森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

日光浴ノート2020《東照宮に行きました。》

2020-10-17 01:09:31 | お出掛け日記

『疲れた時にはお日様にあたり日光浴をいたしましょう。

心が疲れた時にも大好きなものの気の力に囲まれて癒すことも大事だと思います。

私の場合は森の木々のささやき・水辺のせせらぎが、心の日の光になるのかもしれません。

その日の光は、名前のごとく「日光」にありました。』

2015年10月4日5日に出掛けた日光のお出掛け日記の冒頭は、そんな始まりでした。→日光浴ノート☆千手ヶ浜

「毎年行きたいね、日光。」と思ったものの、やはりそうはいきません。それでも2015年の後、2017年にも日帰りで行きました。

タイトルは皆「日光浴ノート」です。

だから今年の15日16日の「日光お出掛け日記」も「日光浴ノート」です。

 

今回は、一番最初に「東照宮」に行きました。

 

唐門の前に立っていた時に、1匹の蝶がひらひらと私たちの頭上を舞いました。

「あらッ、あの蝶って右と左の羽の色が違うように見えるね。」と言うと、星子さんも「そうだね。」と言いました。

それは光の当たった関係でそう見えただけだと思うのですが、一瞬そう見えて不思議に見えて目で追いかけてしまいました。

すると星子さんが

「あれは『許すよ』と言う合図なのかもね。」と言ったのです。

 

何を「許す」と言うのかと言うと、「日光浴ノート☆ランランラン♪その2」

と言う記事内に書いたことですが、2015年、タッチアウトで閉門の時間に間に合わず、中にいる人たちを羨ましく思いながらも、「東照宮」に入れなかった私たち。

癪だったので、星子さんと共に「家康なんか大嫌い !!」と悪態をついたら、その後に撮った表門が真っ黒に映ってしまったと言うアクシデントがあり、やはりお墓近くで悪態などをつくなどもっての外と叱られたような気がしたと言う事があったのです。

 

でも今回の私たちは、自分の足を棒にしてまで奥宮まで赴きました。

もうクタクタでした。

それでそのクタクタに免じて、家康殿が「許す」と蝶を頭上で舞わせてくれたのだと言う結論になったのでした。

 

何をたわけた事をって・・・( ̄ー ̄)ニヤリ

でもね、「免じて」と言っていただきたいくらい、今の私には「奥宮」は大変でした。

 これが延々と続くのです。ここは石廊下と呼ばれていてなんと207段ですって。

いや、今考えると、目黒雅叙園の100段階段が二つあると思えば良いんだと思うのですが、この上っている時はとてもそうは思えませんでした。

私はここには、昔来た事があったのです。

はるか遠くの学生時代です。

確かちょっときつめの階段を上ったなあとは思いましたが、「別に~」「さほど~」と言う感じだったのですね。

それよりも、小学校の修学旅行では来なかったこんな所にこのような場所があったとはと感激した気持ちの方が大きかったのですね。

ああ、年月って恐ろしい~。

足のもも上げを200回やったようなものですよ。もう家康公には会いに来ることは、・・・・・・二度とないな !

と言うわけで、そこから戻って来た私たちの足の太ももからふくらはぎまでパンパンになり、「きつかったね」とげっそりしていた所に蝶が舞えば、家康公に「許す」と言われたような気分にもなるってものでしょう。

勝手に解釈、勝手に和解と言うところですね(笑)

 

ところで、やっぱり「東照宮」は見どころがたくさんありました。以下は写真日記です。

御存じ

こっちも可愛い

灯篭多し。

手前にあるのはポルトガルから運んできた鉄を使用した「鉄灯篭」です。

下の説明に、上にアップした象さんの説明も書いてありました。

 

そして「陽明門」

「陽明門」は人を切るのは難しいですよね。

敢えてやってみると

涙・・・・・・、あまりよろしくはナイナ。

全体と細部、そのバランスって大事ですよね。

 「陽明門」の普通の模様。

そして下のは模様が逆の向きになっている「逆柱」です。

 

 

神楽殿にある花かごの彫刻で、珍しいものらしいです。

有名な「眠り猫」は「奥宮」の行く入口にあります。

その裏側には、凄くボケてしまったのですが、スズメが二羽楽し気に遊んでいる彫刻が彫られています。

スズメが楽しく遊んでいられるのも猫が寝ているからだとか、徳川政権下の太平の世を表しているのだとか、奥深い意味があるそうですね。

 

 

そして私たちは、神橋に出て、

少し道沿いに歩き、ランチタイムを取りました。

 

焼ゆばサンド、美味しかったです。

 

東照宮には5173体の彫刻があるらしいのですが、そのうちの2468体は本殿にあるらしいです。だけどその本殿を見る気持ちになれなくてスルーしたのは、片手落ちのような気もしないでもありません。しかしその後の私たちの行動を思い出すと、やはりあの「見ない」と言う選択は正しかったのだと今更ながら思ったのでした。

時には、「何かを得るには何かを捨てる」と言う事は大事な事なのかも知れません。

じゃあ、何を得たのかと言うお話は次回に。

 

※ 「相棒」の新シリーズが始まりましたが、実はまだ録画して見ていません。今旅行の準備で、見る時間がなかったからです。

これも「何かを得るには何かを捨てる」の一つだったかもしれません。お蔭で用意もサクサク進み、寝不足にならずに旅行に行けましたから。

あっ、でもたいがいの時の私は、「何かを得ても何も捨てない」人なんですけれどね。


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