものです。
その記事を辿っていくと、私は「2011年を生きた猫たちへ」
を読んで、毎年泣くことになっているらしいので、また読み直して・・・・やっぱり泣きました。
出来なかったけれど、やったんだ。
あれから10年こんばんは。私は猫のももです。私は2011年の5月にママの家にやってきました。「こんな時に、新しい家族を迎えるのはどうなんだろうか。」と、ちょ......
※ 「トルコ・シリア地震」の募金を、生協を通じてやっと出来てホッとしました。
また、今年も、Yahooが「検索はチカラになる」をやってくれています。自分ではあれやこれやと出来ないので、これを毎年やってくれて、感謝しています。